つなぎの英語 ~NY NY 10016~

旅するように生活したニューヨーク。このまちで使い慣れた英語表現を紹介しながら、「NY的なるもの」への熱い想いを綴ります。

ニューヨーク・スタイル「つなぎの英語」NO. 12

2005-01-30 17:16:49 | ニューヨーク
 日本語でも「要するに……」とか「結局……」「たまさか……」(古い?)とか、話し始めるときよく聞く常套句があります。今回はそんな英語表現の例をいくつか。

●Actually, ...

 Actually, I was going to apologize my wife but she had run away from home.「現に、おれはカミさんに詫びるつもりだった。でも彼女、家出しちゃってさ」。Actually は「いえ、ね」とか「実のところ」とかいった使い方です。なお、アクセントは“ア”にありますが、イントネーションは、アクチュアリイーと尻上がりの感じであとの語句につなげると、ニューヨーカーっぽい。She refused to talk with me, actually.「あいつ、話し合いを拒否したんだ、つまりは」と後にもってくることも可です。

●Naturally, ...

 Naturally, she wanted to leave me.「ってことは、おれと別れたかったってこと」。前段の続きのようですね。Naturally は「なりゆきから当然」。Then, you two were divorcing? Naturally!「それ、離婚の危機?」「そういうこと!」。なお、naturally は nature からの変化ですが、発音はナチュラリイ。

●Eventually,...

 Eventually, we were about to sign the paper of divorcement.「結局、おれたち離婚書類にサインしようという段になった」。event は「できごと」ですが、「なりゆき」という意味もあり、eventually イヴェンチュアリイは「結果として」というわけ。なお、be about to ... は「まさに……しようとする」。

●Incidentally, ...

 Incidentally, we had to discuss which of us should take care of our child.「そこで、子どもはどっちが引き取るかという話になった」。まだ話が続いていますね。incident インスィデントも「できごと」で、event がより大きなできごとなのに対して「付随したできごと」。「ついでながら」という語感です。

●Accidentally, .../Coincidentally, ...

 Accidentally, our child caught the measles.「たまたま子どもがはしかにかかった」。今回は最後までこのストーリーで通しましょう。accident は「不慮のできごと」で、accidentally アクスィデンタリイは“はからずも”という語感。はしかは measles ミーズルズ、flu/cold 「風邪」のように catch/get/have で使います。All my children have had the measles.「うちの子たちはみんな、はしかはすんだ」。

 Coincidentally, she also caught a heavy cold at her parents' home.「たら、たまたまあいつも実家でひどい風邪をひいた」。incidentally に co- を付けると「同時に」の意味が加わります。
 Eventually, I had to take care of them, back and forth.「なんのことはない、おれは行ったり来たり、二人の面倒をみたわけ」。back and forth は「行ったり来たり」。

●Finally, .../Hopefully, ...

 Finally, she seems to have changed her mind, thanks to my hard work.「で、おれの甲斐甲斐しい働きぶりに、やっとあいつの気が変わったみたい」。Then, you two are going to reunion.「じゃあ、元の鞘に戻るんだ」。reunion リユニオンは、バラバラになっていた家族などが再び一緒になること。クリスマス時期、帰省がらみでリユニオンということばがよく聞かれます。Hopefully, I am expecting her to return home soon.「願わくば、すぐに帰ってほしいね」。で、この騒動はめでたしめでたし。



●ニューヨークの日系コミュニティ NOW & THEN その11

 ニューヨークの歴史もからませた200年余の日米交流の足跡年表その3、今回は大正元年から同15年の大正時代です。

1912
ウィルソン、大統領当選。
タイタニック号、氷山と衝突沈没

1913
大正2。カリフォルニア州で排日土地法成立。野口英世、進行性まひに関する研究を発表。米大リーグ野球チーム来日
NY、ウールワース・ビル完成。現グランドセントラル駅開設

