私が経験した霊象からインディゴの子どもについて書いていきたいと思います。
現代健康研究所へ通い始めて1ヶ月が経った頃、紹介してくれたママ友が
目に見えないもの(このときは念だと思います)による影響の話を聞かせてくれました。
そして、私は高橋先生に「私の母が乳ガンになり、父も前立腺がんのボーダーで、姉はウツで、寛希は自閉症。私のまわりばかりこんなことになって・・・私がいけないのでしょうか。私が原因なのでしょうか。」と相談にのっていただきました。
高橋先生は「ウツは先祖の憑依が多いからね、お姉さんをここへ連れてきたら良いよ」と。
私は、母が病気をしたのをきっかけに、母と同居を始めました。
父は、私達との同居を嫌がり、近所の公団で一人暮らしをしています。
姉は当時、以前からのウツに加え、産後のマタニティーブルーもあり、家庭は荒れていました。
インディゴの寛希を抱え、父、母、姉を支えているというハードな生活でした。
姉は親子関係に問題あり、産後の手伝いも、実家からは私がいっていました。
さてその頃は、父も母も寛希と一緒に治療を受けていたので、姉のウツが治るかもしれないという事に希望の光をみていました。
1年前の年末に私は義兄と大喧嘩を電話でしました。「ウツはそちらの実家からの問題です。1年間は時間をあげますから、治してください。その先は知りません。」と言われたのでした。
その期日の1ヶ月前だったのです。
12月に入り、良い氣功整体があるからと、霊象とは何も言わずに、姉と二人で新幹線に乗り現代健康研究所へ行きました。
姉には、水子の霊がついていました。私はそれを知っていましたが、高橋先生にはお話していませんでした。でも、高橋先生はすぐに姉にそのことをお話しになりました。
そしてしばらくすると、姉が目を大きく開きました。
何かコソコソ先生と姉が話しています。
治療中姉は泣いていました。
帰りにコソコソ話の内容を姉が教えてくれました。
「水子が2人ついている。」って言われたの。
私は???
一人は知っていました。でももう一人は知りませんでした。
母の水子でした。さずかった時、母体のたんぱくか何かの数値が高く、産まない方向になったということでした。私はまったく知りませんでした。
そんな話をしながらの電車の中で、姉は泣き始めました。
体調もわるく、震え、大きな声でも泣きます。
「死にたくなかった?生まれたかった?私を呼んでいる?」
はっきり言って怖いです。
新幹線は意外と混んでいました。まわりもひいています。
いつも潔癖な私は座るシートもきれいなところを座るのに、
足元に置いた荷物の下は水がたれていました。
本当に怖かったです。
東京駅について、すぐに高橋先生に電話しました。
「姉は大丈夫でしょうか???」
さみしがってる、行かなくちゃとか独り言を言っています。
私は不安でいっぱいです。
高橋先生に遠隔をお願いして、東京駅で別れました。
次の治療の時に、今度は私が体験しました。
姉の横で寛希が治療を受けていました。そのそばに私と主人が座り、
「先生、母がここに来たくないって言いはじめたんです」と話した瞬間、私は気持が高ぶって、胸が苦しくて、泣きながら、首元を押さえて、搾り出すように母方の実家のことを話し始めました。でも、話したくないような内容です。でも、止まらないのです。無意識に言葉が出てきました。
隣で治療を受けていた姉も苦しみ始め、「全部話して!」と叫んでいました。
話し終えると、高橋先生は「悔しいの?悲しいの?」みたいな言葉をかけられました。でも、私は何にも感じなかったので、そのまま下を見ていました。
私は、姉をこちらへ連れてくるお役目だったそうです。
その日、水子の供養をしていただきました。
姉の水子の成仏の時、姉は泣いていました。私も泣きました。
姉も私もその当時がフラッシュバックしていたのです。
母の水子の時は、私は涙がでませんでした。
でも姉は泣いていました。
家族でない方の水子の供養に立会いをさせていただいたとき、
私はやはり涙は出ませんでした。この涙にも意味があるそうです。
水子の霊はむずかしいそうです。
両親も有名なお寺に供養をお願いしていました。
でも未成仏でした。
私も流産の経験がありますが、成仏していたので安心しました。
水子の霊は、母親を通して子どもなどにも影響を与えるそうです。
さて、姉には先祖の未成仏霊もついています。
「3代の家系図を書いて持ってきて」とのことだったので、
