天然不純物の泉

自遊に生きる。
時悠に歌う。
地結に踊る。

水鏡不比人が思うこと

自分を信じたり期待したりの話

2016年01月11日 23時42分45秒 | Weblog
いま、やっていること、取り組もうと思っていること、

それはまだ自分には分不相応なものだと
最近よく思う。

何度も心がめげる。でも人を巻き込んでいるから
折れる訳にもいかず、

困ったなと思う。

時代において、必要と思うこと、
他の人がしていないからやらなければという感覚。

でもあと3ー5年、僕には早い仕事と思うと、
つい投げ出したくなる。

そんなとき、ふと、浮かんでくる。

「ちゃんと自分を信じてあげたら?」
そういう感覚。

少しづつ、自己嫌悪が薄まって、
振り返ると最近の自分を、僕は大方で好きで、
好きな自分でいられる時間が増えていて、
それは周りに心地いい人がたくさんいてくれるから。

去年1年で、いったい何人、
自分の胸中を打ち明けていい友人が出来たことだろうと
数えると片手で足りない。

それは昔の自分と比較すると、驚くほどの変化。

この贅沢な関係性の中で、自分に降って来た役割を
ただ懸命にこなせばいいのだと思う。

もう心が折れそうになっても、助けてくれる人もたくさんいるんだしな。

あとはそんな自分の役回りを、自分が適役と信じること、
受け入れることで、いけるところまで行ってみたらいいんだと思う。



微力しかないのではなく、微力こそがある

2016年01月06日 18時22分35秒 | Weblog
無力ではないことを誇りとして

微力であることを大切にしようと思っていた。

小さな力が集まることで、大きな力になるのだと思っていた。

なんとなく、そこからも離れてしまおうと思う。

結局、これらの発想は、

最終的に、自分の影響力を大きくしたい、
何かの結果に向けての方法論の違いでしかなかった。

そういうものよりも、

ただ見てみようと思うのだ。

人は、それぞれが自生し、その人それぞれのやり方でしか
生きてはいけないのだから。

自分の磁力を大きくして、
世界の向きを変えるのではなくて、

自分の磁力を小さくして、
一人一人の磁力が赴く方を見つめるんだ。

その結果、僕の見たい世界が来るか来ないかは、
置いておいてしまって、

僕自身を、
僕の過去と未来という強い磁力から、解き放ってしまって。

自分にとって望ましいものという磁力をなるだけ弱くすることで、

それぞれの人のスペースと、ペースとを、
ただただ見つめるように生きるのだ。

わたしが一番、私自身になりやすい風にのるのだ