1914
大3。第1次世界大戦勃発。日本、対独宣戦布告。米、中立宣言
パナマ運河開通、日本船として初めて日本郵船の徳島丸が通航
NY、紐育日本人会創設

1916
大5。日本郵船、NY出張所開設、スタッテン島クリフトンに専用桟橋
三菱合資会社NY出張所開設

1917
大6。「石井・ランシング協定」で対中国対応を確認。特使石井菊次郎、NYへ。

1918
大7。住友銀行NY出張所開設(元シンガービル内)。三共株式会社NY出張所開設(パークロウビル内)

1919
大8。第1次大戦講和成立。米、禁酒法制定(-33)。排日土地法を強化したインマン法成立。日本政府、写真結婚による女性の渡米を禁止

1920
国際連盟成立、日本加盟
三菱銀行NY支店開設

1921
割当移民法成立。ワシントン平和会議

1922
大11。F. L. ライト設計による帝国ホテル新館がオープン
7月22日、高峰譲吉、NYレノックスヒル病院にて没、享年68歳。日本倶楽部にて告別式、24日セントパトリック教会にて葬儀、ウッドローン墓地に葬られる。正四位勲三等瑞宝章授章

1923
大12。関東大震災
NY、ヤンキースタジアム開設、開幕ゲームでベーブ・ルース劇的ホームラン

1924
ジョンソン移民割当法成立(排日移民法)
NY、留学生のためのインターナショナルハウス設立(J.D.ロックフェラー3世が支援)



ニューヨーク・スタイル「つなぎの英語」NO. 11

2005-01-23 17:28:52 | ニューヨーク
 英語では“it”は大変便利なことば。日本語ですと「それって……じゃない?」という感じで、主語を軽く“it”に置き換えてみる……その要領がわかると、いろいろなケースに応用できると思います。

●It works!

 It works!「うまくいった」。work は「働く」で、操作とか機能がうまく動く、作用すること。You have to click the icon. Yeah, it works!「そのアイコンをクリックしなきゃ」「オゥ、できた!」。

●It makes me happy!/It sounds good!

 なにかいい話があって It makes me happy!「幸せ気分だわ~」。It makes me sad.「それって悲しい」とか It makes me angry!「怒っちゃうよ」とか応用できます。似た表現に It sounds good.「よさそうね」があります。sound は「響く」、よさそうに響く……。It sounds terrible!「ひどいんじゃない?」。

●Is it good?/It tastes good!

 Is it good? Let me try a bite.「おいしい? ひと口試させて……」。a bite は、釣りの“食い”。It tastes good!「おいしい!」。おいしいは tasty。よだれが出そうは、英語も mouth watering なんです。The dish is really mouth watering.「この料理はまさによだれが出そう」。なお、dish は皿(大きめ)ですが、料理そのものも指し、特にレストランなどの料理を dish と言います。小皿は plate。料理をみんなでシェアしたいときはウエイターに、Plates, please. We want share this.「取り皿ください」。

●It's a long story ……

 it の使い方と同時に、story の使い方を覚えてほしいもの。story には「事情」「背景」といった“実は”っぽいニュアンスがあるのです。It's a long story, I'll make it short.「いろいろあったのよ。手短に話すわ」。long story を short story に……というわけ。

●It depends.

 It depends.「時と場合によりけり」。It depends on the weather.「お天気次第」のようになります。depend「頼る」「あてにする」ので、それ次第、に。Are you going to marry her? It depends (on her).「彼女と結婚する気かい?」「彼女次第さ」。状況が相手に通じていれば単に Depends. でも可。

●It's on me./It's on the house

 あたし、払う。いや、ぼくが。今日はあたしが。ぼくの顔が立たない……美しい光景(?)。このように、喫茶店やレストランで勘定書を引きちぎらんばかりに争う。そんなときはたいてい It's on me!「あたしが払うの!」が飛び交います。そこへ店のマネージャーが登場、It's on the house. 「店が持ちます」(まさか!)。house はこの場合、店のこと。会社(例:publishing house)とか、劇場(full house=満席)、議会(Upper House=上院)のようにも使います。また in-house は「社内の」で、たとえば in-house travel agency はグループ企業の社員出張を専門に扱う専属旅行代理店のこと。

 最初のシーンに戻って、「そこまでおっしゃるなら」と相手に払わせるときは、If you insist, please do so. になります。insist「主張する」は「譲らない」ことでもあるわけ。勘定書は bill ですが、ニューヨーカーは check と言うことが多い(check には勘定書と別に小切手の意味もあります)。

 では今回はこの辺で締めましょう。この講座に付き合ってくれたお礼に、I'ts on me. Check please!



