空に問う。

空に問うても果てがない

うれしい

2014-11-12 13:19:24 | 日記
初コメント貰って嬉しい。

覗いてくれる人って、みんなちょっと振り向いた異邦人だと思っていたから。なんだか救われたぁーー。

でも11月11日の思い出は、もう20年以上前だし笑。でも今もし幸せで幸せでハッピーライフでもきっと思い出すのかな。究極のゾロ目だもんなぁー。この人も宗教やってる家だった。だから別れた後に一族で本気の呪詛をかけられたらしい。これは同じ宗教に属してる姉の知り合いに訊いた。一族だから家族の単位じゃなくて、親戚親類一同って意味だから4,50人はいたんだろう。怖いよね。「悪魔退治」を行うんだと言われたみたい。ドン引きしました。

今では懐かしい思い出なんて絶対に言えない笑。〇〇〇会だから仏教系。一族で〇〇〇会ってのも更に怖い。もちろん一族パワーだから、こっぴどい目に合いました。まあ人生が狂い始めたのは15,6の頃だったからまさに出会ったころ・・・。その頃からすでに禍根の根っこはあったんだろうなぁ。その当時の「呪い」のカテゴリーって仏教だと思ったから般若心経は必至で覚えた。とにかく寺ばっかり行ってた。その反動で今は神社ばっかり笑。本垂仏(ホンジブツ)って考えもある。神が化身した姿を模したのが仏様という考え方。これが神仏習合の始まりだ。神を迎合するのが目的。古代の日本にはそもそも八百万に神様はいたから各集落毎に祀る神や物があった。仏教を広めるためには八百万の神を統合しなければならなかった。それらを等値化してゆく中で必要な考え方だったんだろう。その集落の山の〇〇菩薩、海の神様は〇〇観音など。神の霊性を引き継いだ仏様の誕生だ。権現っていうのが顕著な例で今でも神の性質を持つ仏様の形容だ。

今では大好きになった11の顔を持つ十一面観音もニギハヤヒ命と言われてる。一説では聖徳太子が二つの神仏を結びつけたのではないかと言われてる。仏教の祖は聖徳太子と言われてるけど、神社で祈願を受けるときに絶対にされる大祓の祝詞は太子作と言われてる。これは不思議だよね。教科書では絶対に教えてくれないことです。廃物棄却以降は、絶対に神仏を分けたい人らがいる。国家神道と仏教廃絶・・これが大戦に結びついて言ったのだから、しょうがないけど。キリスト教を模写するためには仏像が邪魔だったんだろう。偶像崇拝を禁じている。神道ならば人を模した遺物は存在しない。ご神体は人の姿をしていない。天皇を唯一神の現人神に据えるためには仏教なら「教え」が「仏像」ありすぎたんだろうなぁ。殺生するなが基本だから・・・・。

でもさ、寺は余計な人(霊)らを拾ってしまうからイヤなんだよね。昔から風邪を引くと親類の誰かが死んでしまうし、だから日頃は必至で肝油を飲んで体調管理をしています笑。だから昨日墓参りで貰った因縁が今日は多少影響してるよう。とにかく身体がだるい。それに連れていく(引っ張っていくほう)ほうの悪霊だからね。もう右肩ボロボロです。ひとつ祓えばひとつ憑く。なんじゃ、この体質って。まあ当分は寺にも神社にもよるまい。神社は例外を除くだけどね笑。

一度死んで生き返ってから、一度だって朝から晩まで気分爽快な一日を実感したことはない。それ以前はあったのかも知れないけど思い出せない。昔はそれなりに楽しいこともいっぱいあった。今は「ない」なぁ。もう20年はないかもしれない。もって2時間がいいところだ笑。それに途中で大酒飲みになって依存症になってから、古き良き思い出だけが消し飛んでしまったみたいだ。悪いことだけは、悪いまんま残ってる。逆ならばいいのに逆ならば・・・・・。

わぁー、風が増した。禍々しい「奴」が混じってる。またバーサスするのかな??少し不安だ。

大丈夫かなぁ、桜の木に支えられてる切った大木。

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