つなぎの英語 ~NY NY 10016~

旅するように生活したニューヨーク。このまちで使い慣れた英語表現を紹介しながら、「NY的なるもの」への熱い想いを綴ります。

ニューヨーク・スタイル「つなぎの英語」NO. 15

2005-02-22 15:11:33 | ニューヨーク
 「つなぎの英語」は毎週日曜のアップ(発行)のつもりで続けてきましたが、20日の日曜日はちょっと out of town で、お休みしてしまいました。わざわざお越しいただいた方にお詫びいたします。でも、こういうことはこれからも起こりえますので、気長に、よろしくお付き合いくださいね。

 さて、今回の話題に入ります。which とか who とか文法に出てきそうで頭が痛くなります。でも、ことばとして覚えちゃえばいいんですよね、文法としてじゃなくて。そんな関係副詞、関係代名詞ならぬ“関係ナイベーシ”をいくつか。

●How come?

 How come? I didn't expect it.「なんでそうなるの。そんなこと思ってもいなかった(意外だね)」。How come? は How does it come? を省略したものですが、よく使われますね。why? と同じニュアンス、「またぁ、どうして~?」という軽い感じ。
 She won't join our party. Really? How come?「彼女、パーティに来ないって?」「ええ?、なんでぇ?」。won't は will not の短縮形です。

●Who knows?

 以前も試みた三題話になりそうですが、彼女がパーティに来ないと分かってその理由を聞かれた彼、Who knows?「知りやしないよ」。「だれが(その理由を)分かるってんだよ」と、なかばやけっぱちというわけです。I don't know. でもいいけど、こう言ったほうが驚いている様子が伝わりますね。

●... which means, ...

 Oh, she won't join our party, which means, we are going to have a stag party.「おやおや、彼女が来ない。ということはこのパーティ、男ばっかりになっちゃう」。前段の話を横で聞いたもう一人がつぶやきました。which means は「つまりは……」「ということは……」と続けるときに使います。

 なお、stag party は男性だけが集まるパーティのことで、stag は「雄鹿」のこと。女性が強い(?)欧米社会では、女性を敬遠した男性だけの集まりを好んで催す傾向もあります。カントリークラブ(ゴルフクラブのこと)、シガークラブとかのいわゆる Men's Club で、最近まで上流階級の社交クラブにそういう集まりが多かったのですが、女性側からの反撥を買って、最近は女性にも開放するようになってきました。

●What's your point? /The point is ...

 What's your point?「なに言いたいんだい?」。stag party になっちゃう、とつぶやいたのを聞いて問い詰めたわけです。point は「論点」「主旨」で、合理的・理詰めのニューヨーカーはよくこう言って相手の意見を明確にさせようとします。ビジネスの場で、立場を曖昧に表現する日本人ビジネスマンがよく、こう問いただされますけどね(私も経験あり)。
 What's your point? と聞かれたら、The point is ... と、やはり理詰めで答えなければなりません。The point is, she is supposed to take her friends to the party. I mean, girls.「というのは、彼女は友だちをパーティに連れてくることになっているんだ。女の子たちなんだけど」。お気の毒に、彼女が連れてくる女の子たちを期待していたわけ。

●What if ...

 What if we were to have a party as scheduled ... it would be a wet blanket.「予定どおりパーティやっちゃうとなると……しらけちゃうかもね」。what if ... 「もし……ということだったら、……じゃないか」という、単に if ... よりも、ちょっと因果関係を強調した独特な表現。なお、we were to ... は「……したら」という仮定の形、as scheduled は「予定どおり」、wet blanket は「濡れた毛布」つまり“おぞましい”“しらけた”様子のこと。
 女性のみなさん、男の子のパーティに誘われて「友だち(女の子)連れてくよ」と約束したら、自分が行けなくなっても友だちには行ってもらってくださいね。



●ニューヨークの日系コミュニティ NOW & THEN その14

 いよいよ70年代に入り、日本の高度成長期となります。アメリカはベトナム戦争で傷つき、日米関係も貿易摩擦が表面化するなど、新たな時代に入ることになりました。円高が急激に進むプラザ合意のころまでの日米関係をみてみます。

1972
ニクソン、訪中、訪ソ。テルアビブ空港で岡本公三らによる乱射事件
昭47。グアム島で横井庄一元日本兵発見。札幌冬季オリンピック開催。連合赤軍浅間山荘事件。田中首相訪中、日中国交正常化。「日本列島改造論」ブーム。近畿日本ツーリスト「ホリデイツアー」発表