●ニューヨークの日系コミュニティ NOW & THEN その10

 ニューヨークの歴史もからませた200年余の日米交流の足跡年表その2、今回は明治元年から同45年までです。

1868
明治元年。明治維新。明治新政府樹立。「元年者」140余人が契約移民としてハワイへ渡航

1869
米国大陸横断鉄道が完成

1870
明3。森有礼、初の駐米使節として渡米
NY、メトロポリタン美術館創設

1871
明4。岩倉具視代表使節団44名、米欧回覧へ出発
NYに地下鉄開通

1872
明5。岩倉らワシントンDCでグラント大統領に謁見。NYではまげ、裃、太刀、脇差しの大名行列でNY5番街を通過
帝国領事館をNYに設置、初代領事・富田鉄之助

1875
明8。森有礼、米人ホイットニーを招き商法講習所(現一橋大学)を設立
米、ハワイと互恵通商条約締結

1876
明9。米建国100年記念フィラデルフィア万国博覧会に、日本政府支援で民間貿易業者が生糸、茶、陶磁器、漆器などを出展。福沢諭吉の薦めで森村組・森村市左衛門の弟、森村豊NYへ。

1878
エジソン、電灯を発明

1879
森村豊、村井保固と森村ブラザース創業。三井物産NY事務所設立

1880
明13。横浜正金銀行設立、同支店をパリに、同出張所をNYに開設

1882
米、中国人移民禁止法。J・ロックフェラー、スタンダード石油トラストを組織
明15。三井物産NY支店開設(同18年いったん閉鎖、同29年再開)

1883
NY、ブルックリン橋完成

1884
明17。国費英国留学のあと農商務省に入省した高峰譲吉(30歳)、ニューオーリンズ万国産業博に派遣され渡米。

1886
明19。明治政府、移民渡航条約をハワイと調印。福沢諭吉、慶応義塾を創設。
NY、自由の女神像、リバティアイランドに建つ

1889
明22。大日本帝国憲法制定

1890
明23。高峰譲吉渡米(シカゴ)

1894
明27。日清戦争(-95)

1896
明29。明治政府、移民保護法公布
日本郵船、シアトル=日本間を三池丸(3,225トン)で定期運航開始

1897
高峰譲吉、NYに化学研究所開設(C.P.W. 475番地)

1898
米、ハワイ併合。米、スペイン戦争終結、フィリピン、グアムを獲得
NY、5区合併でNY市形成、人口350万

1899
明32。高峰譲吉のタカジアスターゼ、日本で三共が販売権を得て発売。ウエスタン・エレクトリック社、日本電気株式会社を設立

1900
明30。野口英世、渡米(NY。ロックフェラーリサーチインスティチュート)
高峰譲吉、アドレナリン開発。スタンダード石油会社、日本進出

1902
中国人移民排斥法
NY、フラットアイアン・ビル完成

1903
ライト兄弟、飛行機実験成功

1904
明37。日露戦争勃発
日本、日露戦争を背景に欧米の支持を求めセントルイス産業万国博覧会に参加。

1905
明38。日本海海戦。日本銀行副総裁・高橋是清、英国にて日本公債募集、米国も引き受けに応じる。日露戦争で日本勝利。ポーツマス条約。東京電気、GEと技術提携。早稲田大学野球部、米国遠征
NYに日本倶楽部(のちの日本クラブ)創設。日本銀行設立

1906
カリフォルニア州議会、日本人移民制限法を可決。サンフランシスコで日系人学童隔離事件

1907
明40。NYにジャパン・ソサエティ(日本協会)創設。NY日本人共済会創設(現在のNY日系人会の前身)。片桐創業。10月、米で金融恐慌

1908
明41。日米紳士協定で日本人移民制限

1909
明42。渋沢栄一団長の「渡米実業団」50余名、シアトルでタフト大統領に謁見、シカゴ、デトロイトを経てNY入り。日本倶楽部、ジャパン・ソサエティなどで歓迎会。久邇宮両殿下、NY訪問、ジャパン・ソサエティ、松風殿などを訪問。

