書評
言葉で理想を述べても、実際にやることは異なるというシナ人の特性
人工的な暗号解読だった漢字が、じつは歪んだ性格形成の本源だった
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岡田英弘『漢字とは何か 日本とモンゴルから見る』(藤原書店)
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日本人の大半が漢字を誤解している。漢字を通して中国人を判断するのも、文化的に大きく誤解をしている。
漢字は表意文字である。そこには言語学的に、表現力においても自ずと限界があり、現在・過去・未来の動詞変化が欠如しており、まして助動詞も、前置詞も、形容動詞もない奇妙な言語が中国語なのだ。
ところが、文字を持たなかった日本に五世紀頃から流入し始めたため、日本は中国を文化大国として崇めるという倒錯した価値観と風潮を産んだ。
「一衣帯水」、「同文同種」という、歴史を誤断させる事態を招いた。
中国に於いて儒教は理想を述べたに過ぎず、実態とは乖離がある。ところが日本はその理想を実践した。道徳を実践した意味で日本は珍しい国であるが、それは本書では書かれていない。
漢字は長江流域で生まれたことは明らかなのだが、黄河中流の洛陽盆地で発展した理由は、「この一帯だけ黄河を渡ることができた」からだ。すなわち「洛陽盆地は、異なった生活文化を持つ人びとが接触するユーラシア大陸の十字路だった」
2021年7月に発生した大洪水は、この洛陽盆地に最大の被害をもたらした。鄭州、洛陽、開封は古代から何回も王朝の首都が置かれた。
岡田氏は記した。
「漢人にとって漢字を学ぶのは、外国語を使って暗号を解読するようなもの」であって、じつは「漢人の論理の発展を阻害した。どういうことかというと、表意文字の特性として、情緒のニュアンスを表現する語彙が貧弱なために、漢人の感情生活を単調にした」からである。『源氏物語』のような優雅な恋愛を描けないシナの文学! 最近、なぜ渡辺惇一の小説が中国で読まれるかは、この特性を理解すれば納得がいく。
科挙制度とは、雑多な言葉を喋る多種社会のなかで、共通する暗号を用いてコミュニケーションを成立させることができるエリートを養成することに目的があり、したがって彼らは古典を丸暗記する。
それゆえに科挙は、「儒教の経典や古人の詩文の文体に沿った表現しかできない」ことになる(29p)。
嚆矢は秦始皇帝で、漢字を統一し、3300字を公認した。つまり漢字を統一するために、ほかの文献を処分したのだ。それを「焚書坑儒」と歴史家は言うが、儒学者を生き埋めにしたという事実はないと岡田氏は言う。
日本人が中国人をみて、なぜ個人と家族が基軸の価値観なのかと衝撃を受ける。
「漢字を基礎としたまったく人工的な文字言語が極端に発達したため、それに反比例して音声による自然言語は貧弱になってしまった。だから、一般の漢人にとって心が通い合うのは生活を共にする家族だけになり、その範囲の外にいる人びととは文字言語におんぶした紋切り型のコミュニケーションしかできない」。
ところが他方で、「漢字はシナ文化圏(皇帝の支配圏)という商業ネットワークには欠かせないものだった」(59p)。
つまり、こういうことなのである。
「シナの社会が、少なくとも紀元前221年の秦の始皇帝の統一以来、個人主義の傾向が強く、政治の場ではそのときそのときの利害によって目まぐるしく離合集散が繰り返される。自分以外のだれも頼りにはできない。そうした環境で身を守って生きのびる術は、つねに口先では言葉の辻褄を合わせながら、言葉と関係のない行動をとるほかにはない」(91p)。
日本人はシナ文学の理解をも間違えた。漢詩は理念であって情感ではないのである。中国語は情緒の表現が出来ない。だから「心中」が理解できない点ではアメリカ人と同じである。ましてや赤穂義士?
「国破れて山河あり」なる漢詩を情緒的と捉える日本人は、漢詩を日本語化して解釈した所為であり、「そもそも漢詩は古来、『志』、つまり理念を表現するためのものとされてきた」(96p)のである。
そして「洛陽の紙価を高める」という故事に象徴される出来事は紙の発明(105年)だったのである。紙は高価なものだったので、「宮中の製紙工場の独占生産で、紙を分けて貰うには帝室の許可が要った」。
この制度は魏呉蜀の三国志時代にも同じだった。ということは何を意味するか?
ここが大事である。
「書物を書くということは、魏志倭人伝の時代には、それほど重大な行為だったのであり、したがって女王・卑弥呼の使がシナに来たからといって、それだけのことで魏志倭人伝が書かれ、後世につたえられるはずがない。それはそれだけの、政治的な理由が必要である」(155p)
つまり政治的プロパガンダを目的に魏志倭人伝は書かれたのだ。その魏志倭人伝を金科玉条の如く仰ぎ見る日本の古代学者って、岡田先生がもし生きていたらどう評価されただろうか?
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和三年(2021)7月26日(月曜日)
通巻第6995号
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明日は以前に「同文同種」について書いた日記を転載します。