『夢は叶う伝説』★第2巻★

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■弘法様・仏教

■ 奈良・吉野/金峯山寺・蔵王堂

2019年12月03日 01時20分30秒 | 旅行&お出掛け 2011~2017


堺から吉野まで、従姉妹の息子の運転で家から吉野まで^^



お会いして参りました。「青不動さま」

来て良かった! (基、連れて来てもらって^^)



履物入れとして頂けます。勿体ないから使いません^^



桜の季節も、秋の紅葉も、冬の木々も、好き!

11月30日が最終日。もう扉は暫く開きません。

三度目。気が済んだ^^ お陰様で~~



山が高いせいか「緑と赤が濃い」 いい色でした~



役行者様のお山



どこまでも「吉野」



従姉です^^



従姉と長男! 美人さんです!! いい男です!!

お見せ出来ないのが残念。 また明日



●追加・動画 鳥取県「三徳山」



鳥取県、三朝温泉の近く。
ここも、吉野「金峯山寺・蔵王堂」と同じく「役行者」開祖の寺です。
通称「投げ入れ堂」 役行者が「投げて建立」の伝説あり^^

「馬の背」と言われる三角の頂点の道を登る!
20代に、鳥取に住む学友を頼りに登りました^^
彼は、現在この「投げ入れ堂・修復工事」に参加中です!


「役行者」

役 小角(えん の おづぬ /おづの /おつの、舒明天皇6年(634年)伝 – 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、飛鳥時代の呪術者である。役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)といった呼び名でも広く知られている[2]。姓は君。 日本独自の山岳信仰である修験道の開祖とされている[3]。 実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。前鬼と後鬼を弟子にしたといわれる。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。



奈良から天王寺までの道を作った「聖徳太子」
空に天に、向かって寺を築いた「役行者」
・「無」から生涯をかけ、祈りの為の「社寺」を造る。
今も大切に「お守り」される信者の方々が。
日本人の「誇り」です。
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7 コメント

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青不動さま (流生)
2019-12-03 07:35:30
ちー姉ちゃん
おはようございます。

「青不動さま」
拝顔できたんだね。よかった!よかった!
神々しいお姿 ため息でたでしょ^^

写真も鮮明に撮れてるね。ナイスショット😆
従姉さんお若い!
息子さんイケメンさん。
ちー姉ちゃん
幸せもんだよ。一人では叶わないことを快く。人望か?ちー姉ちゃんの。😊

ちー姉ちゃん
今日もいい一日になりますように。

行ってきます! (*´▽`*)
返信する
流生さま (ちー)
2019-12-03 09:27:49
お早うございます。
子供が小さい頃は、従姉の息子達とも、ガヤガヤ^^
従姉は息子2人、我が家は男女と、年齢が近いので。
従姉の下の息子が、一時、東京に居た時は、よく
会ってたし、息子同士で連絡もとっていた様です。
今回は夫婦でインフル!会えないかなと思ったら
わんこの散歩でばったり~顔だけは観られました。
同じマンション地域に親子で住むって便利そう^^

今回、車を出してくてたY君は「御朱印」が趣味^^
娘は医師と結婚でオランダ在住。
先週は、車椅子の従姉2人を「比叡山へ!」
行動力が凄いので、いつも助けて頂いてます。
仙台生まれの母の兄弟は、もう誰も居ません。
従姉同士の何人かが繋がってます。
これも私の代で終わりかな。ここまで続けば良し!
お世話になりました

流生ちゃんは、おばちゃんが居る^^
お互いに、少ない縁者を、大事にしようね
ありがとうございました
いってらっしゃ~い
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流生さま・追記 (ちー)
2019-12-03 11:04:45
追記しました。
「役行者さま」
奈良は今回の様に、車で行かれるようになりました。
でも、追記の「投入堂」は、登山のみ!!!
20代だから登れたけど・・・
修復チームに学友が参加しています。現役~~
20代に、鳥取砂丘・投入堂などを案内して頂き
泊りは、学友の家の「馬小屋の2階」
・村内放送で~「東京から客が!」驚き^^
懐かしい「青春です!」
返信する
Unknown (みゆきん)
2019-12-03 15:24:55
良いトコに行ってきたね
生きてる間に行けるかな?
心が洗われるような気さえするわ
チー姉さんのイトコさん
ぼかしてもイケメンに見えるよ♪
返信する
みゆきんさま (ちー)
2019-12-03 16:22:21
今日は。
天狗の様に、山を飛んでる?役行者がすきです。
確実に「過去」この山に居た! その地に行きたい!
高校時代から「寺のスケッチ」ばかり、してました。
宗派は問わず、人物の好みで寺回りばかりの人生。
奈良の大きな建物の中に「経本」の「版木」だけ
保管されている建物があります。そこの最上階の隅で
昔からの「版木」で「経本」を刷る方が居ます。
首には大きな玉の数珠をさげ黙黙と「経本」を刷る
今回は行かれませんでしたが「時間が止まってる」
そんな雰囲気。昔、1枚だけ頂きました^^
大事に大事に保管してあります。
「続ける」大切さを、改めて感じる奈良でした。
ありがとうございました
返信する
頑張りましたね~ (ケンスケ)
2019-12-03 20:23:23
行ったのですね
親類の方々と一緒なら尚更嬉しいです
趣のあるお店で、元は宿坊だった?
いやいや旅籠だったのかな
素晴らしい景色です
歴史は詳しくないけれど素敵な所ですね
青不動には驚きです
ところでちーさんの記事が時間を遡っても出てこないのは何故だろう

返信する
ケンスケさま (ちー)
2019-12-04 00:49:59
今晩は。
遡って見られませんか?
私のPCは観られます。 まさか・・・
一時の通信不能かも^^
私も、たまに有ります! 何かで拒絶されてる?
でも数日後には見られたり^^ 
gooは閉鎖しないだけました!

弘法大師さま、も好きですが役行者も好きです。
名を残す「仏教の師」は何方も行動派です。
寿命・食べ物・医療・通信・移動など考えたら
中国へ渡った弘法さま、最澄さん。山地を飛ぶ如く
移動された役行者さま。もっと前の聖徳太子は
奈良から大阪の天王寺まで!1400年も前です。
随分前に、太子の時代ではと言われる「軒先」
・どぶさし・の跡が見つかり大騒ぎでした。
名を残し、寺を残し、道を残し、書を残し。
「賢者」の勤めでしょうか。今でも「名」が残る。

画像の店は、吉野「金峯山寺・蔵王堂」より下る
道沿いにあり、宿と店舗を兼ねる「宿坊通り」です
信仰される「行者さん」が宿泊。
動画の「投げ入れ堂」ここは今でも記憶が鮮明です
「馬の背」と言われる△の頂点の道を鎖を握り登る
20代だから登れた!その時に案内してくれた学友が
現在、修復工事に参加されています。
今でも仕事を続けている学友は万博や社寺、学校
など公共的なチームに参加。個人で経営するには
厳しい時代です。ケンスケさんは個人で運営!
凄いですよね。 2泊、堺の従姉宅で、お世話に。
写真の従姉は仏教学校卒なので、私の先生^^
母も兄姉が健在の頃は、仙台と大阪に行ってたので
私も^^ 「青不動さま」本当に凄い迫力です!
お堂に入り、順番を待ち、正面から座って「拝顔」
更に「大きく青く」見えます!! たまらん~~
ありがとうございました
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