MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯12 線を引くということ

2013年06月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 「線を引く」ということに、もう少しこだわります。

 連続性のあるアナログな事象に線を引くことは、私たちが「世間」を生きる上で、深く考えることもなく普通に行っている認知作業だと言えます。

 ここまでは「正常」だけれどここからは「異常」でしょ。これはどう考えても普通じゃないよ。彼は健康だけれども彼女は病気だからしょうがないよね。彼は健常者だけれども彼女は障害者だからね…。一見明快に見えるそうした違いというのも、よく考えればきわめて曖昧というか、その時の社会情勢の中で一時的、便宜的に設定された区分に過ぎないことがわかります。

 発達障害というものが最近クローズアップされるようになりました。知的障害を伴わない発達遅延に伴う症状で、学習能力や人間関係に問題が生じ、本人が生きにくさを感じる状況を指すのだそうです。

 さらに、これに近いものに人格障害というものもあります。一般的な成人に比べて極端な考えや行為を行ったりして、社会への適応が著しく困難であったり本人が苦しんでいるような状態の人を指す言葉です。人格を否定するような障害名だということで、最近は「パーソナリティ障害」と呼ばれているようです。

 いずれも、一昔前であれば「変わり者」とか「社会不適応者」として一括りにされ、わけのわからない一種のイラつく存在として線の「こちら側」に置かれて、居心地の悪い思いをしていた人たちです。

 しかし、ここで晴れて「障害者」という新しい線引きを得て、「あちら側」の守られるべき存在として区分され、ケアさるようになった例と言うことができるでしょう。

 逆の例としては、企業が普通の仕事ができない非効率な社員をリストラする場合などが挙げられます。

 業務成績の悪い偏差値30で線を引いて、それ以下の社員をリストラするとします。ここで対象となるのは、恐らく本当に仕事のできないどうしようもない「あちら側」に属する社員でしょう。

 しかし翌年、翌々年と同じような基準でリストラの対象を決めていった場合、正規分布の下位が次々と切られていくのですから、何年か後のリストラ対象で「あちら側」に行くのはあなたになっているかもしれません。

 線のどちら側に属するのか、これが個人の環境に決定的な違いを生むこともままあるわけですが、繰り返すようにその境界というものはきわめて流動的なものであることを念頭に置く必要があるというわけです。

 「正常」と「異常」との違いというのは、実は正規分布のどこに位置しているかによって規定される区分に他なりません。正常と異常は常に隣り合って存在しています。

 福祉や社会保障の分野においては、様々な立場の人から線の引き直しを求める声が上がっています。

 そんな中、線を引き直し給付の枠を拡大することはいかにも本人のためになっているように見えますが、それはとりもなおさずこの社会に暮らす人たちの一部を「弱者」として、「一般の人とは違う特別な人」として切り分けることだということを、私たちは十分心しておかなければならないと思います。



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