goo

可能性と信じること

自分の可能性、信じてあげたら?
と 僕が僕に問うてみて。

ああでも僕は 僕の可能性を信じたり
信じなかったりじゃなくて

人という種の可能性を信じれるかどうかのほうが
根源的な問題なのだと感じた。

僕が僕の可能性を信じたところで、
僕が世界を救うヒーローになれるわけもなく、
そもそも、僕が世界を救いたいんじゃない。

誰か一人が世界を救うような世界が
そもそも見たいんじゃないんだ。

僕がみたいのは、みんなでみんなが みんなと生きる、
そういう世界だから。

人類という全体群の生命性そのもの、
そういうものを信じられるようになりたい。

争いの気配がどんどん色濃くなるこのときに

ともすれば、みらいに絶望して、
自分の日々の意味などまるでないかのようなこのときに、

世界がハードランディングしようと
ソフトランディングしようと、

未来に紡ぐ意味があるものを重ねていきたい。

人が己の優秀性を誇示して隣の人と競うスキルばかり高めてしまった社会において

人が内的聖戦と向き合って、隣の人と手を握れる世界のほうへ。

怖くて怯えている私達が、ハリネズミの針を治めれる技術を。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

何を望めば良いのかすら

短絡的に考えて犯人を探して
罰を与えて問題を解決することと、

世界の構造を嘆いて誰も悪くないのにねって
泣くことのどちらに意味があるだろう。

前者はまるで課題を解決したかのように見えて
結局なにも解決などしないのだ

後者は立ち止まってるだけで、
誰も救いはしないのだ。

それでも。。

問題が一つ解決することよりも、
世界を一緒に嘆いてくれることのほうが
優しいと誰か言ってくれないのだろうか。

みんな、愛がほしくて彷徨って
愛に飢えてるから
他のもので代わりを探して。

でもずっとそこに
あなたを満たしてくれるものがないから、
やっぱり今日も飢餓なのでしょう。

愛が地球を救うかは知らない。
でも愛しかあなたを救わない。

愛がほしいだけなのに
どうすればそれが手に入るかは知らない

どんな自分でも愛されたいのに
愛してもらうにはこんな私ではだめだという。

太陽なら、どんな私でも分け隔てなく
今日も暖かさをくれるだろう。
雨なら悪人も善人も関係なく身体を冷やすだろう

それぞれがそれぞれとして生きてる。
そこに良いも悪いもないのかもしれない。

ただそこに「関わった」という記憶が残るだけ。
こんなわたしが
そんなあなたと関わったが残るだけ。

あなたと関わったわたしと
わたしと関わったあなたとで
その後のなにかと縁を紡いでいくの。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )