空に問う。

空に問うても果てがない

呪い

2015-09-19 10:26:42 | 日記
呪いの字の「兄」は頭の大きな人をさし、口へんが祈りをささげること。幸福を祈るのが祈り(祝詞)で他人の不幸を願うのは(呪詛)で祝いの反対が呪いと言うけれど、大まかには祈り殺すという言葉があるように同じことなんだろう。この見えない壁、線引きが難しいところだけど・・・・・。
 
おいらのいう「呪う神主」の呪うはすなわち兄でもある。過去にこの男の「弟」をいじめたことがある。高校時代である。その時も通常では考えられないようなことが起こり続けたが、その時はこの兄弟の父親がおいらを呪ったんだと思う。それが収まった頃に、前の会社に入って、そしたら「兄」がいた。最初から嫌な符号だと思っていた。ら、おいらが退職に追い込まれた。それは何年もかかったし、その間に「辞めた方がいいよ」ってお告げみたいな兆候はあったけど、それこそその頃はある神社さんの神威を信じていて、同じくらい神を信じていた。

考えてみると、今年の四月から一切神社で祈願をして貰っていない。それも悪いのかと最近とんと思う。その間に霊能者の介在があったが、それでも別に祈願くらいはしておくべきであったと思う。何故なら、とんと気分が上がらないからだ。「こんなことに意味があるのか」と疑問に思っていたけど、こんなことがおいら一般をどうも強く導き守っていてくれたように思う。この連休中に行ってみようかと思う。怖いけど、安心する場所。怖いけど、好きな神様なんだから。いろんな人の考えや思想に流されたよう。自分が正しいと思うことを実践してこそ、人は幸福なんだろうと思う。最近のおいらが不幸なのは、「心の拠り所」である場所や存在を遠ざけたからだろう。

それが今はちょっと悔しい。何に守られて、何に攻撃されているのか分からなかった。だっておいらを呪うのは現職の神職だったし、おいらを祝うのも信頼する神職さんだったから。だからそこに表裏一体を感じて、同じことではないかと思ってしまったから。頭の中から「外道」と「信頼」の文字が消えてしまっていた・・・・。それくらい膿み憑かれていたんだと思う。それはとても悲しいことでもあった。

早く辞めるように・・・・。そう促してくれていたのは信神であったのだ。それを拒み続けたのはおいら。でも仕事自体が好きだったんです。とても意義のあることだったから。

でも、そう言う気持ちや想いもきっぱり断ち切ってもう一度やり直さないといけない。もう邪悪な神主の引いた線を歩く気はない。それを歩けば死に至る。分かっていても逆らえなかった。そう昨日まで。眼が覚めました。ようやく心眼が開いたというのかな。それとも相手の力が一気に弱まったせいだろうか。

もう救われてもいいんだろう。ずっと手は差し伸べていただいていた。それをずっと拒んでいた。いいやそれすら怖かったのだ。もう怖くない。

これで自身の弱さも一新出来たら、いいんだけど。※ある神社は過去のプログのどこかにあります。

とにかくM市のS町の人はお気をつけあれ。だって日ごろ人を呪詛することを生業としてるような邪悪な男が宮司をやっているのだから、鎮守のはずの守りが、逆に衰退や破滅に力が働いているんじゃないかと思う。げんにおいらはその社の近辺に行くと正直吐き気がしますからね。その社はある意味において町の入り口を常に見下ろしてる。だから入ってくるものがいいモノはいないだろう。自殺者と落ち武者などの過去の怨霊で山は覆われている。本来それらを鎮めるためにある社の、その社の宮司が人を妬み呪っているのだからね。狂っているとしか言えない。ああいう宮司は嘆願をとって辞めさせた方がいい。それが人のため、世のためなんだと思う。もう怖くない。

もう恐れない。

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