何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

介護現場の憂鬱  私は祥一郎を一人にはしない。

2016年05月10日 | 死別体験



介護の仕事を始めてもうすぐ4年になる。

好きで始めた仕事では無く、不景気で就職口が無いから始めた仕事ではあるけれど。

そんな私でも思う事がある。

勤務先は特別養護老人ホームだが、この4年の間に数え切れないほどのご利用者の死を見てきた。

仕事柄いたしかたない事ではあるが、その死に際して本人と家族との関係をつぶさに見てきて、やるせない気持ちになる事が多い。

亡くなる時は概ね急に亡くなってしまうので、死に目に逢うことは少ないのだけれど、その際の家族の反応が本当に家族だったの?というケースが多い。

一応家族が来るものの、来るべき時が来たかと冷静な人、亡くなってもその日には来ず、翌日にやっと引き取りに来る人、忙しいので数日遺体を預かって欲しいと申し出る人、本当に様々だ。

職場からはもう危ないからといって家族にすぐ連絡するのだが、急いで駆け付けてたとえ死に目に逢えなくとも死んだ自分の親なり祖父母なりを見て涙にくれる家族はあまり居ない。

「看取り」という制度が我々の職種にはある。

ここの施設に預けて、容体が悪化しても救急対応はせず、そのまま静かに逝ってもらうという制度だ。

要するにこの老人ホームで最期を迎えて欲しいということだ。施設に入所する時にケースワーカーがその是非を確認するのだ。

この仕事をすればするほど思う。少々極端な喩えかもしれないが、要するにこれは金を払ってする姥捨てなんだなと。

今も施設で元気に過ごしているご利用者でも、家族が頻繁に面会に来る人はごく一部。
殆どの人は、滅多に家族も親類も来ない人の方が多い。

中には、「そちらに預けて任せたんだから、何があってもいちいち連絡しないでください。死んだら遺体は引き取ります。」などという家族もけっこう居ると言う。

「捨てられた・・・私は捨てられた・・」と言って、その後死んでいったご利用者も何人か居る。

介護、老後、認知症、年老いた親や祖父母の面倒・・・・難しい問題は多々あるけれど、この仕事をすればするほど家族とは、血縁とは、何なのだろうと考えさせる事が多い。いや毎日考えさせられる。

私の人生の訓辞は何度か書いたが、「血は水よりも薄い。」だ。

血縁なんて、実の親子なんて、家族なんて、それぞれの事情で扱いがどうにでも転ぶものだ。

家族の絆、それはいとも簡単に崩壊する事が有り得るのだ。

私は今こうして、法的にも血の繋がり的にも全くの赤の他人の祥一郎が死んで、こんなにも悲しみ、苦しみ、後を追って死にたいとまで思っている。

しかし祥一郎の実の父親は、彼が死んだ後ささやかな通夜も葬式もせずに、翌日に火葬にした。実の弟もそれに何の反対もしなかった。

色々な家族関係があり、死んだ後どんな扱いを受けるか、それはどのように家族として過ごしてきたかによることは私自身もよく理解している。実の父親が死んでせいせいしたぐらいなのだから。


私は今、祥一郎を喪ってこんなにも悲しい。

だから今の仕事をしていて、この人が亡くなれば悲しむ人は居るのだろうかと考えてしまうのだ。
ひとり寂しく死んでいったのではないかと思ってしまうのだ。

考えても栓無きことだとは分かっている。


祥一郎は逝ってしまった。

私は、あいつの実の父親や弟や親類縁者がどう思おうと、何を言おうと、あいつの死を悲しみ続ける。悔み続ける。

私の人生の訓辞、「血は水より薄し。」は、今回の祥一郎の死に際してますます正しかったのだと確信する。

この社会のしくみが、家族制度が、血のつながりが、何ほどの物かとばかりに私は祥一郎の死を悼み続けるのだ。

祥一郎・・・・・・

私は決してお前を一人にはしないよ。忘れはしないよ。

涙を流さない、悲しまない、悔やまない、そんなことは有り得ないよ。

当たり前じゃないか。ねえ、祥一郎・・・・・・・・


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