MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1555 日本はなぜ「一人負け」なのか

2020年02月26日 | 社会・経済


 民主党政権に替わって2012年12月に始まった第2次安倍政権は、「アベノミクス」「3本の矢・新3本の矢」「1億総活躍社会」といったキャッチフレーズとともに経済対策を次々と打ち出し、政府の「やってる感」を醸し出してきました。

 しかし、実際の経済指標を見てみるとその多くはなかなか順調には機能しておらず、日本経済はいまだ低空飛行を続けているのが実情のようです。

 気が付けば今から約30年も以前に起こった1990年代初頭のバブル経済崩壊以降、日本経済は「失われた20年」とも「失われた30年」とも呼ばれる停滞期を歩んできました。

 1991年から2010年)まで、日本の名目経済成長率はわずかに年0.5%程度にとどまり、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなどの成長率年3~4%台を大きく下回っています。

 この間、年平均の有効求人倍率が1.0倍を上回ったのは4年間のみで、「就職氷河期」という言葉に象徴されるように若年者雇用の喪失や非正規雇用労働者の増加が続いたのも記憶に新しいところです。

 そうした中、消費者物価指数(生鮮食品を除く)の上昇率が1.0%を超えたのは(20年間のうちの)5年間のみ。特に、2000年度以降は消費者物価の下落が顕著となり、経済のデフレ傾向は雇用が好転した現在に至るまで続いています。

 こうした時代を経て、「1人当たりの国民所得」ランキングにおける日本の順位は、この30年間で大きく変動しました。OECDに加盟する先進35カ国における順位は2017年の段階で22位で、1位のスイスの半分以下となっています。

 1986年から97年までの12年間、このランキングにおける日本の定位置は3位か4位で世界のトップクラスを維持していました。アメリカとの比較でも、1997年までは日本のほうが上位だったものがバブル崩壊やその後の経済低迷によって逆転され、現在ではアメリカの6割強の水準に留まっています。

 1人当たりGDP(国内総生産)ランキングでも、日本は世界26位でイスラエル(23位)やUAE(25位)に負け、韓国(28位)に抜かれるのも時間の問題と考える向きも多いようです。

 こうして低迷を続ける日本経済の状況を踏まえ、1月17日のPRESIDENT ONLINEに、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が「『韓国に並ばれる』なぜ日本は貧乏臭くなったか」と題する論考を寄せています。

 経済の相対的な優位性の低下もさることながら、日本において(普通に暮らす人々の)「貧困」が問題化するようになった背景に「格差の拡大」の存在を指摘する人は多い。実際のところ、(欧米先進国と同様)日本で経済格差が拡大しているのはデータからも明らかだと、橘氏はこの論考に記しています。

 しかし、これは、「強欲な資本家が労働者を搾取している」という話ではない。皮肉なことに格差拡大の最大の原因は「平和」にあるというのが橘氏の見解です。

 日々の暮らしのなかで少しずつでも貯蓄できる世帯と、稼いだ分だけすべて使ってしまう世帯があった場合、最初のうちはその差がわずかでも資産は「複利」で増えていくので、(平穏な時代が続く限り)5年、10年と経つ中で両者の差は広がっていくと氏は言います。

 70年(3世代)以上平和な時代が続いた日本では、「グローバル資本主義の陰謀」などなくても自然に格差はまさに級数的に拡大していくということです。

 中でも日本の格差の特徴は、バブル崩壊後の1990年代から経済成長率が著しく低下したことでシワ寄せを受けた「就職氷河期世代」を中心に、若者の貧困化が進んだところにあるというのが橘氏の認識です。

 その一方で、戦後の日本社会を(いい意味でも悪い意味でも)牽引してきた団塊の世代は雇用と収入を守られ、定年後は手厚い年金・社会保障を享受している。こうした「世代間格差」を容認してきたことで(本来、経済成長を担うはずの)若者から活力を奪い、それが日本経済の失速の大きな要因になっているということです。

 平成の30年間をひと言でいえば「日本がどんどん貧乏臭くなった」ということ。平成元年は世界4位だった国民1人当たりGDPは18年には26位まで転落し、いまや韓国に並ばれようとしている(韓国は28位)。労働生産性はアメリカと約3分の2と先進国中で最も低く、長時間労働で会社に滅私奉公しても利益をあげられずに賃金のも低迷していると氏は指摘しています。

 なぜこんな「斜陽国家」になってしまったのかと言えば、高度成長期の成功体験に呪縛され、終身雇用・年功序列の「日本人の働き方」を変えられなかったことにあるというのが氏の考えるところです。

 日本型経営モデルの欠点のひとつは、「人材の社内最適化」にあると、橘氏はこの論考で指摘しています。

 (これは特に事務系の総合職で顕著だが)日本企業は新卒一括採用した正社員を、ジョブローテーションによって「ゼネラリスト」として育成してきた。しかし、これは(裏を返せば)会社内でしか通用しない何の専門性もない人材を大量生産してきたということ。その結果、会社という「ガラパゴス」の中でしか生きられない、つぶしの利かない中高年があふれることになったということです。

 さらに、「人事の硬直化」が、それに拍車をかけているというのが橘氏の見解です。

 日本企業は、純粋培養した正社員を管理職や経営層へと引き上げてきた。一方、そうした慣行は(社員のモチベーションアップといった効果はあるにせよ)、経営人材という重要なリソースの供給源を社内に限定することに繋がったということです。

 さて、(いずれにしても)ITなど急速なテクノロジーの発達やグローバル化によって、経済環境の変化のスピードがどんどん速くなる中、企業がこれに対応するには、新しいスキルやノウハウを持った人材を社外から機動的に獲得しなければならないと橘氏はこの論考に綴っています。

 外の血を受け入れ変化に対応してくことで、社内が活性化され既存の社員も育つということでしょう。

 ところが、現在の日本企業の経営層は、専門性が乏しく社内のことしか知らない“サラリーマン代表”ばかり。それに対してグローバル企業では、社内外から専門性の高い優秀な人材を集め、大企業をいくつも渡り歩き実績も築いた「経営のプロ」に指揮を任せている。

 これではアマチュアのサッカーチームと、バルセロナやレアル・マドリードのようなビッグクラブが試合をするようなもので、結果がどうなるかは考えるまでもないと氏はこの論考をまとめています。

 様々なノウハウが細分化され高度な専門性が求められるようになった企業活動の実態を踏まえ、日本経済を新たなフェーズに導くカギは各企業の人材活用にあると指摘する橘氏の視点を、私も興味深く読んだところです。



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