1910
明43。米人観光旅行団670人横浜到着。シカゴ大野球チーム来日

1911
明44年。日米新通商航海条約調印。野口英世、スピロヘータの純粋培養に成功
東京市長・尾崎行雄より3千本の桜が、ワシントン・ポトマック河畔に寄贈される(2回目に輸入した苗木が根づく。高峰譲吉が資金・便宜提供)。翌年、NYリバーサイドに2千百本の桜を寄贈




ニューヨーク・スタイル「つなぎの英語」NO. 10

2005-01-16 11:47:43 | ニューヨーク
 今回は、呼びかけの例をいくつか取り上げました。日本語だと、「きみたち!」「子どもたち!」「あなた!」「旦那さん!」「奥さん!」とか「学生諸君!」「労働者諸君!」(かつての寅さん)。英語ですと……

●Hey kids! Hey guys!

 よく聞くのが Hey kids! とか Guys! です。もちろんカジュアルな言い方。Kids は子どもたちに対しては当然ですが、(年長者が)十代の若い連中にもこう呼びかけます。その場合、子ども扱いしたやや挑発的なニュアンスですので、意思疎通がないと「なんだよ、オヤジ(オバサン)」と返されるかも。Guys は、親しみをこめた感じ。男性への呼びかけですが、若い女性たちにもこう言ってるのを聞いたことがあります。

●Hi, boys .../Hi, girls ...

 これはまぁ、十代の男女への親しみをこめたふつうの呼びかけ。Hi, boys. How you doing?「よぉ、きみたち。元気かい?」 How you doing? は、スラングっぽくよく聞きます。

●My darling .../My Dear .../Dear sweetheart .../Hallo, my love ...

 ご存知、愛をこめた呼びかけ。恋人、ベターハーフ Better Half に対してはもちろん、赤ちゃんからペットまで使えます。なお、Better Half は「つれあい」、とくに夫側からの表現で「女房」というニュアンス。ふつう夫婦はそれぞれからみて Wife と Husband ですが、公式な文書などで婚姻関係を示す場合は Spouse「配偶者」として、夫はだれだれ、妻はだれだれ、となります。

●My friend ...

 これは説教とかアドバイス、なにか頼みごとの相談が始まるぞという予感がしないでもない。また見知らぬ男がいきなりこう声をかけてきたら、ちょっと警戒すべき。My friend, I got something you are looking for.「よぉよぉ、いいもんあるよ(買わないか)」。

●Ladies and Gentlemen ...

 まさに演説の始まり。でもショーの始まりでもある。日本語だと「紳士淑女の皆様」「ご来賓の皆様」ですが、これでは文語調で固すぎる。もっと気楽に言えて、聞き手を気持ちよくさせる効果があります。
 豆知識。Sitting Style(着席)のディナーパーティで、ゲストたちが席に着いておしゃべりに興じている。それを見計らってホストは、スプーンでワイングラスをチンチンとたたいてゲストの注意を促し、これを合図にスピーチが始まる。日本では、まずホストの挨拶(と乾杯)で宴が始まるのがふつうですが、欧米ではゲストがパーティを楽しんでいるのを確認して、ホストのスピーチがあるのが一般的です。

●Mr. President .../Mr. Chairman .../My fellow colleagues ...

 公式なビジネスの席でのスピーチの呼びかけ。President というのは社長だけではなく、文字どおり preside(会合などを仕切ること)する人も含めます。Chairman は「議長」で、男女同権で最近は Chairperson または単に Chair となります。Colleague は「同僚」、発音はコリーグです。Fellow は「仲間」「同志」。

●My fellow Americans ...

