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CubとSRと

ただの日記

誤魔化す

2025年04月30日 | 日々の暮らし
 4月25日(金)

 7時起床。不覚!そして不整脈。さらに加えて「平日」。

 不整脈だからしっかり血圧測定をしなければ。
 しっかりと測ると時間もかかる。時間がかかっても結果が好転するわけではない。
 それからストレッチをする。ストレッチを少しやったとしても、8時前。
 平日のそんな時間に学校近辺(散歩コース)をウロウロするわけにはいかない。かと言って、散歩をサボるわけにもいかない。
 何となれば(何なら、ではない)今日は酒を飲む日だから、だ。
 散歩に出なければ飲めない、飲んじゃいけないというのがマイルール。

 で、色々考えた揚げ句、朝御飯を食べてから散歩に行くか、となる。
 いや、その前に習字を挟もう。そうすれば学校が始まってからの散歩となる。不審者にはならない。
 よし、決めた。

 簡単な朝食、となればそれは勿論レトルトのカレー。
 カレーを温め、御飯を温め、両者を同じ皿に盛るだけ。
 朝食を摂り、片付けを終えたのは9時半。
 10時15分散歩に出発。10時55分に帰宅。
 40分も掛かったのは、100円ショップまで足を延ばし、うろついていたため。
 結果、気に入ったものがなかったため店を出る。
 仮にあっても、お金持って出てないから買えなかったんだけど。

 帰ってからすぐにSRで出るという選択肢もあったのだが、曇天が気に食わない。昨日のうちに用事を済ませといて良かった。

 出る気にはならないな、と思っているうちに睡魔に襲われる。
 11時半ごろから、何と2時半まで寝てしまった。
 
 
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慌てるな

2025年04月29日 | バイク 車 ツーリング
 4月24日(木)

 5時45分から6時15分まで散歩。
 今朝は帰ってから素振り用の木刀で百回ほど素振り。型を二つ、数回ずつ。
 やるにはやったが、やはり柄握りを修得するため、太刀筋を知るため、となると素振り用の木刀はあまり使わない方が良いのだろう。「木を見て森を見ず」になってしまう可能性が高い。
 いや、可能性ではなく、ほとんど必然性かも。
 やはり「木を見て森を忘れず」。

 9時半。洗車に行く。
 着て出る物に悩み、揚げ句、やっぱりオーバーオールにデニム地のコートジャケット、レザーキャップ。
 花粉のせいか、それとも黄砂のせいか、比較的早い時間なのだが間を置かず次々に洗車待ちの車が並ぶ。 拭き上げに入ったら、また一台。
 今月は水洗いだけなら百円だから?

 いつも通り、空気圧チェックをする人は、ない。
 まあ自分でやるより有人のスタンドでやってもらう方が早いし汚れないし、というところなんだろうが。

 洗車が終わったらそのまま帰宅、ってのは勿体ない。きれいな状態で走ることができるのは今日限定。
 掘り込み式で、シャッターを閉めたら真っ暗。梅雨時には容易にカビが生える、湿度最高のガレージではあるが、黄砂は容赦なく侵入してくる。明日には間違いなくうっすらと黄砂が積もっている。

 そんなことよりあんまり新緑が美しい。このままガレージ直行は惜しい。
 それに明日もこんな天気になるとは限らない。

 黄砂の靄がかかって、眠気を誘うようなぼんやりとした色合いになっている新緑の春景色。
 反対に珍しく黄砂のない、温かいようでいながら清冽な雰囲気の色合いを見せる春の風景。
 どちらも望んだからと言ってそうそう見ることのできるものではない。
 
 今日は、ぼやけた春景色。
 黒井健の絵のように眠気を誘う優しさ。
 コペンに乗って20キロあまり走って、それを感じた。
 「車もいいなぁ」と体感したと思う。

 「だったら、バイクで行けばもっと」と思った。
 出直すことにした。
 明日の用事を今日やってしまおう。SRで。


 
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またもや!何度再掲したか分からなくなったけど、懲りずに再掲

2025年04月29日 | 心の持ち様
2017.04/29 (Sat)

 今日は「昭和の日」についてです。

 本来、「文化の日」は「明治節」と呼ばれていたように、今日だって「昭和の日」ではなく、「昭和節」というべき日です。
 「節」というのは「節句」という言葉から分かるように、「節目」ということで、これは「記念日」、「お祝いの日」と捉えます。

 「祭日」は「お祭り」の日。
 本来は「~祭の日」、と言う。
 「元旦祭」、「春季皇霊祭」、「秋季皇霊祭」、(「神嘗祭」)、「新嘗祭」
 宮中で祭祀があるので、「祭」とついているから、「祭日」。
 それと違って、記念日は「祭日」ではないのだから、「祝日」ということにしよう。

 ということで、「建国記念の日」は「紀元節」と言いました。
 「建国した日」自体は分からないのですから、一番似つかわしい日を算出して2月11日とした。
 天皇陛下の誕生日も「お祝い」したい。「お祝い」。「祝」日ということになるから、それも「天の下の長」だから「天長」の祝日、「天長節」としよう。
 
 その明治天皇が崩御された。
 以降は「天長節」は大正「天皇の御誕生日」ということになる。
 でも、あの偉大な明治天皇のお誕生日を祝うことは続けられないか。
 ということで、「明治天皇のお誕生日」である11月3日は、「明治節」という祝日になった。

 それが敗戦。
 占領統治をしていたGHQは、これまでの祝祭日(祝日と祭日)は全て廃止するよう命令、11月3日は「日本国憲法発布の日」として、「明治節」を消し去ろうとした。