1973
ベトナム停戦協定調印。ドル10%切り下げ。ウォーターゲート事件公聴会開始。第4次中東戦争でオイルショック
昭48。日本政府、円を変動相場制に移行、1ドル277円でスタート。海外渡航出国者228万人で史上最高
NY、ワールドトレードセンター完成。NYキタノホテル・オープン

1974
ニクソン大統領、ウォーターゲート事件で引責辞任、後任にフォード就任。
昭49。フォード現職大統領として初来日。田中金脈問題で田中首相辞任

1975
プノンペン陥落、南ベトナム、サイゴン政権が無条件降伏
昭50。昭和天皇・皇后初の訪米。フォード、日米友好法に署名。乗用車の対米輸出80万台となり米の輸入台数の50%を超える。パンナム、NY/東京間ノンストップ便開設
NY、OCS NEWS創刊、日本語TV、NTI放送開始。NY日本人学校創設

1976
昭51。米、建国200年記念事業。フォード、第2次大戦中の日系米人11万2千人の収容命令を無効とする宣言に署名
ロッキード事件発覚、田中元首相逮捕。日米特殊鋼輸入規制で合意

1977
昭52。カーター、大統領に就任。200カイリ日米漁業協定調印。日米カラーテレビ輸出自主規制交渉。樋口久子、全米女子プロゴルフ選手権で優勝
NY、読売新聞が米国現地印刷開始

1978
昭53。1ドル175円を記録。米、ドル防衛策発表。カーター大統領、航空規制緩和政策。日米農産物交渉妥結。海外渡航外貨持ち出し制限を撤廃。成田新空港開港。全日空の子会社、全日空ワールド発足、「全日空ハローツアー」を発表。

1979
昭54。エズラ・ヴォーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」刊行。米中国交関係樹立。「日米賢人会議」、経済摩擦解消を協議

1980
昭55。米、上下両院で日本車問題公聴会。日本政府、自動車業界に対米輸出自粛を要請。外国為替、外国取引の原則自由化始まる。
日米、モスクワ・オリンピック、ボイコット。ジョン・レノン射殺。ビジネスクラスを加えた航空運賃の3クラス制導入。「ショウグン」全米で大ヒット

1981
昭56。レーガン大統領就任。日米自動車問題自主規制交渉決着。1ドル200円台を突破
NY、日米ソーシャル・サービス(JASSI)創設。NY紀伊国屋書店、ロックフェラーセンターにオープン

1982
昭57。1ドル278円の円安を記録。ホンダ、米オハイオで操業開始、米初の日本車を生産
NY、主婦の友NY友の会創設

1983
昭58。米議会、戦時の日系市民の強制収容は不当と結論。日産自動車テネシー工場が操業開始
東京ディズニーランド開園。レーガン大統領訪日。日本航空がビジネスクラスとなる「Jクラス」、「エグゼクティブクラス」を導入

1984
昭59。ロサンゼルス・オリンピク開催。日本鋼管、ナショナルスチール社株の50%を取得。レーガン大統領再選

1985
昭60。NYでのG-5プラザ合意(ドル高是正)、円高基調強まる
NY・マディソンスクエアガーデンで千代富士らが「大相撲NY場所」。NY商業会議所、第1回アニュアルディナー
この年度、海外旅行者(出国日本人)数495万人
NY、「ニューヨーク読売」(のち「読売アメリカ」に名称変更)創刊

1986
昭61。NY市場で円が1ドル198円台に。三井不動産、NYエクソンビルを取得
東京サミット。日本、国連安全保障理事会理事国選挙に当選。ユナイテッド航空がパンナム太平洋線を引き継ぎ就航。全日空初の国際線定期便がグアム、ロサンゼルス、ワシントンに飛ぶ。海外旅行者数500万突破。バブル景気始まる
NY、朝日新聞、読売新聞、衛星版発行開始



ニューヨーク・スタイル「つなぎの英語」NO. 14

2005-02-13 18:59:50 | ニューヨーク
 日常生活でなかなか英語を口にする機会はありませんね。でも、焦ることはないと思います。この講座に出てくる表現は、なにかのときにふと思い出す……たとえば映画を見ていてとか、町なかで英語を耳にしたとき、あるいは生活のシーンでふと……それだけでもいいと思っています。のんびり行きましょう。

●I'm off today.

