空に問う。

空に問うても果てがない

うわぁーー

2014-11-12 09:09:05 | 日記
天候悪ぅ。体調悪ぅ。

解散総選挙やるんだろうな?国民に「真」を問う?って何なんだろう。

でもTVの報道見てて一番辛いのは、コメンテーターが揃いも揃って、選挙をするのが当たり前と言い始めたことだ。誰に媚売ってんだ。ホントに嘆かわしい。

確かに苦言も呈してる。「いま消費税増税が見送られても1年半ですよ!」って。未来が予測できるんならば苦労せんわ。「今」しか誰も考えないから・・。誰も経済学者じゃない。

ただこの国って、未だにすべて予定調和なんだよね。政策ありきで進む事がヨシとされてる。なんか可笑しいよね。政治(まつりごと)が一番古い因習があって、呪いそのものみたいなもんだ。やっぱり魔物が棲んでいるんだな。永田町界隈。

に、しても天候悪ぅ。体調悪ぅ。

禍々しい風が吹くと判るんだよね。海辺に棲んでいるけど、強い海風と、強い海風の中に「何か」含んでる時がある。今朝の風がそうだった。時たま、家の周りを風が巻く時もある。まるででかい蛇にぐるぐる巻きにされているみたいにね。本当に禍々しいったらありゃしない。

おいらVS呪う●●って図式や構図じゃなくて、神VS神になってんのかな?土地VS土地かも知れない。

知り合いの髪結いの先生が「太鼓谷稲荷と出雲大社は活性化してるから行かない方がいいよ」と言ってたなぁ。活性化の意味はよく分からないけど、脈動してると言うのならば判る気もする。でもさ、本当ならば挟み撃ちじゃないか。

けれど太皷谷稲成はたまに呼ばれることはある。まあ静かではないのかな。今思うと、呼ぶのは「元宮」の方だけどね。参拝すると「木」の匂いが迎えてくれる。まあ本殿もちゃんとお詣りする。礼儀として儀礼として。でも元宮の前に立つとしゅッとする。変わり者だから呼ばれるのかな?確かにメジャーな神社は願い事を聞き届けてくれる。でも「何か」一つ大切なものを失う。そういう覚悟で挑んだけど、予想だにしない展開で少しびっくりした。ただ単に死ぬのかと思ってた笑。

まあ大義の前では人間は無力。あんまりするもんじゃないと思うけど、そう言う不思議な体験をした二年間でした笑。それにしても大きな願い事だった。「石見(地方)を元の清浄な場所にお戻し下さいませ」なんて、一個人が願う事じゃないよね。まあ、この願いは別段稲荷神社のみでしたわけじゃない。大田市(物部神社)・江津市(多鳩神社・岩根神社等)・石見町(諏訪神社)浜田市(大祭天岩門彦神社・社家地八幡宮・浜田八幡宮(氏神さん)大麻山神社、三隅神社、諏訪神社等)、飛んで津和野町の太皷谷稲成さん。

おいらを良く知る人ならば益田市を飛ばしてるのが笑えると思う。何故か、益田の神さんには呼ばれなかったし、本社があるのにあまり詣らなかった。これは未だに意味がよく分からないけど、でも縁はないような気はするし、土地に拒絶されてるような疎外感を感じてしまう。人間ってどこかで「ここがおいらの生きる場所」って本能的に分かるものじゃないのかな。そう言う意味では石見地方の中で絶対にあり得ない。因習というか風土というか・・合わない。まあご縁はあったのかも知れないけど、とうとう最後までおいらには判らなかった。禍根や悪縁ならば判ったけどね。でも元の職場にいた頃の最後の方で人麻呂神社と染羽天石勝神社には行った。行くべきではなかったのかも知れないけど、きっとこれが益田市との決別だと思ったからお礼に行った。この二社は何度か訪れたことがあった。きっと由縁はあったのだろうが、不思議と忘れていたんだな笑。本当に複雑な気持ちになった。でももう試せないことだからしょうがない。

最後の方で引き留めようとする力もあったけど、それはおいらの願う望みではもうなかったから断った。おいらがいると呪う●●がますます活性化する。そして今度こそおいらは命を落とした事だろう。願いの代償も命だったのかも知れないけど、それはすんでのところで見逃して貰えたのだから、それこそ感謝しないといけないんだ。体質が体質だから、邪な人の近くにいたら、厄や悪意や禍いは倍増する。

でも代償は痛かった。少なくとも一人は巻き込んだし、迷惑もかけた。ほかの人からすれば「???」な顛末だったろう。でも仕方ない。それはおいらが決めることではないし、おいらが不要にされた真の意味は、これからの人生で明らかになるんだろうし。まあ叶った願いは期間限定。あと2,3年の事なんだろう。でも確かに願いの一部でも叶ったんだし、奇跡はちゃんと起きたんだ。それだけは忘れちゃいけない。あとはおいらの知るべき事じゃないしね・・・・。どうなろうと残った者等が決めることだ笑。

でも今回はおもしろい経験をした。墓前で泣くとかならば意味が分かるけれど、最近は神社へ参拝へ行くと涙が出る。三宮さん、社家地さん、大麻さん、人麻呂さん。ここへ行くと堪えきれなくなって泣いてしまう。物部神社で泣けないのは少し残念だけど、ここでは冷静な勇気を貰えるからいいのかな。どんな自分であっても許してもらえる、おいらの心の神さんが座す社だから。もし物部神社で泣く日があれば号泣だろう笑。

泣いてしまう神社って、どうも神様との神気やら波長が合うと言われてる。それは本当だろう。んだろう。でも今度お詣りするときはもう泣かないだろうとも思う。叱られたような、謝られたような、許されたような、そんな気持ちがしたからだ。だけど、もうおいらは外側の人間になったから、次からは涙は出ないだろう。

今は浜田に留まるべきか、新天地で新しい人生を始めるのか、とても迷っている。犠牲になるのも、犠牲にするのも、もうなんか嫌だな。今も幸せだけど、もっともっと幸せになるためには、もうふるさとが窮屈になってるのも確かなことだ。だってもう神は今のおいらを呼んではくれない笑。

でもやっぱり墓参りするたんびに不幸な出来事が起こるから、せめて今年は神様で埋め尽くす一年にしよう。

体調悪いと怖いんだ。また親類が死ぬ預言でなければいいのだけど・・・・・・・。


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