 最後に、J.F.ケネディの大統領就任演説から。My fellow Americans, ask not what your country can do for you. Ask what you can do for your country.「親愛なるアメリカ国民の皆さん。国があなたになにをしてくれるかではなく、あなたが国になにができるか、問いかけてほしい」。



●ニューヨークの日系コミュニティ NOW & THEN その9

 ここで200年余の日米交流の足跡を年表で、ニューヨークもからませながら、同時代比較の視点で概観してみましょう。今回は、その発端(江戸時代)から明治維新までです。

1791
寛政3。米船2隻、紀伊半島樫野崎に寄港(米初代大統領ワシントン在任時)

1803
享和3。米船、長崎に来航、通商を要請

1806
文化3。稲若丸、70日の漂流の後、ターブル号に救出される

1815
文化12。督乗丸の生存者、カリフォルニア沖で救出。翌年、船長ら江戸へ帰る

1823
文政6。捕鯨船レディ・アダムス号日本海域で遭難

1837
天保9。モリソン号、日本人漂流民7人を送還、浦賀沖で砲撃を受け退却

1841
天保12。中浜万次郎、米捕鯨船が救助

1846
弘化3。米捕鯨船、漂流民22人を浦賀に護送。ビッドル提督が浦賀に来航、開国を打診

1848
米、カリフォルニアに金鉱発見、ゴールドラッシュ。米・メキシコ戦争終結

1851
嘉永4。米船、中浜(ジョン)万次郎を護送し沖縄に来航

1853
嘉6。米使ペリー提督、浦賀に来航、米国書の受け渡しを主張
NY世界博でオーチスエレベーター発表

1854
安政元年。ペリー、再度戦艦を伴い来航、江戸湾に停泊。幕府日米和親条約締結。日英和親条約、日露和親条約締結

1856
安政3。駐日米総領事ハリス、下田着任

1858
安5。日米修好通商条約締結。安政大獄
NYセントラルパーク・デザイン決定

1860
安7/万延元年。新見豊前守正興など遣外使節団77名、米軍艦で渡米、ワシントンDCでブキャナン大統領に謁見、帰途NY訪問。同使節団随行で勝海舟、福沢諭吉ら96名、幕府軍艦咸臨丸で渡米。桜田門外の変。

1861
リンカーン米大統領就任
南北戦争勃発

1865
南北戦争終結。リンカーン暗殺。奴隷制廃止

1866
慶応2。幕府、日本人にとっての鎖国解除、「海外渡航差許しの触達」を発する

(次回に続く)




ニューヨーク・スタイル「つなぎの英語」NO. 9

2005-01-10 09:37:31 | ニューヨーク
 アメリカ人は人をほめるのがうまい。“けれんみ”なく一生懸命ほめて、自分の感動を伝える努力を惜しまないように思います。だから表現も豊かになるのでしょう。今回はそんな多彩な感動表現をいくつか。

●Wonderful!

  Wonderful、私たちが最初になじんだ英語表現。あまりにもふつうなせいか、ストレートにこう言うニューヨーカーは少ないかもしれませんね。同じ感動表現でも、ひと工夫しようというのがニューヨーカー。That's more than wonderful. Wonderful wonder!「すばらしいなんてものじゃない、驚異的だ!」

●Beautiful!

 これもよく使われますし、私たちにもおなじみ。優雅でなめらかな語感ですから、ゆっくり、いかにもすばらしいと気持ちを込めて表現します。“ビーユーリィフル”と、ティをリィと発音するとネイティブスピーカーのような発音になります。でも、とくにご婦人の場合、きれいにティを発音できれば、より知的で優雅な雰囲気が出るように私には思われます(そういうレディの英語を聞いたことがありまして……)。
 Beautiful! What a story! I am so impressed.「なんていいお話なんでしょう! 感動しましたわ」」

●Great!

 やったね!と指を鳴らす感じ。Great! So, when are you going to have a date with him?「やったね!で、いつ彼とデートすんの?」なお、You look great today! は「すてきね、きょうのあなた」(ファッションについて)とか「きょうは気分よさそうね」(お見舞いのとき)などと使えます。

●Excellent!

 これはオフィシャルな雰囲気。仕事がうまくできたとか、成績がよかったときのほめことば。Excellent! You carried it out very well.「よくできました!」。Carry it out はなにか(it)をなし遂げること。

●Marvelous!

