MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1985 「責任は俺がとる」と言われても…

2021年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム


 先日閉会式を終えたオリンピックのいくつかの競技を見ていて感じたのは、以前はよく注目を浴びていた団体競技の「監督」や個人競技の「コーチ」といった指導者の存在が、一層希薄になってきたなということです。

 もちろん、野球で金メダルを取った侍JAPANの稲葉篤紀監督やソフトボールの宇津木麗華監督、男子サッカーの森保一監督など、チームカラーの発揮に(それなりに)一役買った指導者はいたのでしょう。しかし、以前はあれほど厳しかったシンクロ(アイティスティック)SWの井村雅代監督や柔道の井上康生監督でさえ、最近では(少なくともテレビカメラの前で)穏やかな笑顔を崩すことはありません。

 パワハラやセクハラなどのハラスメントが問題視される昨今ですので、勿論、怒鳴ったり叩いたりという指導はもはや「御法度」なのでしょうが、少なくともテレビ画面を見る限り、選手一人一人の個性が尊重される指導でなければ、オリンピックの水準に到達できないという現実がそこにはあるようです。

 思えば、新しい競技であるスケートボードでもサーフィンでもスポーツクライミングでも、技を編み出し活躍するのは常に選手であり、選手個人を縛る指導者の姿はもはやどこにも見当たりません。次回のパリで新種目となるブレイクダンスなどでは、それもなおさらのことでしょう。

 集団を律し、自分の思うように鍛え上げることでチームを作り上げ勝利に導く。個人の顔の抜け落ちた監督や指導者中心のそうしたプレースタイルは、確かにオリンピックでも(既に)過去のものとなりつつあるようです。イマドキの選手たちが求めているのは(勝利へと引っ張っていってくれる)強いリーダーではなくて、選手とともに考え、冷静かつ的確なアドバイスをしてくれ、総合力を引き出してくれるパートナーだということなのかもしれません。

 ちなみに、明治安田生命保険が2021年春に就職を予定している新卒学生を対象に今年の2月に実施した「理想の上司」に関する調査結果では、男性ではウッチャンナンチャンの内村光良氏が5年連続で1位を獲得。2位はアイドルグループ「嵐」の櫻井翔氏。3位は大リーグで活躍したイチロー選手が続いています。

 また、女性では、1位は日本テレビアナウンサーの水ト麻美氏で、こちらも5年連続。2位は宝塚出身の女優の天海祐希氏、3位は女優の新垣結衣氏だったということです。

 いずれも、テレビ番組などを通じた「イメージ」ということなのでしょうが、少なくともこれからの社会のプレイヤーとなる若者たちが望んでいるのは、ドラマ「太陽にほえろ」の石原裕次郎さんのようなボスでも、「東洋の魔女」を率いた鬼の大松博文監督でも、ましてや菅義偉元総理大臣のような人でもないことはどうやら間違いなさそうです。

 そんな矢先、8月8日のYahoo newsに人材コンサルティング会社「人材研究所」代表の曽和利光氏が、「失敗しても責任は私がとる」との上司の言葉を聞き流す若者〜「自由と自己責任」時代には通用しないかも」と題する一文を寄せていたので、参考までに紹介しておきたいと思います。

 四半世紀前なら、組織で働く会社員の上司でも「会社の方針に従っていたら悪いようにはしない」と確信を持って言えたかもしれないが、当時の「約束」は後の日本の「失われた数十年」の中で反故となってしまった。そんな今、「お前の人生の面倒は見るから」と言える人はどれだけいるだろうかと、氏はこの論考に綴っています。

 そうした中、「指示に従えば、責任は取る」の代わりに信憑を得たのが、「自由と自己責任」だと氏は言います。これは、改めて言うまでもなく「自由にして良いけど自分で責任を取りなさい」というもの。自分の責任の範囲内であれば、好きなようにやってよいということでしょう。

 今では、雇用形態から人事制度、異動の仕組みまで、あらゆるところで「自由と自己責任」が広がり、日本の企業社会の常識となっている。そんな時代に「失敗しても責任を取る」という言葉を口にしても、どこまで信用されるだろうかと氏はしています。

 若手は、もし上司が「失敗しても責任を取る」と言った場合、まず「責任って何?」と思うことだろう。失敗しても自分の評価に影響がないということならまだしも、上司に非を認めてもらったり謝罪されたりしても、「そんなことしてもらっても別に意味はない」と思うのが関の山だということです。

 上司が「責任を取る」と言うなら、意味を明確に定義しなければその言葉は若手社員の耳には届かない。今の時代、上司であっても責任など取れないことがほとんどなのだから、相当な覚悟がなければ軽々しく「責任を取る」などと言えないはずだというのが氏の認識です。

 実際、今の新入社員が上司に期待することは「的確な指示をしてくれること」だと氏は言います。若手が上司に求めているのは、「責任を取るとか取らないとか」というような(浪花節的な)ものではない。ちゃんと的確に(そして擬態的に)指示を出してくれという、切実なものだということです。

 求められているのは「責任を取るから言うことを聞け」ではなく、自分で責任を持って選択をするから、納得がいくまで細やかに丁寧に説明をしてほしいということ。上司が度量で勝負する時代はもはや過去のものであり、部下が自分自身で行動を選べるようにいかにサポートできるかが上司の信頼に繋がるということでしょう。

 翻って、「責任」などという言葉を大げさに口にする前に、まずは、管理職としてするべきことがあるだろうと私も(自分の経験から)そう思います。そもそも、部下の置かれた状況はどのようなものなのか。(例え危機的な状況であっても)収束に向けて出来る手立てはあるのではないか。そこのところを(部下の立場に立って)よく考えず具体的な指示を出さなければ、いくら「責任は俺がとる」と言っても、部下は「責任を投げられた」と思うしかないのではないでしょうか。

 もとより、上司と部下、指導者と指導をされる側の関係は、信用や信頼がなければ正常に機能しないのも事実です。そうした相互の信頼を成り立たせるためには、互いに細心の注意を払い具体的なコミュニケーションを重ねて、「必要なもの」と「必要とされているもの」の隙間を埋めていく地道な作業を繰り返していかなければなりません。

 私自身、若い時分から何回も「責任は俺が取る」というような言葉を耳にしてきましたが、そのたびに空虚な思いに駆られたことを、今回の氏の論考から改めて思い出したところです。



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