書評 BOOKREVIEW
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「参拝は私人ですか、公人ですか?」の愚問には一言。『日本人です』
靖国神社は「神話でも戦争美化でもない」。日本人の祀るこころを問い直す
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東条英利・久野潤『靖国神社』(ビジネス社)
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『失われた三十年』ではない。『失われた八十年』なのだ。これこそまさしく『第二の敗戦』である。
戦後八十年、英霊への慰霊と顕彰を忘れた民族は精神的混迷の淵を彷徨う。
評者(宮崎)が『正論』(令和七年6月号)にそう書いたところ、かなりの反響があった。『失われた三十年』などというのは経済レベルに矮小化した視野狭窄の領域のはなしである。たとえば野口悠紀雄氏は「敗戦から高度成長、バブル崩壊、大規模金融緩和」のながれを追って「だれが今の姿を予測出来たか」とする(野口『戦後日本経済史』、東洋経済新報社)。近視眼の典型である。
こんにちの日本の低迷ぶりは鮮明に予知できた。
靖国神社に対する国民の態度をみれば一目瞭然である。
八月十五日に靖国神社を参詣する政治家をつかまえて「私人ですか? 公人ですか?」という愚問を発するメディアには「日本人です」とこたえれば良い。
靖国問題で、このような歪なかたちはGHQの置き土産=神道指令にあるが、これに便乗した怪しげな仏教団体やキリスト団体、その背後に蠢くのが左翼勢力の暗躍、かれらは日本を壊すために執拗な粘着性を帯びて、政治生命を賭けて靖国神社に眠る英霊たちを貶めているから始末に悪い。
かててくわえてメディア関係者の不勉強、おどろくほどの無知!
さて本書は東条英機元首相の曾孫、東条英利氏と新進の歴史学者、久野潤氏がまとめたもので、慰霊顕彰こそがグローバルスタンダードであり、あのジョン・レノンも靖国に参拝したこと、次はトランプ大統領の参拝が期待されること、靖国神社と一般的な神社は何が違うかなどを語り合った。
祭祀は別に戦争の犠牲者や国家に貢献した人々だけではなく地域に貢献した無名の戦士も祀られてきた。
祭祀は文化であり縄文時代からの人々の営みであり、ホモサビエンスのみならずネアンデルタール人も墓を造成し、なんらかの儀式を行っていた。幕末の学者・会沢正志斎は『新論』のなかで古来よりの伝統であると力説した。新論を読んで吉田松陰は水戸に遊学し、老齢になっていた会沢のもとに通ったという話は有名だろう。
招魂社を靖国神社と命名されたのは明治天皇で「靖国とは国を靖(安)んずる」という意味、「祖国を平安にする、平和の国家を建設する」という願いがこめられている(東条)
「寺子屋」があるのに「宮子屋」がないのはおかしいと疑義を呈する久野は、「戦後の地域ミィーティングが意図的に神社での寄り合いから公民館などに替わった」。日本人を神社から遠ざけたGHQ政策もあるが、『戦後の日本人の精神的変化のなかで定式化した』と分析する。
次が本書の肯綮である。
(東条)「宗教という定義そのものを真っ正面から考えると非情に難しい問題ですが、もともと神社・神道はアニミズムと言われる、太古からの精霊信仰、自然信仰から始まっているものです。そう考えると、仏教やキリスト教やイスラム教などの宗教は教典を持ったある意味近代化された科学です。それよりももっと以前から存在していたといわれる神道は、非情に原始的なものだと馬鹿にされたところもあるぐらい、そもそもがかなり違うものと考えるべきなのです」。
(久野)「無知、無学が転じて靖国神社に刃を向けるようになる。見当違いも甚だしい議論をよく見かけますやはり神社についてもっと知ることこそが、靖国神社を守るうえでも第一に重要」(132p~133p)。
神道は自然発生した自然崇拝であり、古代には拝殿もなかった。神社を象徴する鳥居はおそらく八世紀からであり、仏教が渡来して以来のことである。
鳥居は神域と俗域をわける結界で、神域への入口を示すゲートである。
古代に「於上不葺御門(うえふかずのみかど)」と呼んだとされ、仏教の寺院建設に刺激を受けて、神道世界にも近代の建築思想が現れてきたと考えられる。それまでは山や太陽を拝む神域であり本殿も拝殿もなかった。神仏混淆以後、寺院の入り口に鳥居があったり、神社内にお寺があったりという日本的な神仏混交というユニークな発想が普及した。まさに“日本教”と言ってよいだろう。
冠木門は鳥居の原型ではなく寧ろ奈良時代の鳥居を真似て鎌倉時代から武家屋敷の門につかわれた。江戸時代には城の入り口に置かれるようにもなった。つまり冠木門は、鳥居の原型ではない。
日本最古の寺院とされるのは飛鳥寺である。
1400年以上前、飛鳥の地に建立され、橘寺までの広大な敷地内には、小墾田宮などが設営され、皇極天皇は、飛鳥板蓋宮に遷幸した。
在世中に乙巳の変が起きた。飛鳥寺には15噸の銅を使って改鋳した飛鳥大仏が安置されているが、当時の敷地内と想定された場所の地下三メートルのところに石礎が発掘されており、高い塔が聳えていたと推定されている。
神道を考える本だが、読みながら仏教の変遷も考えた。
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)8月26日(火曜日)
通巻第8921号 より