
先月のはじめ、夫と小諸城趾をリア攻め!
・・・でも、本当は、アタクシの1番の目的は、お城ではなく、
懐古園の敷地内にある、小諸義塾記念館↑↓でした。
時間の余裕がなく、アタクシは、城めぐりを端折り、
記念館へと急ぎ、見学を始めたものの・・・
あれれ!?
・・・期待していたほどの、感激がありません・・・
以前は、涙が出るほど、心震えたのに・・・

「小諸義塾」とは、明治26(1893)年、誕生した私塾です。
地元の青年の熱意に応え、木村熊二が校長に就任、その縁で、
島崎藤村も教壇に立ちました。(後に私立中学となる)
地元他から有志の支援もあり、独自の学校教育を展開。
遠方の生徒は、寄宿舎に入り、熱心に学び、
地域の文化や産業にも寄与したとされています。
明治20年代には、こういった特色ある学校が各地に生まれていました。
ところが日清日露戦争を経て、次第に国家主義へと傾いていき・・・
小諸義塾も、明治39(1906)年、閉校を余儀なくされたのでした。

(小諸駅前の記念碑。小諸義塾は、この地に建てられたそうです)
今から20年ほど前・・・初めて、小諸を旅したときのアタクシは、
日清日露以前の、この時代が大好きで・・中でも、学校は大好物!
各地の旧い学校(跡)を、あちこち見て回ったものです。
とりわけ、小諸義塾は・・・
木村熊二校長の最初の妻・鐙子<トウコ>に惹かれており、
鐙子亡き後とはいえ、熊二の学校ということで、
何を見ても、興奮、感激していました。
それこそ「ここで一晩過ごしたい!」と騒ぐほどで・・・w。
(3月の冷気立ち上る館内だったのにね・・・)
でもでも、どうしちゃった、アタクシ!?
あの感動はどこへ!?・・・というくらい、
今回は、気持ちが上がりませんでした。

唯一、気になったのは・・・
木村熊二の二番目の妻・伊東華子 のスキャンダル。
そういえば、島崎藤村の「旧主人」は、このことをモデルにして創作、
発禁になっちゃったんだよね・・・
・・・という、週刊誌的な興味から、青空文庫の「旧主人」を読みました。

「旧主人」、まずは、あらすじを
佐久の農家の娘「お定」は、十七歳で、小諸に女中奉公にあがります。
主人は地元の名士で、年の離れた美貌の妻は都会生まれ、
実家への金銭的支援と引き換えに、嫁いできたのです。
主人は、誰よりも妻を気遣い、わがままも受け入れ、大切にしていますが、
妻は次第に、小諸の暮らしに耐えられなくなります・・・
そして、都会からやってきた、美形の歯科医に恋をして・・・
その顛末が、お定によって語られていきます。

短い小説なので、すぐに読了。
小諸の厳しい気候風土が描かれ、お定の心持ちの変化も
よく描かれていると感じました。
モデルは、地元の名士である主人が木村熊二で、奥様が伊東華子・・・
華子は、結婚後すぐに熊二のもとを去っていますから
まぁ、小説と似たようなことがあったのでしょう。

全然、露悪的な印象は受けませんでしたが・・・
明治ですもんね、しかも木村熊二は、
代表的な教育者の一人なので、発禁処分となったのも、
当時の感覚では、仕方がなかったのかも知れません。

「旧主人」の初出は、「新小説」明治35(1902)年。
作者の島崎藤村が、小諸義塾の教師となり、秦冬子と結婚、
二人の娘に恵まれた頃の小説です。
藤村の生涯で、家庭的に、一番穏やかなときだったのではないかと・・・
アタクシは、この時代の藤村の小説やスケッチは好きなのですが・・・
(といって、全て読了してはいないけれどw)
その後、彼は「新生」事件をおこし、パリ渡航・・・と、どうもねぇ・・・

一方の熊二も、最初の妻で、アタクシの憧れの鐙子(トウコ)亡き後、
さっさと、年若い華子と再婚し、スキャンダルの渦中へ・・・
さらに、またすぐに、年下の女性と結婚・・・
今回、鐙子とのあいだの息子が、二十代で獄死したことを知りました。
「出来の悪い子ほど可愛い」というようなことを熊二は
言っていたそうですが・・・
早くに母親を亡くした息子は、
母亡き後、すぐに年若い妻を娶った父親に複雑な想いを抱いても
当然だったのでは・・・・
そういえば、熊二がアメリカに留学中に、
鐙子は、息子について案ずる手紙を出していたような・・・
思春期に父親が、ずっと不在、しかも海外となると・・・
今なら宇宙の人工衛星にでもいるような感じ?
う~ん、もろもろ、難しいよね、きっと。
当時は、妻を亡くしたら、すぐに再婚しなければ、
ましてや、その人の名前が高名であれば、あるほど、
次の妻が必要とされた時代なのかかもしれません。
今日的な眼差しで、考えるべきではないでしょうが、
それでも、アタクシはダメかなぁ・・・
鐙子の残した息子や、スキャンダルを起こした二番目の妻・華子が
可愛そうでなりません。

・・・なにやら横道にそれました。
二十年ぶりの小諸、懐古園。
アタクシも、それだけ年齢を重ね、
若かりし頃の情熱が消えてしまったと言うことでしょうか・・・
・・・いやいや、そうじゃありませんw
「センゴク権兵衛」の城↑、と、興奮して、はしゃぎましたよね、アタクシ。
小諸義塾から、小諸城趾へ、興味関心が変わったってことですね。

年齢を重ねることによって、人は変わる・・・
願わくは、興味関心の対象は変わっても、
知的好奇心だけは、喪いたくないなぁと、
アラカンの今、ひたすらに願うのでございます。
◆本日の画像は、小諸懐古園にて撮影。
記事は『島崎藤村集 新潮日本文学2』(新潮社)ほか、
いただいたパンフ類を参考にまとめました。勘違い、間違いなど、ご容赦を。
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今日から12月、師走ですよ、どうしましょっ!
ただでさえ、せわしないのに、ただいま、コロナ禍に加え、
身辺もモロモロで・・・身体フラフラ、頭・爆発状態です。
まずは体調管理を徹底しなくては・・・
どうぞ、皆様も、お気を付けてお過ごし下さいませ。