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守りたいもの

僕の一番護りたいものは
しょせん僕の誇り

未来に向けてちゃんと足掻けるだけ足掻いたという
自分へのただの慰め


未来に向けての無神経な両親が

ただ生きるためだけの大人が

弱さから自分の心に拠って立つことのできない同僚が

そしてそれらとなんら変わらない自分が

嫌いなだけ。


本当には未来になんてコミットしてない

誰の居場所も、心も別に大して大切でもない

ただ自分の かっこよさにだけ
興味があるだけだ。

そんな自分で
誰かを非難しながら
夢を語って、相手の至らなさを理由に
願いが叶わないことを当たり散らすのだ


ちゃんと認めろ。
所詮はただのかっこつけたいだけなのだ。

それだけのことを人生賭けて
遊ぶのだ
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Art of Loving に切り替わるとき

モモが童話のなかで、
怯えていた感覚から、急激に
仲間を助けるためにと勇気が湧いてきたあのチェンジは
いったいどこから生まれてくるのだろう。

人は、今の自分で救われたい生き物だ。
あなたは間違ってない、あなたは十分頑張っている
そういってくれる人は優しい。

でも、もし出来うることなら、
未来への理想とのギャップの中で

相手が足りないことを攻めるのではなく、
自分の成長を信じれたら、それは誇りになるだろう。

もう十二分に頑張っているあなたに問う。

Art of Loving をそれでも増やそうとするとき
きっとあなたは苦しいだろう。
もう十分頑張っているのだから。
褒められるべきだと思うし、これ以上はあなたは頑張れないかもしれない。

それでも。。。

Art of Lovingとして、自分の中で
「まだまだ人を愛せるようになるための伸びしろ、信じてあげたらいいよ」
と言ってあげたい。

そのスイッチがどこかにあるなら、
苦しいときほど押してあげたい。

でもたぶんそれは、それをしたくない自分、弱い自分、
すでに傷ついている自分を癒やしきってからでいいとも思う。

大丈夫。君はまだ人を愛するために学んでいける。

世界と、だれかと、ズレがあるからこそ、学びはどこまでも可能性を広げる。

走ってきたら初めて見えるこのズレと、
また新しい自分をあいそう。
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事のなせるか否かは、運でよい

事のなせるか否かは、運でよい。

成せぬなら行わぬ、というわけには
いかぬのだから。

我に相応の力量のあるなしは
問題ではない

追いかける夢に価値があるのなら
追う以外に道はないのだ

我が生に意味があるかないかは
他者に問うても意味がない

それを決めるのは我のみなのだ。


我が夢を好きなだけ追いかけて
好きに諦めよ。


自分の道だ、好きにいけ。
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