 I am off today.「きょうは休みだよ」。off は、離れている状態、off duty (仕事などの)義務から免れている、つまりお休み。"off" のついでですが、ニューヨークの地下鉄ホームに "Off-time Waiting Area" という表示のある場所があります。これは深夜早朝など人気の少ない時間帯に電車(24時間運転)を待つ場所で、ひときわ明るい照明が施されています。ニューヨークが安全になったとはいえ、off-time(閑散時間帯)の地下鉄利用はやはり避けるべきです。そうした一人一人の注意があってこその安全なんですね。

●I'll be out.

 I'll be out at that time.「その時間はいないよ」。ン時ごろ寄ってみるよと言われて、出かけてていないよ、というわけ。I'll not be in. も同じで、out と in で「外に出る」「中にいない」と使えます。なお、流行に遅れている人やモノのことを out とレッテルを張りますね。逆はもちろん in です。

●I'll go for ...

 レストランでの注文、ふつうはたとえば I'll have a Roast Beef. とオーダーしますが、たまには I'll go for a Roast Beef.「私、ローストビーフがいい」と表現を変えてみてはいかが? go for ... は「……に賛成、味方する」。ヤンキース対メッツ、I'll go for Mets. なら「メッツを応援しちゃう」になります。

●Keep in touch./Take care.

 Take care! We'll keep in touch.「元気でね!ときどき連絡して」。keep in touch は、接触を保つということで、ビジネスで知り合った者同士だと「今後ともよろしく」という感じになります。単に Keep in touch! でもいい。別れぎわの「またね!」です。なお、Take care!(正確には Take care of yourself.) もよく聞く別れぎわの挨拶で、親しい友だちなどに「じゃあね」といった感じで使います。

●Just leave it./Leave me alone.

 荷物を置いたままちょっと席をはずしたい、「これ、ここに置いといていい?」と聞こう。ん? Can I place my baggage here? かな、Can I put my baggage here? じゃ変だな……様子を察した相手、Just leave it.「置いときなさい」。“置く”にこだわってしまったんですね…… leave にはそのままの状態にしておくという意味もあります。Leave me alone.「ほっといて」「一人にして」はよく聞きますね。

 ところでニューヨークに限らず海外では、決して荷物やかばんをほうっておけません。一瞬のスキを狙う置き引きがいるからです。ニューヨークの公衆電話 public phone で、地べたに立てて置いたアタッシュケースに片足をかけて電話するビジネスマンをよく見かけます。カッコつけてるぅ~と思っていたら、実はこれ、置き引き・窃盗予防でした! 私も街頭でかばんを道に置くときは必ず、両足で挟む癖がつきました。

●Give me a break.

 Give me a break.「ちょっと休憩させて」ですが、これから転じて「ちょっと待ってよ~」と、相手の一方的な要求や言い分に“待った”をかけるときにも使います。Oh no, give me a break. It is now my say.「ちょっと待ってよ~、あたしにも言わせてよ」というわけ。say はこの場合「言い分」です。



●ニューヨークの日系コミュニティ NOW & THEN その13

 日米講和でやっと戦後日本の再スタートとなりました。今回はその後の約20年間、沖縄返還までの日米(&ニューヨーク)関係をみてみましょう。

1952
ウォルター・マッカラン移民法成立、日系一世の帰化権認められる。日本、IMF、世界銀行に加盟
昭27。羽田空港、連合軍から返還
NY、日本国総領事館開設。ジャパン・ソサエティ会長にJ・D・ロックフェラー3世就任

1953
昭28。日米友好通商航海条約調印。日本航空株式会社法で日本航空を特殊法人として設立
NY商業会議所再興

1954
昭29。日本航空、初の国際線1番機がサンフランシスコに飛ぶ。マリリン・モンロー来日。第5福竜丸、米水爆実験により被災

1955
昭30。米、対日関税引き下げ実施。日本、ガットに加盟。ソニー、世界初のトランジスター・ラジオ開発
左右社会党の統一、自由民主党結成で「55年体制」がスタート

1956
昭31。日本の国連加盟全会一致で承認。経済白書「もはや戦後ではない」。対米繊維輸出自主規制

1957
昭32。日本、国連安保理事会非常任理事国に当選。対米綿製品輸出の自主規制措置発表
NY日本クラブ、再興

1958
昭33。トヨタ、日産が対米輸出開始。岩戸景気始まる
NY、高島屋創業

1959
昭34。日本、貿易の自由化開始。日本航空ロサンゼルス線開設
NY、パナソニック、ミノルタなど進出

1960
昭35。岸首相、日米新安保条約、地位協定に調印。資本取引の自由化進む。池田内閣、国民所得倍増計画を決定。皇太子夫妻、アイゼンハワー大統領の招きで渡米。J. F. ケネディ、大統領当選

