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「がんばれ!わたし。」

本来怠惰な自分が頑張るために。

おばあちゃん、退院。

2006-02-18 15:57:38 | うちの年寄り
今、義母を迎えに行って来ました。
義父と言えば、寂しかったくせに何か指図して威張ってます。
こりない人です。

嫁は退院の手続きやら荷物の整理やら大変だったんだぞ~!

「がんばれ!わたし。」

あのころ・・・。Ⅶ

2006-02-18 09:58:23 | 乳癌
長女が遠くで働いている。帰って来ることを許さなかった。彼女にとっては母親の一大事である。詳しいことも伝えられず、長女でありながら妹に託さなければならないことに不甲斐なさを感じていたに違いない。こちらとしては、責任ある仕事を任されていることを承知していた。とにかく大げさに受け止められることを避けるようにつとめた。

「 遠き娘(こ)の不安の様を思いつつ 母は元気とテレパシーを送る 」

                      つづく
「がんばれ!わたし。」


あのころ・・・。Ⅵ

2006-02-16 09:14:57 | 乳癌
固定していた腕も自由になった。血抜きの管が2本身体から袋につながる。点滴の管が絡まないように気を付ければトイレにも行ける。まだ、48時間経っていないかもしれない。痛みがほとんどない。あの脊髄につながっているカプセルはネックレスのように首にぶらさがって威力を発揮。麻酔の技術に感服。

看護婦さんがカラーボールを持ってきた。ボールを握るところからリハビリが始まった。天井を見つめるのもあきて、点滴の速度を速めてやろうかと大人げない感情が横切る。

「 病室(へや)にひとり 薬の滴ぽったんぽったん 羊のごとく数え明ぐ 」

                     つづく
「がんばれ!わたし。」

あのころ・・・。Ⅴ

2006-02-15 12:18:32 | 乳癌
24時間後、側に姉がいた。コンコン。「どうぞ。」姉が向かい入れる。カーテンがしずかに開く。知らせてなかったのに何処から聞きつけてきたのか?「来てしもた。」 わたしの笑顔が引き金になったのか、私の境遇を知る友が涙ぐむ。姉が友の話し相手になってくれた。

「 恐る恐る覗きし友の鼻赤く 交わす言葉に よかったとつぶやく 」

自分が思うより周りは複雑な空気が漂っていたようだ。

                  つづく
「がんばれ!わたし。」


あのころ・・・。Ⅳ

2006-02-14 08:59:28 | 乳癌
手術台に寝かされた。ひんやりした空間。今までにない凛としたスタッフ達。病院の職員の中でもエリートなんだろうなぁと感じた。

「まな板の鯉」とはこの事か。このまま目が覚めないかもしれない。薬のせいか不安がまったくない。少しイタズラ心がわく。よく麻酔が何秒できいて来るかをテレビなどで演じている。「ひとつ・ふたつ・みっつ・・・・~~~~。」自分はいくつ数えられるだろう。「○○さん。麻酔、はじめます。楽に息をして下さい。」
さて、挑戦。 数を数えるどころか最初の一呼吸でシャッターが降りた。

次女が私の友人二人に御礼を言っている話声。もうろうとした意識の中、私も「ありがとう。」と声をしぼり出した。
生還!

                      つづく
「がんばれ!わたし。」

あのころ・・・。Ⅲ

2006-02-13 00:26:18 | 乳癌
告知を受けてから入院まで数日かかった。その間、主人の落ち込み様は悲劇の主人公である。有る意味そうではあるが当事者がさばさばしているのに困ったものであった。

長かった髪をセシールカットまで短く切り、会社関係・親戚・友人宛の年賀状を300枚余り、筆を用意して入院した。お陰で暇はつぶせた。

二、三日の検査を終え手術前日には一人でいる病室に看護婦や医師が何度も覗きに来る。大した用事も無いのに・・・・・。

手術前の脇そりをしてくるように言われる。院内の風呂へ行く。誰もいない風呂であった。

「 病院の風呂 脇剃りし我ひとり 貸し切り状態 つかの間の贅沢 」

どきどきもせず、ぐっすり眠る。

手術前に脊髄に麻酔のカプセルにつながる細い管を射す。これが後から威力を見せる。

いよいよ車椅子が迎えに来た。次女がひとりで見送ってくれた。

私は、三人の子どもを母乳のみで育てた。産院からおみやげに貰った粉ミルクも使った事がない。よく働いてくれたオッパイが愛おしかった。
「ありがとう。・・・ごめんね。」

「 三人の子を育てし乳房に感謝 手のひらに覆い 手術場へ向かう 」

                      つづく
「がんばれ!わたし。」


あのころ・・・。Ⅱ

2006-02-11 01:15:04 | 乳癌
結果はやはり「癌」であった。乳房全部を摘出。主人は医師に「乳なんて残さんでもいいからごぼーっと取って、ごぼーっと。」・・・・。横にいた私は苦笑するしかない。姉はさすがで「先生。脇の下に真横に切れませんか?」首周りの開いた服を着ても気にならないようにと配慮してのことである。それは叶った。

年寄りは自分等のことは心配せんでもいいと言うけれど、買い物も食事の用意もできないのが現実。順調に行っても一ヶ月はかかり、退院後も通常の生活をすぐに始められるはずもない。ようやく説得して市内の施設に3ヶ月行くことを承諾させた。

「 年老いた義父母(おや) 嫁の大病におろおろと 留守番もできず 施設に移る 」

後は入院の準備、いや、入院するまでに一応整理をしなければならない。会社の事務の引き継ぎや家のこと。アドレナリン出っぱなし。
咳が以前からよく出ていた。いやな予感・・・・肺に転移?
                               つづく
「がんばれ!わたし。」

あのころ・・・。Ⅰ

2006-02-09 20:14:19 | 乳癌
怠惰な自分から脱出するためにブログをはじめたのに更新をまめに出来ない。
ちょっとふてくされぎみ。
あのころの方がまだ前向きな強い自分がいた。

平成14年11月に入浴中、湯船の中にて右乳房にうずらのたまご大のしこりに気づく。「乳癌」と確信する。翌日、一人で病院に行く。検査だけで後日の結果待ち。帰りに実家に寄る。乳癌の先輩である姉に報告。私の乳房を手の平で確認する姉。母が亡くてよかったと思った。

「 先輩の 姉の涙に母を見て 今亡きことを安堵(あんど)に思う 」

姉にはこくな思いをさせたが先輩の姉のお陰でふしぎと不安はなかった。ただ、主人の両親を引き取ったばかりでそのことが問題だった。

                       つづく
「がんばれ!わたし。」