MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2584 家畜化する日本人(その1)

2024年05月19日 | 社会・経済

 若者言葉として浸透しつつある「コスパ」や「タイパ」。できるだけ少ない負担や時間で高い成果を得たいという気持ちは昔から変わらないのでしょうが、近ごろとみにその良しあしが問題視されるようになったのは一体何故なのでしょうか?

 「コスパ最強」の声に惹かれ始めてはみたものの、世の中そんなに甘い話ばかりのはずはありません。経過や過程を無視して効率に走っても、得られる満足感や納得感はそれほど実感できなのでは…と懸念してしまうのは、私たち昭和世代の僻みなのでしょうか。

 現代社会に蔓延するこうした「コスパ・タイパ重視」の価値観に対し、3月19日の経済情報サイトPRESIDENT ONLINEに、作家で精神科医の熊代亨(くましろ・とおる)氏が「結婚を避け、子供をもたない」ほうが人生のコスパが良い…現代の日本人に起きている"憂慮すべき変化"」と題する興味深い論考を寄せていたので、参考までにその概要を(2回に分けて)小欄で紹介しておきたいと思います。

 費用対効果(コスパ)という概念は、現在では経済活動にとどまらず色々な場面に適用されがち。さらにはタイパ(タイムパフォーマンス)という言葉も登場し今年(2022年)の新語大賞にも選ばれたと、熊代氏はこの論考の冒頭に記しています。

 文化資本や社会関係資本といった言葉が示すように、社会学者たちは学歴・教養・礼儀作法・人間関係・健康・美容・マインドまでをも資本財とみるようになった。それらは既に投資やリスクマネジメントの対象にもなっていて、現代人の行動の広い範囲が資本主義の思想に基づいて内面化されているということです。

 そうした中、コスパやタイパといった考え方は(特に若者の間で)広く浸透。たとえばドラマや映画を二倍速で視聴するような習慣も生み出したと氏はしています。人生についても同じこと。(どうせ生きるなら)「コスパの良い人生」などといった言葉が語られ、賛否はあるにせよネットメディアを賑わせているということです。

 そこで思うのは、「コスパの良い人生」とは一体どのような人生なのかということ。人生をコスパで推し量るためには、もともと資本主義に基づいていない「人生」の価値を、資本主義の考え方に落とし込んで費用対効果に換算する必要があると氏は言います。

 人生の価値基準を資本主義のそれに換算し、その思想に基づいて生きること。(そうした中で)隅から隅まで資本主義の思想どおりに生きるような原理主義ではなくても、資本主義にそぐわないもの、遠回りかもしれないもの、効率的でないもの、リスクを伴うものなどが(人生の選択において)選びにくくなりるというのが氏の懸念するところです。

 さて、そこで閑話休題。明治安田生活福祉研究所の調査によれば、結婚について金銭的な損得やコスパの観点で考えたことがある人の割合は30代の未婚男女において特に高く、男性で45.7%、女性で48.3%に及んだと、熊代氏は話しています。

 特に男性未婚者は、結婚をお金に換算するとマイナス(←メリットがない)と答えている割合が高く、結婚に対してコスパ意識を持っている人はそうでない人に比べ「結婚に希望が持てない」と回答している割合も高どまりしている。コスパに基づいた結婚観を持っている人ほど、「結婚はコスパが悪い」「結婚にリソースを割り当てるべきではない」と判断している様子が窺えるということです。

 (この論考において)氏は、こうした状況を「資本主義による人間の家畜化、あるいは“文化的な自己家畜化”」の帰結であると断じています。

 氏によれば、「自己家畜化」とは、生物が進化の過程で(自らを)より群れやすく・より協力しやすく・より人懐こくなるような性質に変えていくこととのこと。例えば、人間の居住地の近くで暮らしていたオオカミやヤマネコが、人間を怖れず一緒に暮らすようになり、そうした中で生き残った子孫がイヌやネコへと進化したのと同じこと。人為的に家畜にするのでなく、自ら(必要に応じ)家畜的に変わる状況を指すということです。

 実際、進化生物学は、私たち人間自身に起こった自己家畜化についても論じている。考古学、生物学、心理学などから多角的に検討したうえで、この自己家畜化が私たちの先祖にも起こってきたことも明らかにされつつあると氏は言います。

 これまでの研究によれば、自己家畜化にともなう生物学的な変化によってセロトニンが増大し不安や攻撃性が抑えられ、より人懐こく、協力しあえる性質が人間にもたらされた由。狩猟採集生活から、集団的農耕生活に移る中で己れを変化させ、協調性や社会性を身に着けていったということでしょう。

 変化する環境の中で生き抜くため、置かれた状況に合わせて自身の在り方自体を変化させてきた人間たち。自己家畜化は今日の文化や社会を築くうえで非常に重要だったはずで、これから先も(私たち自身も気づかぬうちに)ライフスタイルや価値観の変化は続いていくのだろうと考える熊代氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。(「#2585 家畜化する日本人(その2)」に続く)



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