 信じられないほど素敵、という感じ。発音はマーヴェラス。Marvelous! How can you be so beautiful.「わぁ、どうしたの。素敵になっちゃって!」(いつもはGパンの彼女がイブニングドレスで登場……)

 ついでに、相手のドレスやスタイルをほめるときの表現をいくつか(上記の表現ももちろん使えます)。

●Gorgeous!:ゴージャス。これはまさにイブニングドレスのときに使えます。豪華さ、華麗さを表現。

●Glamourous!:グラマラス。“グラマー”は日本で言うボインボインというニュアンスではなくて、「おとなの女性の魅力」「妖艶な魅力」を表わしています("Glamour" という女性雑誌もある)。だから Glamourous も、「ん~、しびれるね!」ってな感じ(私の個人的解釈かな?)。

●Pretty, Cute, Charming, Sweet

 日本だとなにもかも“かわいい!”ですませてしまうようですが、英語ですと Pretty だったり Cute だったり、Charming、Sweet などと、“かわいい系”も多彩。いずれも日本人におなじみの英語なので、そのニュアンスの違いを分かって使いこなすといいのですが。なお、Sweet は「やさしい」系で、You are so sweet. は「あなたってほんとにいい人」。素敵な女性からそう言われても、言外の意味、“でも、いい人ってつまんない”(男としてつきあうにはおもしろくない)は、もしかして万国共通かな?



●ニューヨークの日系コミュニティ NOW & THEN その8

アメリカン・ドリームを生きた明治の巨人
高峰譲吉と松楓殿

米国に生き、
日米両国を愛した日本人

 日露戦争勃発時、高峰は50歳。この年のセントルイス万博(1904)で、伏見宮殿下はじめ官民代表3百余名の日本参加を資金的にも政治的にも支援し、日露戦争での米国の支援を取り付けた高峰は、その報奨として万博日本館パビリオンを明治政府から譲り受けます。この京都御所の紫宸殿(ししんでん)を模した日本建築は巨費を投じてニューヨーク州メリーワルドの広大な高峰の別荘地に移築され、「松楓殿」(しょうふうでん)と名づけられました(*脚注参照)。松楓殿はその後、高峰が意図したとおり、日米政財界や学界のリーダーたちが集う場となり、訪米中の久邇宮両殿下もここを訪れ、輝かしい時代を迎えたのです。

 明治38年(1905)ニューヨークに日本倶楽部が誕生し、高峰は初代会長となります。続いて明治40年(1907)ジャパン・ソサエティが誕生、高峰は副会長になります。明治43年にはニューヨーク・リバーサイドに純日本式内装の本邸宅を着工、2年後の大正元年(1912)に竣工しますが、これもマンハッタンで日米の名士が親善の場として集う館となります。

 高峰は、東京市長・尾崎行雄を通じて贈られたワシントン・ポトマック河畔の3千本の桜の陰の贈り主(高峰が資金提供)としても知られます。またリバーサイドドライブ・グラント将軍墓碑一帯の2千本の桜も高峰の寄贈によるもので(一部セントラルパークに移植)、数千人を集めたというこの贈呈式はニュース映画となって全米の映画館で上映されたそうです。

 その後、高峰はニュージャージー・クリフトンに高峰研究所を設立し研究生活を続けるかたわら、大正10年(1921)のワシントン平和会議への日本代表団支援など、日米関係の改善にも貢献しますが、心臓病の悪化で松楓殿での療養生活に入り、大正11年(1922)7月22日、ニューヨーク・レノックスヒル病院で享年68歳の生涯を終えます。告別式は日本倶楽部で、葬儀はセント・パトリック教会で催され、ブロンクスのウッドローン墓地に葬られました。今日このウッドローン墓地には、高峰譲吉、野口英世のほか初代駐日大使タウンゼント・ハリスの墓碑もあり、「ニューヨークの中の日本」の象徴的な墓標ともなっています。

