「万字炭山」の記事が道新(9月15日)に載りました。この記事でむかしのことを思い出したのです。
夕張市中心に高地研(北海道高等学校地理教育研究会)の大会があった時、カムイラピットは当時この会の事務局をしていたのですが、この大会のおり万字炭山に露天掘りの見学をさせていただきました。
企画して下さった夕張工業高校の先生が、炭鉱の中の見学も可能ですと交渉を進めていただいたのですが、もしも事故に遭つては大変な事になる。全道の地理の先生が居なくなるのではと気持ちの小さい自分があって万字炭山の露天掘りの見学だけにしてしまったのです。
今思うと、炭坑内の見学をしなかった事はおしい事をしてしまったと思うことしばしです。炭鉱の坑内の見学をしていれば深く万字炭山が印象に残ったことであろうと思うのです。
まだこの当時は、夕張市も勢いが残っていて炭住(炭鉱長屋も見られました)の見学もさせていただきました。結構ありましたね。
そして炭鉱がつぎつぎと閉山し、万字炭鉱も閉山しました。その一角に万字温泉が開設されたのでしたが、夕張から岩見沢に車で抜けたおり万字の地に立ち寄りその温泉に入りました。
この道筋にはりんごなどの果物が植えられていて、この道をフルーツ街道と言うらしいのですが、当時万字温泉の名物は湯にリンゴを浮かす珍しい温泉として営業していたのでした。多くのリンゴを浮かばせた温泉は私は初めてで終わりです。
多くの人には万字炭鉱の名は知らない人が多いのではないでしょうか。その中で手稲駅南口の「珈琲屋はな」のママさんが、くしくも万字炭鉱に住んでおられたそうで、その時も万字の名を思い出したのでした。
さあて道新で「万字炭山」(岩見沢市)を紹介していたのは、「炭産地の鉄道拠点として栄えた岩見沢にふさわしい黒いお菓子の発売がされます。このお菓子の紹介であったのです。
国鉄万字線は1985年に廃止されたのですが当時の名を思い返してもらうためのものにしようというもくろみの土産物発売がななされるということなのです。