今日の最高気温は0時の9度台。日中どんどん下がって、夕方には霙から雪になりました。満開の桜に雪です。 写真は、先週末、うちの団地のガスの開通にきてくれた庄内ナンバーの大型バス。全国のガス会社の労働者がガスの復旧に街を駆け回ってくれています。36日ぶりにガスが開通しました!さっそくお風呂掃除をして、昼からお風呂に入りました!今も避難所生活を強いられている二十万人近い人たちに、一日も早く住居を! . . . 本文を読む
4月16日、仙台の中心街(いつもの場所です)で、4月の星野街宣を行いました。学生さんと労働者で4人。150枚のチラシをまき、4筆の署名が集まりました。震災後初で、どうしゃべったらいいか緊張しました。震災とつなげようとしてすごくわかりにくい宣伝になってしまったような・・・ 原稿用意しないからいけないよなぁ、と反省。 突風が吹いていて、目も開けていられないほどのビル風でした。この前に、駅前のビルの29階にいたとき、海岸線が見えました。のっぺらな茶色い海岸線。じっと見てると時折、黄色い噴煙があちこちで巻き上がっているのがはっきり見えます。津波が運んだ泥が乾いて粉塵となっているのでしょう。 3月の街宣は、大地震の後で中止せざるをえませんでしたが、今回から毎月の星野街宣再開です!頑張ろう!星野さんの65歳のバースデー(4月27日)も近い。一日も早く釈放勝ちとりたい! . . . 本文を読む
会員のYさんから、桜の写メ送られてきました。先週半ば、ラジオ聞いてたら、「仙台で桜の開花宣言」と言ってて、「えぇ~!?」と信じられない思いが・・・ 3月11日から何となく季節が止まっているような。花を気にかける余裕もなかったということかな。 写真は、どこのお寺でしょうか?灯篭か石柱が倒れたままですね。 梅も散っていませんが、木蓮も満開。春は進んでますね! . . . 本文を読む
今日(4月12日)、星野暁子さんから『獄壁を越えて 20号』が31冊届きました。本当は1冊400円で、大事な星野さん支援のカンパなのですが、暁子さんが、「福島、宮城には今回無料で」と、震災見舞いとしていただきました。ありがとうございます。読みたい方、コメントなりメールください。先着30名さま! 文昭さんの手紙、暁子さんの手紙、他20人の方の星野さんへの手紙。とても充実しています。私も書いてます。エジプト革命の直後だったから、みなさん興奮してて元気のいいお手紙です。 . . . 本文を読む
本日(4月10日)、仙台の繁華街にて「原発止めよう!震災解雇許すな!」の街頭宣伝活動を行いました。大震災現地闘争本部の主催で私たちも参加しました。街頭に立つのは、大震災の後、初めて(学生さんたちは先週から何度かやってたようですが)。街の人たちがどんな反応か、少しドキドキでしたが、200筆以上の署名が集まりました。28人の労働者、学生で2時間。署名隊が11人。こんなに仙台で署名が集まった経験はありません。署名は、8・6広島実行委員会の陣形と福島の原発爆発に怒る農民と合同労組の共同で呼びかけられた「原発廃止、被災地への補償・・・」を求めるもの。「私も原発はいらないと思う」「女川原発も廃止してほしい」「うちの実家は郡山なの」など、原発への怒りや不信を話す人が大勢いました。次の土曜日には、震災後初の星野街宣です。みんな来てね!頑張ろう!呼びかけよう! . . . 本文を読む
会員のYさんが写してきた仙台市若林区の川の写真(小さくてよく見えない時は本文を見てください)。海から7キロも離れた川の中に浮かぶ家の2階部分。名取市の閑上や若林区の蒲生地域を、先週、私も見てきましたが、土台しか残っていない家がたくさんありました。家の中に車があったり、船が入ってたり。海岸から2~3キロくらいに東部道路という高速道路がありますが、高さ7~8メートルくらいでしょうか。その高速道路の海側と反対側では被害は全く違います。堤防がもっと高ければ・・・と感じました。 . . . 本文を読む
4月3日、仙台市内のみやぎ労組交流センターの事務所にて、東日本大震災の仙台現地本部の立ち上げ集会が行われ、みやぎ星野文昭さんを救う会としても参加しました。仙台市内の市民会場はすべて使用できないため(避難所以外は施設開放すればいいのに・・・)、センター事務所となりました。福島の労組交流センターの仲間、秋田の青年労働者も参加。東北の労働運動、学生運動、市民運動に集まる仲間が会場いっぱいに集まりました。また、これに合わせて、動労千葉から滝口誠さんたちが軽ワゴンにたくさんの支援物資と大量のガソリンを積んで駆けつけてくれました。感謝です!「被災地の福島・宮城から被災地支援、原発即時停止・全廃の大運動を発信しよう!」と。 午前中には、海岸沿いの被災現地を3台の車で回りました。私も、震災後沿岸の街に入るのは初めて。田んぼの中に流された家や船、車、壊滅的な被害受けた下水処理場などを見ました。3週間が経ち、水が引いた後には大量の瓦礫(木材や家財道具、車・・・)が乾いた泥にまみれていました。全金本山のKさんの家でKさんのお話が聞けました。車中泊の毎日だそうです。「負けないで頑張ろう」と。前を向いて生き抜くたたかい。団結して進みましょう! . . . 本文を読む