「正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」
・・・と思っていたけれど、新年早々ネットで見たら、「正月や冥土の旅の一里塚~~」とか「門松は冥土の旅の一里塚~~」或いは「門松や冥土の旅の一里塚~~」等色々ある。
並べてみれば、狂歌や狂句(?)では「正月は」や「門松は」みたいな言い回しは、普通しないだろうと気が付く。これはもう上の句だけが独立して格言・金言のようになったのだ、と思った方が良い。
対して「~や ~」というのは、いかにも狂歌の言い回しの体裁が取れている。
そして、「正月や~」よりも「門松や~」の方が具体的な物(門松→一里塚)からの、自然であると同時に新鮮な発想のように思える。
「門松や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」
これが一番納まりが良い。
ただ一休禅師作の狂歌だというところで、又引っ掛かった。
何でも正月に一休禅師が髑髏を杖の先に被せてそういうことを言ったとかなんとか。
?道を歩きながら家の前で言ったのか?
それとも参詣客に法話として説いたのか?
はたまた海舟の「これまでは常の身なりと思ひしが 五尺に足りぬ子爵なりとは」みたいな「一句ひねってみた。えっへん」みたいな冗句だったのか?
こう、TPOを考えてみると、一休禅師、狂歌なんか詠まないだろう、と。
似たようなことを人々に簡明に説いたのを周囲の誰かが狂歌の形にして書き留めたんじゃないか。
「門松は新しい年を祝うと同時に寿命の尽きることを示してもいる。『今』に心を置かず、浮足立っていると気が付いた時はもう遅いぞ」
まあ、一休禅師は詠んでませんよ、絶対。
何故って一休さんは室町時代の人でしょ?
一里塚なんて見たことないはずだから。