《「皇帝」の地位も、アノ国ではこんなもの》
支那の言葉は汚い。文字はもっと汚い。支那学の泰斗、樋泉克夫愛知県立大名誉教授の指摘だ。
だから見た目の悪い漢字だらけの看板は日本では流行らない。松下電器はパナソニックに、旭光学はペンタックスになった。
日本人が仮名を創ったのはそれで漢字の羅列の見苦しさを薄められると考えたからだろう。実際、仮名まじりの筆書きは本当に美しい。
漢字は字面だけでなく表現する内容も汚らしい。
「易子而食」は「隣の子と我が子を取り換えて食らう」の意味だ。
易は替えると読む。易姓革命も「天命が改まり新しい皇帝に替わる」という意味だが、内実は易子而食と大差なく汚い。
革命は治安が乱れ、飢饉が重なり、盗賊が跋扈して何百万もが餓死するか殺される状態が前提になる。
盗賊の親玉は天命を感じたといって、皇帝を称し、同類を倒していって、ついには現皇帝を殺し、もっと過酷な王朝を建てるのが形だ。
では、どれだけ死ねば革命になるのか。後漢が滅んで三国志の時代に入ると人口は10分の1に減ったと言われる。
南北戦争で米国人は4年間で60万も殺した。同じように歯止めを知らない支那人だ。劉備、孫権らが親子二代にわたって殺し合いを続けたなら数百万人の民が殺されたとしてもおかしくはない。
このときは黄巾の乱が引き金だったが、それから100年後の元朝の末には赤い紅巾の乱が登場する。
黄巾のときと同じように天下は麻のように乱れ、飢餓で何百万もが死んでいった。革命の機は熟した。白蓮教徒やその他盗賊が皇帝レースに加わって最後は朱元璋が抜け出して明朝を建てた。
しかし民の苦しみはなお続く。禿の朱元璋は「禿」の字を書いただけで処刑した。3代目の永楽帝はもっと残忍で、儒学者、方孝孺が彼の正統性を認めないと、方の父方も母方もすべての眷属を殺し、さらに友人、知人まで十族すべてをみな殺した。
そんな酷い皇帝でも何百万の民が死ぬ飢餓が伴わない限り革命は起きない。
ただ、うまくしたものでそんな時は外国勢がやってくる。悪い明王朝を倒したのは満州民族で、民は北京に入る満洲人を歓声をあげて迎えている。
(続く)
新潮文庫
「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
高山正之著 より
「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
高山正之著 より
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「ふ~む」というのは色々なことから。
「漢字(真名)」を崩して平易な「仮名」として作られた(というより用いられた)のが「平仮名」、発音記号として漢字の一部を使ったのが「片仮名」で、平仮名は平安期、片仮名に至っては奈良時代末期には既に使われていたと読んだことがある。
美醜ではなく、必要に迫られてというのが本当のところなんだけど、実は氏の書かれる通り、「本当の本当」のところは、ちゃんと根っこがあって、それはやっぱり美醜なんじゃないか、と思う。美しくなければ廃れてしまう。
それからもう一つ。
>そんな酷い皇帝でも何百万の民が死ぬ飢餓が伴わない限り革命は起きない。
・・・・ということは?
確かに「文化大革命」は本当に革命が起きてもおかしくないくらい多くの人が死んだけど、あ、そうか、あの時は党内の反対派を倒した(粛清した)から、あれが革命ということになるか。
そして今、起きる可能性は?