 高峰譲吉という人物は、化学者として、また実業家として、卓越した学識と洞察力で米国に雄飛し、激動期日本を近代化へと導き、世界に臆することなく堂々と相対した大きな人物でした。同時に、医学の進歩に寄与するかたわら国家間レベルでの交流促進に貢献し、高い日米交流理念を掲げ、相互理解・友好発展に尽力した存在でもあったのです。
 また一方で、彼は米国人キャロラインと結婚し子供をもうけ、米国に生きた日本人であったことも忘れてはならないでしょう。日本人が海外に渡ることが希有の時代、日本人の心と誇りをもって日米両国を愛した先駆的日本人、それが高峰譲吉でした。

*松楓殿
 松楓殿は、ニューヨーク州サリバン郡メリーワルド――ニューヨーク市から北東へ車で2時間ほどの、由緒ある広大なリゾート別荘地の森の中に現在もあります。1922(大正11)年に高峰譲吉が享年68歳で病に没したのを境に、高峰一族は離散し、一財閥を形成するほどの膨大な遺産も雲散霧消し、松楓殿は高峰家の手を離れました。日本政府にも在留邦人にも忘れられていた松楓殿は、証券格付けで知られるムーディーズ社創業者一族がオーナーとなるなど、米国の名門家の手によって守られ、先の大戦を狭む厳しい歳月を耐えました。
 1986年、松楓殿とその敷地がそれまでの所有者であったオズボーン家の篤志により日本文化財団に返還されたことを機に、松楓殿の修復作業が始まっています。復興に尽力する日本文化財団は、国と人種を超え、すべての人々に善意の結集としての松楓殿復興を訴えています。

(この項、終わり)




ニューヨーク・スタイル「つなぎの英語」NO. 8

2005-01-02 19:40:03 | ニューヨーク
 明けましておめでとうございます。
 旧年は災害の多い年でした。自然災害が起きるのを人間は防ぐことはできません。しかし、災害による被害を減らすこと……「減災」Mitigation はできるはずです。Mitigation はアメリカの災害危機管理の考え方ですが、日本でも「減災」という訳語で、中央防災会議(政府の防災政策の意思決定機関で、内閣総理大臣が議長)が防災の基本方針に据えています。
 人間は科学技術で自然を制御しようとしてきましたが、そうした技術への依然・過信が、結果として自然災害において「人災」要因を増やしています。
 自然は人間の営みを超越していること、自然に対する人間の Love-Hate 感情は人間の勝手な思い入れであって、まさに自然は「非情」「無情」(人間の愛憎を超越しているという意味で)であることを、私たちは動物的感覚に立ち返って、肝に銘じなければならないのでしょうね。本年は穏やかな日本、平和な世界でありますように、心から祈っております。
 さて、「つなぎの英語」は、片言英語でのつなぎ表現を集めてみることにします。

●I'm sorry?

 日本語でも「え、ごめんなさい? なんて言ったの?」などと聞き返しますが、I'm sorry も語尾を上げれば、「ごめん、聞き逃した。もう一度言ってみて」というニュアンスになります。Say again? とか Repeat it again, please. でもいいのですが、私がうっかりしていました、という相手を気づかうニュアンスを込められるからでしょうか、よく聞きます。

●Why not?

 Why「なぜ」と not「そうじゃない」で、「もちろん」「当然」の意味に変わります。いわゆる反意語(句)ですね。「なんでそうでなくってもいいの?」、もちろんそうでしょ、です。でも、別に理屈っぽい話ではなくて、軽い会話でよく出てきます。Let's have a quick lunch. Why not?「急いでランチにしよう」「おぅ、そうしよう」ってな感じですね。

●So what?

 So what? は、語気によってはけんか腰の表現になります。強い語気で、「それでどうしたってのよ!」という開き直り。You are late again. So what?「また遅れてきた」「だからどうだってのよ!」
 もちろん、やわらかく言えば、不機嫌そうにむずかる赤ちゃんに「まぁまぁ、どうしたんでしょうねぇ(なにがしてほしいの?)」となります。

●What's up?

