MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1993 45歳は人生の曲がり角

2021年10月17日 | 社会・経済


 サントリーホールディングスの新浪剛史社長が9月9日に開かれた経済同友会のオンラインセミナーで提言した「45歳定年制の導入」が、ネットを中心に大きな波紋を呼びました。

 新浪社長によれば、「会社に頼らない姿勢」の重要性を強調したかったとのことですが、「これでは単なるリストラではないか」「45歳で転職できる人は限られている」「人件費を抑えたいだけ」などと炎上し、翌日の記者会見で新浪氏自身が釈明する事態となったということです。

 新浪氏は「定年」という言葉の使い方などに説明不足があったと話していますが、確かに定年の延長が国レベルで議論されている今の時代、氏の「45歳定年制」の主張はあまりに唐突な印象を免れません。

 もっとも、終身雇用が前提だった働き方は既に過去のものとなり、「転職」はもはや(テレビCMでもおなじみの)日常ワードのひとつです。新卒者の約三分の一が3年以内に就職先を辞め、二分の一が転職サイトなどへの登録を行っているとされる現状を考えれば、様々な経験を積んで脂の乗り切った40代での転職は、ある種の売り手市場と考えてもよいかもしれません。

 そうした状況を踏まえ、9月23日の日本経済新聞の経済コラム「大機小機」では、今回の一連の騒動に関連し「45歳定年制の御利益」と題する興味深い一文を掲載しています。

 サントリーホールディングスの新浪剛史社長が提案した「45歳定年制」が物議をかもし、同社製品の不買運動を求める声まであるそうだが、日本の企業社会を活性化するアイデアとしてなら十分に理解できる内容だろうと、筆者は(経済紙らしく)これを肯定的にとらえています。

 ホワイトカラーたるもの、45歳前後で「会社離れ」を目指すくらいがちょうどいい。44歳で商社からコンビニ経営に飛び込んだ新浪さんほどではなくても、その頃には独立できるくらいのスキルや経験を身に付けたいものだというのが筆者の見解です。

 人生百年時代、1つの会社にずっとお世話になろうというのは(もはや)現実的ではない。企業の側だって、新卒で雇った社員を70歳まで面倒を見ろと言われても保証はできない。半世紀後に今の会社が存続しているのか、正直それ自体がわからぬ時代だということです。

 そもそもの問題は、「定年」という制度にあると筆者はしています。平均寿命が短かった頃はともかく、人間を年齢で輪切りにすることは難しい。年をとるほど個人差は拡大し、健康状態はもちろん、働く意欲や能力に資産状況まで千差万別。であれば、正しい処方箋は「定年制の撤廃」になるだろうというのが筆者の指摘するところです。

 広く知られるように、米国では、定年を定めることは「年齢差別」として禁じられている。ところが定年制を廃止するためには、企業に対し「解雇権」を認めなければならなくなるので、(この日本では)たぶん死ぬ気で反対する人たちが出てくるだろうと筆者は言います。

 実際、現実の日本企業では、定年は「どんな社員であっても、この年になれば遠慮なく切っていい」という安全弁として使われている(面もある)。使える社員は再雇用契約をするが、そうでない者は(四の五の言っても)放り出されるということです。

 しかし、それで社員のモチベーションが維持できるはずもない。例え今のままの状態で定年を早めても、それは企業と社員のお互いにとって不幸なことだと筆者は考えています。

 日本企業は閉鎖系で運営されてきた。中の人には優しいが、外の人には冷たい。今はそれを開放系に切り替える過渡期にあるというのが筆者の認識です。

 現に若い世代は、「会社は開放系」と割り切っていて、簡単に辞めてしまう。彼らが社会の多数派を形成するようになったら、定年制は自ずと廃れていくだろうと筆者は見ています。

 一方、問題となるのは「オヤジ世代」の取り扱い。彼らは会社という「楽園」を追放されたら行き場がない。しかるに「小さな不公平に我慢ができない日本人」としては、年齢で切られることには納得しているのだということです。

 さて、(話は戻って)そもそも今回の「45歳定年制」の提案の決定的な問題点は、一体どこにあるかということについてです。

 年功序列を基調にした現行の日本型雇用システムは、職業生活の前半は会社への貢献を下回る報酬しか受け取らない代わりに、後半になると貢献を上回る報酬を受け取れることを前提に回っていると言えます。

 つまり、20代から40代の働きによって会社へ預けおいた貯金を、50代以降に引き出し、定年を迎えたときに(退職金も含め)帳尻が合うようにできているということ。なので、そこにいきなり「45歳定年制」を持ち出されれば、「俺の貯金をどうしてくれるんだ」と言われても仕方がありません。

 そういう意味で、「45歳定年制」は企業側にとってきわめて虫のいい話であり、それを政府の経済財政諮問会議の議員で社会的な影響力も大きく、経営者(=強者)を代表する立場の新浪氏が主張すれば、反発が大きいのも仕方のないことでしょう。

 今から40年近く前の私がまだ新入社員だった頃、株式会社リクルートは既に(給料はとびぬけて良いけれど)定年まで働く社員が一握りしかいない企業として、就活生の間では広く知られていました。

 リクルートでは、当時から退職を「卒業」と呼び、出戻り社員も多かった。実際、リクルートの就職した私の友人たちも、ある者は転職を繰り返し、ある者はまた同社に戻り、そして退職後も数多くが起業して自ら企業や団体を構えていることに改めて驚かされます。

 機会を与えることで従業員に実力を身につけさせ、身についた者から世の中(社外)に出ていく。そして、気が付けば去っていった者がまた戻り、次の世代を育てるといった好循環がそこには生まれていたのでしょう。

 新浪氏の発言が、雇用期間に一定のスパンを設け「年齢によるターニングポイントを設定する」ということならまだわかりますが、それが従業員への一方的な生殺与奪の機会に繋がるとしたら、(そんな経営者には)どんな人材もついてはいきません。

 脂の乗り切った45歳は一人一人の社員にとっても大切な時。会社にとっても、育ててきた社員に見放されることのないよう、十分に気を使う必要があるということでしょう。


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