1962
米、初の人間衛星船打上げに成功。日米相互関税引き下げ協定調印。堀江謙一、ヨットで太平洋横断。キューバ危機

1963
日米間初のテレビ宇宙中継に成功、その放送でケネディ暗殺ニュースを受信。ジョンソン副大統領、大統領に昇格
NY、リンカーンセンター着工

1964
米、人種差別に対する公民権法成立。トンキン湾事件で米機、北ベトナム基地爆撃。ジョンソン大統領当選
昭39。日本、IMF八条国へ移行、OECD(経済協力開発機構)に正式加盟し、解放経済体制へ。海外観光渡航を自由化(年1回500ドル以内の制限付き)。日本交通公社(JTB)、斡旋業務委託取り扱い開始、米国進出。日本航空、NY線開設。日米間太平洋横断海底電話線開通。東海道新幹線開業。東京で第18回オリンピック大会開催。流行語「ウルトラC」

1965
米、ベトナム「北爆」本格化。新移民法(移民規制緩和)成立。公民権法成立。
中国で文化革命始まる
昭40。日本航空、パッケージツアー「ジャルパック」発表。ミニスカート登場

1966
昭和41。日本、海外渡航外貨枠年間500ドルを1回500ドルに、年1回の制限を撤廃。太平洋線にGIT運賃設定。日本航空NY乗り入れ第1便が羽田を出発。総人口1億突破。NHKテレビドラマ「おはなはん」大評判

1967
米、大都市で黒人暴動頻発。
昭42。日本、第一次資本自由化。日本航空、世界一周線開設(72年まで)。

1968
米でキング牧師、ロバート・ケネディ暗殺。ベトナム北爆全面停止。ニクソン、大統領に当選
昭43。JTB、日通が「ルック」発表。川端康成、ノーベル文学賞受賞。府中で3億円強盗。成田闘争、学園紛争発生

1969
ニクソン大統領就任。アポロ11号、初の月面着陸。対米鉄鋼輸出自主規制

1970
昭45。日米繊維交渉。米、日本製品をダンピングの疑いで規制強化。ソニー、日本企業初のNY証券取引所に株式上場。
大阪万国博覧会開催。赤軍、日航よど号ハイジャック。パンナムのジャンボ機、羽田に初飛来。日本航空、ジャンボ機を導入、大量輸送時代の到来。日本人海外旅行者数64万人。三島由紀夫割腹自殺

1971
昭46。沖縄返還協定調印。ニクソン・ショック、金・ドル交換停止。日本政府、円の変動相場制を発表。日米繊維交渉、繊維業界の一方的自主規制宣言
ワシントン10カ国蔵相会議で1ドル=308円と決定



ニューヨーク・スタイル「つなぎの英語」NO. 13

2005-02-06 13:56:53 | ニューヨーク
 今回は趣向を変えて、海外生活のなかで日常的な英語表現を、思いつくまま集めてみました。

●out of order/fix it

 The air-conditioner is out of order.「エアコンが故障しちゃった」。order は「命令」「注文」「順序」などの意味ですが、この場合は「秩序、道理」、それが out で「乱れている」。以前に It works!「うまくいった!」という例を挙げましたが、work を使えば、It does not work. で「壊れてる」。コンピュータが故障のときは、The computer is down. と down を使います。「直してください」は Please fix it.

●Potluck

 Please join our Potluck!「ウチのポットラック・パーティに来てね!」と招かれました。Potluck は招かれた人が料理をひと品ずつ持ち寄って開くパーティ。ホスト側の手がかからないので、気軽にできます。みんなでシェアできるものを持っていきます。なお“ホームパーティ”は和製英語、通じませんよ。

●complimentary

 日本でも旅行業界系の人は“コンプリ”って言いますね。The hotel offers complimentary breakfast.「そのホテルでの朝食は無料です」。complimentary は「無料招待」「進呈」で、品物を贈呈するときに complimentary と書いたカードを沿えたりします。なお、complementary(スペルに注意!)はまったく別な単語で「補足的な」ですから、間違えないように。i(愛)のあるほうが「進呈」と覚えましょう。