私は家系図をかきはじめました。
現代健康研究所へ通い始めて1ヶ月が経った頃、紹介してくれたママ友が
目に見えないもの(このときは念だと思います)による影響の話を聞かせてくれました。
そして、私は高橋先生に「私の母が乳ガンになり、父も前立腺がんのボーダーで、姉はウツで、寛希は自閉症。私のまわりばかりこんなことになって・・・私がいけないのでしょうか。私が原因なのでしょうか。」と相談にのっていただきました。
高橋先生は「ウツは先祖の憑依が多いからね、お姉さんをここへ連れてきたら良いよ」と。
私は、母が病気をしたのをきっかけに、母と同居を始めました。
父は、私達との同居を嫌がり、近所の公団で一人暮らしをしています。
姉は当時、以前からのウツに加え、産後のマタニティーブルーもあり、家庭は荒れていました。
インディゴの寛希を抱え、父、母、姉を支えているというハードな生活でした。
姉は親子関係に問題あり、産後の手伝いも、実家からは私がいっていました。
さてその頃は、父も母も寛希と一緒に治療を受けていたので、姉のウツが治るかもしれないという事に希望の光をみていました。
1年前の年末に私は義兄と大喧嘩を電話でしました。「ウツはそちらの実家からの問題です。1年間は時間をあげますから、治してください。その先は知りません。」と言われたのでした。
その期日の1ヶ月前だったのです。
12月に入り、良い氣功整体があるからと、霊象とは何も言わずに、姉と二人で新幹線に乗り現代健康研究所へ行きました。
姉には、水子の霊がついていました。私はそれを知っていましたが、高橋先生にはお話していませんでした。でも、高橋先生はすぐに姉にそのことをお話しになりました。
そしてしばらくすると、姉が目を大きく開きました。
何かコソコソ先生と姉が話しています。
治療中姉は泣いていました。
帰りにコソコソ話の内容を姉が教えてくれました。
「水子が2人ついている。」って言われたの。
私は???
一人は知っていました。でももう一人は知りませんでした。
母の水子でした。さずかった時、母体のたんぱくか何かの数値が高く、産まない方向になったということでした。私はまったく知りませんでした。
そんな話をしながらの電車の中で、姉は泣き始めました。
体調もわるく、震え、大きな声でも泣きます。
「死にたくなかった?生まれたかった?私を呼んでいる?」
はっきり言って怖いです。
新幹線は意外と混んでいました。まわりもひいています。
いつも潔癖な私は座るシートもきれいなところを座るのに、
足元に置いた荷物の下は水がたれていました。
本当に怖かったです。
東京駅について、すぐに高橋先生に電話しました。
「姉は大丈夫でしょうか???」
さみしがってる、行かなくちゃとか独り言を言っています。
私は不安でいっぱいです。
高橋先生に遠隔をお願いして、東京駅で別れました。
次の治療の時に、今度は私が体験しました。
姉の横で寛希が治療を受けていました。そのそばに私と主人が座り、
「先生、母がここに来たくないって言いはじめたんです」と話した瞬間、私は気持が高ぶって、胸が苦しくて、泣きながら、首元を押さえて、搾り出すように母方の実家のことを話し始めました。でも、話したくないような内容です。でも、止まらないのです。無意識に言葉が出てきました。
隣で治療を受けていた姉も苦しみ始め、「全部話して!」と叫んでいました。
話し終えると、高橋先生は「悔しいの?悲しいの?」みたいな言葉をかけられました。でも、私は何にも感じなかったので、そのまま下を見ていました。
私は、姉をこちらへ連れてくるお役目だったそうです。
その日、水子の供養をしていただきました。
姉の水子の成仏の時、姉は泣いていました。私も泣きました。
姉も私もその当時がフラッシュバックしていたのです。
母の水子の時は、私は涙がでませんでした。
でも姉は泣いていました。
家族でない方の水子の供養に立会いをさせていただいたとき、
私はやはり涙は出ませんでした。この涙にも意味があるそうです。
水子の霊はむずかしいそうです。
両親も有名なお寺に供養をお願いしていました。
でも未成仏でした。
私も流産の経験がありますが、成仏していたので安心しました。
水子の霊は、母親を通して子どもなどにも影響を与えるそうです。
さて、姉には先祖の未成仏霊もついています。
「3代の家系図を書いて持ってきて」とのことだったので、
私は家系図をかきはじめました。