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ニーメラー・パラドクス

私の生涯の旅は、ニーメラー・パラドクスの解法を探る旅なのだろう。

ニーメラーの警句というものがある。


ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、
 私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、
 私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、
 私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。


この警句の中に、全ての構造がある。

問題の当事者であるとき、それは例えば貧困家庭であれば
その貧困を解決したい願いを一番持っているのは、その当人たちである。
しかしながら、この貧困を解決できる能力を有しているのは、
例えば 雇い主になれるスーパーの店長など、
問題の部外者なのだ。

ビジネスで解決できる問題というのは、
問題の当事者である人と、問題の解決能力を有する人が
金銭の対価契約によって、その問題を解決できる場合のみである。

たとえば環境問題などは、
問題の構造をつくっているのは、資本家や政治家であるが、
その問題によって困窮者になるのは、全く別の場所に住む人たちである。

地球温暖化の原因をつくる私たちが、困るのは一番最後で、
最初に困るのは、北極に住むクマであり、
津波で家がなくなる島々に住む人々である。

彼らは、「私たちが困っているから助けてほしい」と
資本家に言わなければいけない。
「お前たちのせいで、こんな被害を受けているのだから賠償しろ」
とはいえない。


そして、もっとも声をあげようのないものは、
まだ生まれていない未来世代の人々だろう。

わたしたちが、500年先の未来世代から光を奪っている間、
 彼らはなにも文句を言えない。まだうまれていないから。

わたしたちが、100年先の未来世代に、問題を押し付けている間、
 彼らを心配するものは、社会に論拠なき経済停滞を巻き起こそうとする非国民であり

わたしたちが20年先のために行動するとき、
 そういう人々は、短期的経済感覚を持っていない劣後者である


そうして誰もが、安全圏から貧困者に向かっていうのである
 「あなたの努力が足りないのでは?」と。
 だって、今の社会システムで私は困っていないものと。
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