●Early Bird

 最近は日本でも言いますか? よくレストランやバーで Early Bird Special なんて特別割引メニューを掲げてます。これはご存知、The early bird catches the worm.「早起きは三文の得」(ことわざ)から来ています。オープン早々から客を呼びこもうという店側のセールスプロモーション。

●shower

 There will be a shower tomorrow afternoon.「明日午後、にわか雨が降るでしょう」と天気予報。shower は夕立ちのように一時的な強い雨のこと。みぞれや雹(ひょう)にも使います。

●second to none

 英語ならではのユニークな発想。second to none「“無”に対して2番目」……?「前にはなにもない」だから「いちばん(優れている)」になる。Her performance was second to none. Terrific! 「彼女の演技はベストだ、すばらしい!」。以前、ほめる表現を紹介しましたが、この terrific を忘れました。もともとは「怖い、ひどい」というニュアンスですが、ニューヨーカーは反語的に「すてき!」というときによく使います。「メチャ、すてき!」ですか。

●fingers crossed

 fingers crossed 文字どおりだと指を交差させること。映画かなんかで見たことありませんか? これは人さし指の上に中指を乗せたサインで「成功を祈る」こと。She crossed her fingers. というようにも使います。サインのほうは、嘘をついてなんとかその場をやりすごそうとするときに、そっと fingers crossed にする人もいるようです。



●ニューヨークの日系コミュニティ NOW & THEN その11

 ニューヨークの歴史もからませた200年余の日米交流の足跡年表その4、今回はいよいよ激動の昭和の時代に入ります。今回は第二次世界大戦(太平洋戦争)を経て、日米講和までです。

1927
リンドバーグ、大西洋無着陸横断飛行
昭和2。米英日三国軍縮会議開催。米ビクターの全額出資、日本ビクター設立

1929
ウォールストリートで株急落、米大恐慌

1930
全米日系市民協会(JACL)結成、以降日系人の権利保護・回復に貢献
NY、クライスラー・ビル完成

1931
昭6。満州事変勃発。ゲーリッグら米大リーグ選抜チーム来日
NY、エンパイアステート・ビル完成。ロックフェラーセンター着工

1932
昭7。五・一五事件。ロサンゼルス・オリンピックで日本勢活躍
F. D. ローズヴェルト、大統領当選
NY日本商業会議所創設、ラジオシティミュージックホール開設

1933
昭8。日本、国際連盟脱退
ルーズヴェルト大統領、ニューディール政策発表

1937
昭12。日中戦争勃発

1939
昭14。ドイツ軍ポーランド侵入。第2次世界大戦勃発
NY、ラガーディア空港開設。NY万国博覧会。NYと東京、姉妹都市に

1940
昭15。日米通商条約失効。日独伊三国軍事同盟調印

1941
米国内の日本資産凍結。対日石油禁輸
昭16。東条内閣成立。12月真珠湾攻撃、太平洋戦争へ突入
NY総領事館引き上げ、NY日本倶楽部、NY日本商業会議所閉鎖
NY、クイーンズに巨大国際空港建設着工(48年開設、現J.F.ケネディ空港)

1942
日系人の強制収容。ミッドウェイ海戦で日本軍敗退
NY、ジャパン・ソサエティ活動停止

1945
昭20。4月米軍、沖縄上陸。
4月、ローズヴェルト没し、トルーマンが大統領に就任。7月、ポツダム宣言発表、8月、広島、長崎に原爆投下。ソ連、対日宣戦布告、日本、ポツダム宣言受諾。マッカーサー元帥、厚木に到着。10月、国際連合発足。「日米英会話手帳」ベストセラーに
NY、北米新報(のち日米新聞)創刊

1946
昭21。1月、天皇「人間宣言」。11月、日本国憲法公布
米、第四四二部隊日系兵の表彰

1947
昭22。ノースウエスト航空、パンアメリカン(パンナム)航空、日本乗り入れ

1948
日系人の財産損失の補償法案成立。トルーマン大統領再選
NY、ジャパン・ソサエティ組織再建

1949
昭24。1ドル=360円の公式為替レート設定。古橋広之進、全米水上選手権で1500、800、400m自由形で世界新記録樹立

1950
昭25。第1回渡米留学生63人が出発。米国内でマッカーシー旋風始まる。朝鮮戦争勃発
NY、国連本部開設。日本国領事館在外事務所設置

1951
昭26。マッカーサー解任、帰国に際し20万人の見送り人。フルブライト法に基づく日米教育交換計画に調印。サンフランシスコで対日講和条約、日米安全保障条約に調印