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何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

いつもの暮らしの中の、祥一郎と私

2016年03月03日 | 死別体験
祥一郎………



いつもの暮らし………

あたりまえのようにそこにあって、続くと思っていたいつもの暮らしが、一瞬にして破壊される。


そんなことは他人事だと思っていたんだね、おっちゃんは………


事故や天災、犯罪等でそのいつもの暮らしが破壊された人は、この世にいくらも存在する。

それを他人事として認識していた自分が、まさかその当事者になろうとは。


愚かだ、愚かだね人間は。祥一郎………


お前が突然居なくなって、二人のいつもの暮らしが終わってしまった。


祥一郎…………おっちゃんはこれからどのように暮らしていったらいいんだろう……


おっちゃんがどんな境遇になろうとも、いつも傍に居てくれたお前を失って、どんな暮らしが可能だというんだろう。


前にも言ったよね。
お前と出会う前にはもう戻れないんだよ……


お前とこれから先もずっと一緒に過ごすと信じていた、いや信じる信じないではなく、それが当然だと思っていたのに………


祥一郎………

こんな別れ方をするなら、お前と出逢わない方がよかったのか………あの日あの時、声をかけなければよかったのか。


おっちゃんは決して社交的な方じゃない。
あの日あの時、何かが

「声をかけなさい。そして共に暮らすのです。20年以上も。そしてそれは突然終わるのです。」

そう言って、それをまだ知らないおっちゃんに気まぐれを起こさせたのか。


まったくの軽い気持ちでお前に声をかけたあの日あの時。


それからの二人の濃密な年月を何かが私に与えたのなら、お前の死はその見返りだったのか。

後の余生は苦しんで悲しんで、たったひとりで暮らすのだとでもいうように…………


祥一郎……お前はもう居ない。

そしておっちゃんはここに居る。

俯き、涙を流し、途方に暮れ、溜息をつき、ときおり前を見て、居るはずの無いお前の姿を探し名前を呼び、慟哭して胸を叩き、地団太を踏んで地に伏す、おっちゃんはまだここに居るんだよ…………


祥一郎…………

お前から見たおっちゃんと過ごした人生は………何だったの?

何らかの意味があったのかい?それとも後悔しているのかい?一緒に居れば寂しくなかったのかい?おっちゃんを愛してくれていたのかい?


何度も言うように、おっちゃんはお前と過ごした年月が、人生の核だったんだよ………


おっちゃんの生まれてきた意味は、お前と過ごすためだったんだよ。


おっちゃんに人を愛すること、共に暮らすこと、寄り添う喜び、いつも傍に居てくれる安心、そしてどんな意味においても家族と呼べる存在であってくれた祥一郎。


ありがとう………ありがとう………ありがとう…………


そして今強く思うのは、それを、その言葉を早くお前の元に行って、お前を抱きしめて伝えたい。

それだけなんだよ……祥一郎……………



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