研究留学ブログ~ボストン~

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サンクスギビングのパーティー (Nov. 23)

2006-11-25 12:06:58 | 生活
今日はかねてから予告してあったように、Scientific Writingの先生であるJoseとGabbyの家でパーティー。家からは歩いて10分弱という場所でしたけど、あいにくの雨模様で歩きづらかったです。

到着すると、既に1組の夫婦の方がいらっしゃってました。YoshioさんとMaikoさんで、YoshioさんはBrigham And Women's Hospitalで働いています。一度だけ英語の授業の前にJoseから紹介されましたので、知らない仲というわけでは無いですけど、じっくり話をしたのは今日が初めて。パーティー開始までJoseから日本に関する質問。「イード(Edo)はいつからどうしてTokyoになったのか?」という話。ここはMaikoさんが江戸時代と明治時代の境に天皇が動いて江戸から東京になったと説明(もちろん英語で)。次なる質問が「Tokyoってどういう意味?」というもの。いや、しっかり考えたことなんて無いですけど、「東の京(首都)」ということなんじゃないかという話をしているところで、Habiroさんと奥様のMayuさんが登場。Habiroは苗字なんですけど、彼はこの響きが気に入っているようで、いつも自己紹介の際には"Please call me Habiro"とおっしゃっています。Habiroって変わった苗字ですけど、「羽廣」さんだそうです。Habiroさんも交えて、先ほどの話の続き。日本人全員の意見で「東の京」ということで一致。他の例として中国の北京も昔の京(みやこ)から北側に移動したから「北の京」と漢字で書くんですと説明。

っていうか中国人様御一行がまだ到着してないんですけど(笑)。ぼちぼち中国人たちが登場。Huiは家族連れで、奥様とお嬢様も一緒。Jinbou(マカオから来ている中国人)も遅れて到着、最後にEnjuとお友達のFengが来たところで全員集合。っていうか今日の参加者は日本人vs中国人(笑)。


綺麗に準備されたダイニング。




立派に料理された七面鳥とそれを切り分けているJose


食事の前にみんなでお祈り。七面鳥の他にもいろいろと料理が出揃って、みんなで取り分けながら談笑。食事が済んだところで、聖書の言葉を読んで、改めて神に感謝する一同。デザートを終えたところでお茶を飲みながらサンクスギビングの由来をいろいろと話していたら10時半になっていました。JoseはみんなでUnoをやりたかったみたいですけど、時間も遅いのでお開きということになりました。

いろいろ宗教的な話を聞けたのは興味深かったです。ただ残念なことに私は仏教徒なんですよね・・・。敬虔な仏教徒というわけではないですけど、あえて信仰の対象を挙げるとしたら仏教というレベルです。あまり下手な議論をふっかけると問題になるんですけど、宗教に関する私見を少々。個人的には「唯一神」を掲げている宗教には疑問を持っています。信じる者のみが救われるという教義にも疑問を持っています。本当に神が存在するならば、信じる者も信じない者も平等に救ってくださるのではないでしょうか。仏教の教義の中でも「私を信じなさい」という言葉が出てきますけど、キリスト教やイスラム教ほど強いものでは無いと個人的には思っています。

仏教の教えの中で「徳」という概念があると思います。徳を積むことで安寧が約束されるということのようですけど、果たしてこの「徳」は来世に持ち越せるものなのか?個人的には懐疑的です。徳というのは現世にいる間に巡り巡って自分のところに帰ってくるものだと思います。「情けは人のためならず」という諺があります。「人に情をかけるのは当人にとってよくない」と誤った解釈をされてる方もいると思いますが、この言葉の本来の意味は「人に情けをかけるということはその人のため(その人を気遣ってすること)ではなく、『自分のため』である」という仏教の教えです。つまり「情をかける」という「徳」を積む行為は自分に帰ってくるということを暗に示している、と個人的には解釈しています。ここで「悪徳」に関しては述べられていませんけど、悪い行いというのも巡り巡って自分に降りかかってくると思います。私は輪廻転生はあると思います。でも前世の善行・悪行が現世に持ち越されるということは無いと思っています。また、自分に徳の恩恵が巡ってこなかったとしても、自分の周りや家族に目に見えない形で巡ってくると思います。逆に考えると、今の自分が幸福な状態であるのは自分自身の徳によるものではなく、私の周囲にいる人や家族によってもたらされているという考えもできます。自分自身では正しく仏教の教えを理解しているとは到底思えません。もっと違う解釈の方が教義上正しいのかもしれません。あくまでも個人の思想・信仰ですし、この考え方を他人に強制するつもりもありません。信仰とは強制されて生まれるものではなく、あくまでも自然に湧き起こるものでは無いでしょうか。

・・・。長々と宗教観(そこまで大層なものでは無いですけど)を述べてしまいましたけど、「個人的意見」ですから(笑)。あまり気になさらないように。とはいえ年に数回は自分自身の信仰心を見つめなおすのも良いのではないでしょうか。

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