 でも、明治天皇の御誕生日を何とかしてお祝いしたい。
 「そうだ!明治天皇が日本の近代化に舵を切られたからこそ、今の日本があるのだ。近代文化国家日本は明治天皇によって拓かれたのだ。だから『文化の日』にしよう!それがいい!!」

 というわけで、「文化の日」。
 勿論、そんなことを言ったら、「GHQにご注進!」というような連中はそこら中にいるわけだから、表向きは
 「戦後の近代国家を作る『日本国憲法』が発布された、『文化国家になる記念すべき日』だから、『文化の日』としよう」
 ということに。苦心惨憺、です。

 「またまた~。大げさな。話、盛ってない??」、なんて思う人があったら、言いたい。
 「紀元節はどうなりました?建国記念日、じゃなくて『建国記念の日』、として祝日になるまでに、どれだけ年月がかかりました?」って。

 何とか「みどりの日」として、成立し、やっとのことで「昭和の日」となりました。
 
 本当は「建国記念の日」ではなく、「紀元節」と言いたい。
 本当は「勤労感謝の日」ではなく「新嘗祭」と言いたい。
 同じく、「昭和の日」ではなく、勿論「みどりの日」でもなく、本当は「昭和節」と言いたい。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 以下は二年前の日記の部分転載です。
  ↓
 「みどりの日」は緊急措置として、そんな命名をしたんでしたね、「昭和の日」では反対されるから。
 勿論、民主、社民、共産の各党が反対するからでした。
 これ、気をつけなきゃならないのは、それらの党が反対できるのは、それらの党を支持する国民が相当数いるから、ということです。「同じ日本人」っていう括り方は安易過ぎる。

 じゃあ、天皇の諡号(しごう・おくりな)を出さなければ良いんだな?と言うことで、もっと「軽く」、「みどりの日」として、とにもかくにも昭和天皇の誕生日を祝日として残した。そこにはきっと水面下での相当な政治活動があったんでしょう。



 「『昭和の日』が嫌なら『みどりの日』はどうだぃ?ゴールデンウィーク、一日減るとさびしいぜ~?どうするぅ~?」なんてことを言って、搦め手から行ったんでしょうね、自民党のことだから。

 そして遂に四月二十九日は「昭和の日」となった。


 先人は、大変な苦労をして、一旦は消された「紀元節」を名前を変えてでも、とにかく復活させた。
 「昭和の日」だって同じです。本当なら平日になるわけです。それをとにかく休日として置き、遂に「昭和の日」に、した。

 だから「みどりの日」はお役御免、です。
 でも、昭和天皇が国の復興のために、と積極的に植樹祭に行幸されたという事実は、我々はそれこそ1000年だって覚えておかなければ、と思うようになりました。
 「昭和天皇の御遺徳を思う日が二日もある」
 今はそんな風に思っています。

 「11月3日は明治節」なのに。
 憲法発布の日を被せ、だから「文化の日」だと。
 5月3日は東京裁判開廷の日だから。
 憲法施行の日を被せ、「憲法記念日」だと。

 「新嘗祭」を「勤労感謝の日」としたことも併せ、旧に復することも思い続けるべきでしょう。
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まだ分からんよ 早計は禁物

2025年04月28日 | 日々の暮らし
 4月20日(日)

 6時25分から6時55分まで散歩。
 帰って来て素振り百回。型数回。
 型の本意が掴めてないのだから、思ったようにはできないけれど理屈としては少し見えてきたような・・・・。

 4月21日(月)

 5時55分から6時35分まで散歩。
 これまでの散歩で神社参拝まで行かず、40分かかっているというのは最長(最遅?)記録みたいだが、この中にはまず初めに「生活ゴミ捨てに行くため大回り」、というのが入っている。百メートルほどか。
 それで10分も余分に掛かるか?とも思うが。

 帰ると同時に昨日に倣って素振りを百回。
 やはり散歩から帰って早々に、となると腰痛も出て来る間がないらしい。
 いやいや、結論を出すのはまだ早い。
 それに腰痛退治が目的じゃない。
 最終目的はちゃんと木刀を振れるようになること。
 そのために身体を思い通りに動かせるようになること。
 身体を思い通り動かせるようになるためには、まずは腰痛をなくすこと。

 この順番を忘れ、「木を見て森を見ず」になってしまったら元も子もない。
 命のない機械だって「悪いところを修繕すれば完璧になる」ように見えて、でもそれは新たな修繕箇所発生のスタートラインに着いたということでもある。人間だって同じだ。治ったって「だから不老不死になりました」なんてことはないんだから。
 前に書いた通り、八百比丘尼は死ねないし歳を取らないんで本人は大変なんだから。
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「腹八分目」でも多いんだ、きっと。

2025年04月27日 | 日々の暮らし
 4月18日(金)

 4時半に起き、マウスピースを外し、まだ起きるには1時間早いと思いながら血圧を測る準備をする。
 気が付いたら6時半だった。慌てた。

 ただ、散歩をサボろうにも今朝は身体に具合の悪い個所が見つからない。
 あの「直立スクワット5回」と「馬式站椿30秒」が、ここ2,3日前から結果を出してきているのかもしれない。
 何しろ片足立ちでさほど苦労をせず靴下やズボンを穿けるようになった。
 (ほんの3,4日前から始めたことと思っていたけど、実は一ヶ月近くやってきたようだ) 
 
 当然というか、この歳になるとやはり「やり足りない」それも「相当以上にやり足りない」と思うくらいの分量が、実は身体には一番合っているのかもしれない。

 「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」というけど、この「過ぎる」という感覚が意外に分からない。
 気持ちは攻めの姿勢のまま、実際には「えっ?そんなのやった内に入らないんじゃない?」と思うくらいの分量までに抑える。

 出来そうでできないことだが、伊達に歳を取ってきたわけじゃない、やらなきゃ。
コメント (2)
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