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歴史さんぽ~中世の面影

2021-06-16 | おでかけ
おはようございます。
本日から、「歴史さんぽ」は、新シリーズスタートですw
どうぞ、おつきあいくださいませ。


(鎌倉と言えば、鶴岡八幡宮、段葛♫
何度も使い回した画像で、ごめんなさい)


鎌倉には「やぐら」が、たくさんあります・・・
と申すと、(わたしも含め)ちょっと年配の方なら、
「火の見櫓」を連想されるでしょうか・・・w

鎌倉の「やぐら」は、「お堂」です。

鎌倉やその周辺では、
山肌を掘った、長方形のお堂が、たくさん作られました。

この中で、法輪塔や板碑は、今日でもみることができますし、
かつては常滑や瀬戸と言った焼き物の骨壺も納められていたのだとか。
(気がつかないだけで、今もあるのかも知れませんw)

「やぐら」は、中世に盛んに作られたものの
室町時代以後は、新しく作られることはなく、
後の時代には、古い「やぐら」は倉や物置などとして、使われたそうです。

鎌倉は、中世以来、さして地形が変わっていないと聞いたことがあります。
だからこそ、今もなお、中世のままの「やぐら」を目にすることが
できるのかもしれません。


(北条終焉の地である、旧東勝寺の「腹切りやぐら」の碑)


とはいえ、さすがに、1000年の時を隔てての傷みは出ており、
またイタズラをする不届き者もいるそうで・・・
非公開や限定公開となった「やぐら」もあります。

たとえば、「まんだら堂やぐら」。
母は、わたしを何度も連れて行ったと錯覚するくらい、
よく出かけた散歩コースでした。

それが、いまや限定公開。
あの頃、誘われても出かけなかったことを、今悔やんでいます。

いつでも見られると思うから価値がわからない・・・
でも、見られなくなったと知った途端・・・
俄然、興味が湧いてきています。

アラカンの今、「やぐら」めぐりは、
「歴史さんぽ」の重要なテーマのひとつになりました。


(島津忠久、大江広元、北条義時の三人の墓も、北条義時の法華堂跡に残る、やぐらにあります。)


もちろん、「やぐら」は、お墓ですから、
亡き人の眠りをさまたげるようなことのないよう、
お数珠持参、「般若心経」を唱え、お参りの心で、向き合っています。

また、わたしは、とんでもなく小心者なので・・・

「やぐら」そのものの撮影は控え、周りの景色から
なんとなく雰囲気が伝われば良いかな、
とのスタンスで撮影しております・・・

「やぐら」をテーマにした記事で、
「やぐら」そのものの画像がないことは、
はじめからお断りし、お詫び致します。

・・・あらま、すでに、こんなに長くなってしまいました。
それでは、具体的な「やぐら」については、またいずれ・・・


(寿福寺の奥には、北条政子、源実朝の墓である、「寿福寺やぐら」が
あります。)


コロナ禍、いつワクチン接種が受けられるかわからないので、
所用ついでに、ちょこっと足を延ばし、大急ぎでの歴史さんぽです。
それでも、外に出られるって、嬉しいなぁと、しみじみ感じています。

本日も、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。


◆参考
鎌倉市教育委員会『かまくら子ども風土記』 鎌倉教育委員会

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