マネマネマネ

2005-02-17 22:50:34 | Weblog
とりあえず、マナーモードの携帯電話のモノマネ
が形になってきて、少々ご機嫌のわたくしでありま
す。会社でパソコンたたきつつうなっていたら、
「今携帯ならなかった?」とだまされた人間がいて
とっても満足。

 モノマネをすることが楽しく感じられるのは何故
なのか。自分以外のモノを演ずるのが楽しいからか。
他人が笑ってくれるのが快感だからか。あれは不思
議な感情である。

 「学ぶ」のそもそもの語源は「マネぶ」だと言う。
幼い子供は身近なオトナの姿、行動を見、これを真
似ていくことからオトナとなる。学校では先生の行
動をお手本に、これを真似ることが学習の基本だ。
わたしもそういう過程を経て、こうして脂オヤジと
して存在しているわけだ。

 むかしプロレスの真似をして、プロレスごっこな
どをよくやったが、あれで怪我した人間はあまりい
ない。「子供なんだから、手加減なんぞ知らないだ
ろう」というのは、むしろ無知なオトナの思いこみ。
喧嘩ではないのがプロレスごっこ。相手にワザと技
をかけさせたり、技をかける方も微妙に手加減。む
しろ子供の目のほうが、プロレスの本質を見抜いて
いるのだ。

 ゲームに関してもそれはたぶん同じ。推理小説に
耽溺した子供が、現実の死に鈍感になることなどあ
りえない。画面のむこうの動くひとの絵は、現実の
ひととはまったく別と、子供はたぶんわかっている。

 もしひとの死に鈍感な子供がいるのなら、それは
周囲のオトナの「真似」。いくら口で「命は大切ね」
などと唱えても、行動自体が伴わないと、子供はき
っと真実を見抜く。考えてみれば怖い話だ。

 周囲に子供のいないわたしの環境を、ああ幸せだ
と思わずにはいられない、生まれながらの無責任さ。
そこまで立派じゃねぇからなぁ。