 ナイキ NIKE のテレビコマーシャルでこんなのがありました。若い日本人男性がエレベーターに乗り合わせた背の高い黒人男性を見上げます。その彼、バットを肩にかついでいます。視線に気づいた黒人男性、What's up?「どった?」(どうした?)、若い日本人すかさず、Nice bat ...「いいバットじゃん……」。
 What's up? は、ややぞんざいな口語表現で「なにごとか?」、なにが up してきたか、ということ。こういうやりとりはたしかに、ニューヨークあたりでは日常的に聞かれます。
 What's up? Nothing.「どうした?」「なんでもない」とか、What's up? Headache.「どったの?」「頭痛じゃ」とか、例文はいくつでもできますね。
 なお、What's up? のような問いには、単に Headache. とか Nice bat. とか文法お構いなしで単語で応答するのも、まさに正しいニューヨーク英語で、ノープロブレムです(日本語でもそうですね)。

●Good job!

 片言英語で十分、という好例がこの Good job! です。以前、ほめ方の表現で You made it! とか You did it! を紹介しましたが、なにかやり遂げた、いい仕事した、というときに、Good job!「よくやった、いい仕事した!」と声をかけてあげてください。
 これは頻繁に使われますね。植木屋さんがひと仕事して休憩というときに、Good job. Have a tea.「お疲れさま、お茶どうぞ」。そう、日本語のお疲れさまというねぎらいのことばに近いかもしれません。努力して惜しくもだめだった、という場合でも使えるでしょう。Good job, nice try!「よくがんばったね」。

●No way!

 「あり得ない!」「とんでもない!」と言いたいときは、No way! です。ことばどおりだと「選択の道(余地)がない」ということで、妥協の余地がない状態。
 Would you marry me? No way!「結婚してくれる?」「ヤダヨ~だ!」



●ニューヨークの日系コミュニティ NOW & THEN その7
アメリカン・ドリームを生きた明治の巨人
高峰譲吉と松楓殿

国際結婚、米国に雄飛した高峰譲吉

 高峰譲吉は、安政元年(1854)に富山県高岡市に、加賀藩典医の子に生まれました。11歳で長崎に留学し英語を学び、14歳で大阪で医学を学び、18歳時に上京し工部省工学寮(のちの東大工学部)入学、明治13年、26歳で国費留学生として3年間、英国グラスゴーなどに留学。英国各地を視察し、帰国後は農商務省に入り和紙製造や清酒醸造の改良指導を担当。そして30歳の明治17年(1884)、ニューオーリンズ万国産業博覧会に派遣され1年間渡米、この滞在中に同地の名門ヒッチ家の娘キャロラインと婚約。いったん帰国し、渋沢栄一らと大日本人造肥料会社(チッソの前身)を設立後再渡米し、明治20年、33歳時にキャロライン(21歳)と結婚しています。
 帰国した高峰と夫人は東京深川に新居を構え長男譲吉、次男孝(エーベン)をもうけますが、明治23年に米国のウイスキー醸造会社の招きで一家は渡米、シカゴで新しい醸造を発明し大成功します。
 ところがその3年後、シカゴで利害が対立するモルト業者から迫害を受け研究所は不審火から出火焼失、彼自身も肝臓病で一時重体となり療養生活に入りました。しかし、その不遇を耐えた40歳の高峰は、明治27年(1894)消化酵素タカジアスターゼ抽出に成功、米国で強力消化剤として発売され、巨万の富を得ることになります。
 明治30年(1897)高峰はニューヨークに化学研究所を開設し、上中啓三と副腎成分抽出の研究を開始します。その後一時帰国し、タカジアスターゼの日本販売権を塩原又策の三共商店(のちの三共)に委託し日本販売を開始しました。
 明治33年(1900)、高峰と上中はついに牛の副腎からホルモン結晶化に成功、これをアドレナリンと命名します。外科手術における患者の生存率を飛躍的に高めたこの開発は、今日でも世界の医学界へのノーベル賞級の貢献として評価されています。
 たまたまこの年、野口英世が渡米し、しかもニューヨークのロックフェラー・リサーチ・インスティチュートに籍を置いたのは不思議な巡り合わせと言えましょう。(次回につづく)