何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

体調悪化  狂った生活のリズム

2016年04月23日 | 死別体験

 祥一郎が亡くなってから、4ヶ月が経とうとしている・・・・ たった4ヶ月・・・・何も変わるはずがない。

祥一郎を喪った、ありとあらゆる負の感情は一向に小さくならず、何かをして少しは忘れようと足掻いても足掻いても、それが終れば元の悲しみに取りつかれた壮年の男に戻ってしまう。

ここへ来てまた体調を崩してしまった。 胃から腹部にかけて耐えられない痛みを感じ、下痢も併発。便の色も血が混じっているようだ。

医者にはウイルス性胃腸炎だと診断された。 勿論仕事には行けるはずも無い。

あれから私の生活は乱れに乱れている。

食事は、朝、昼共に小さなパン一個のみで済ませ、夜はコンビニ弁当やレトルトのカレーなど、およそバランスのとれた食事とは言い難い。

しかし、何かをまめに作って、色々考えて料理を作ろうという気にならないのだ。 野菜不足、偏食、粗食・・・・・ そして感情を抑えようと心療内科でもらった薬を多用し、そうでないときは酒を煽る。

体調を崩さない方がおかしい生活になってしまった。 ただでさえ不規則な仕事で、健康な人でも体調管理の難しい介護の仕事。

これではこの先、続けて行けるかどうか。 二人で暮らすということは、生活の質を整えなければやっていけない。そして食事も二人分となると、色々と気配りした料理を作るものだ。

そう、あの頃は生活にリズムがあった。 今は、ひときっきりになり、電池の切れかけた時計の秒針のように、進んでは止まり、止まっては進むというような生活になっている。規則正しいリズムなど全く無くなってしまった。

祥一郎の昼寝用に新調したソファーで横になり、痛みに耐えている。 こんなときあいつが居たら、おぼつかない手つきでお粥のひとつも作ってくれただろう。 そして早目に寝るよう、寝床を整えてくれただろう。 私は、そんな状態でもあいつの背中を見ながら、痛いだの苦しいだのと甘える事ができただろう。

誰かが傍に居てくれる・・・・ 体調の悪い時にはそれがどんなに心強いことなのか、今身を持ってそれを、逆の意味で強く感じている。

今は誰も傍に居ない・・・・・ 悲しみに耐え、喪失感に耐え、孤独に耐え、

そして体調悪化にひとりで耐える。そうするしかないのだから。

私はもう還暦まで残り4年だ。 今の悲しみのどん底のような状態が何年続くかもわからない。

あいつが生きて居た頃の体調に戻る可能性は低い。

愛する伴侶を亡くした人は、あまりの悲しみの為に自らも体調を崩し、やがて遅からず後を追うように自分も死んでゆくケースが多々あるという。 自分がそうなるならそれでまったくかまわない。


ただ、できるならあまり苦しまずに、安らかに祥一郎の後を追いたいものだ。そして「祥一郎、今おっちゃん帰ったよ。」と、にっこり笑ってあいつを抱きしめたい・・・・・・。 にほんブログ村 家族ブログ 死別へ



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