「原発が安全だというのは、『神話』でしかない。『神話』が事実ではないように、原発が安全だというのも全く事実ではない」。
これが「原発『安全』神話」。
何か事故が起これば喧しく書き立てるのは報道機関の仕事だ。それは大事なことだ。
しかし、事故が起こらないように、と気付いたことを改良、改変しようとすると、
「ほら、やっぱり全く安全じゃないんだ。だから直そうとするんだ、『安全だ』、なんて『神話』なんだ!」
と、事の大小に関係なく騒ぎ立てる。
事故が起きないように騒ぎ立てるのだって報道機関の仕事だ。それも良い。
問題は「事故が起きないように」、と工夫を重ねていくことまでも事故が起きたと同列に論じてしまうことだ。
それを言い出したら、何事につけても「初めから完璧なものでなければ世の中に出してはいけない」、「一旦、衆人の目に触れたら、手直しは許されない」、ということになる。
勿論それでは物事の発展、発達は望めなくなる。
で、このアサヒの思考法は、米国に学んだものだ、と。
確かに御用新聞だったアサヒは、戦後もまた御用新聞(今度は米国の)として「社会の木鐸」を演じてきた。
言うまでもないことだけど、御用新聞は拡声器であって、「社会の木鐸」じゃない。
以下、転載です。
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【原発「安全神話」を作り上げた朝日の責任】
今は昔、セスナという単語があった。
ベトナムでホンダと言えばバイクを意味するようにセスナは軽飛行機の代名詞になっていた。
バイクにヤマハやカワサキがあるように、軽飛行機にもセスナのほかパイパーやビーチクラフトなど二十九社もあった。いずれも米国の小型機メーカーで、生産機数は年間二万機近く。それで世界の小型機市場をほぼ独占していた。
それが八〇年代、消滅してしまった。理由はただ一つ。小型機の安全性を問う製造物責任法(PL法)の訴訟ラッシュだった。
たとえば八四年、アルバカーキでパイパー機が滑走路上に置かれたトラックとぶつかった事故だ。
操縦者はタンデム式操縦席の前席にカメラを置いて後部席で操縦していた。
不自由な視界もあって彼は滑走路閉鎖のために置かれたトラックに気付かずに突っ込み大けがをした。
自損事故みたいなものだが、彼はメーカーのパイパー社を訴えた。
当時、同社は操縦者の安全性を高めるためジェット戦闘機並みのハーネス式シートベルトを新型機に装着し始めていた。
彼の弁護士はそこに目を付けた。ハーネス式が安全というなら旧モデルのシートベルトは安全に問題があったということだ。
パイパー社は安全性に欠陥がある機を売ってきた、PL法違反だと主張した。
ヤクザでも照れてしまいそうな因縁づけだが、アルバカーキ地裁の判決は「パイパー社は二百五十万ドルを支払え」だった。
この訴訟が出てからセスナやビーチクラフトの改良型が出るたびに「旧モデルは欠陥機だった」という因縁訴訟が次々出てきて、メーカーは負け続けた。
年間賠償は二億ドルを超え、二十九社中二十社が破産し、最大手のセスナもテクストロン社に吸収され、米小型機業界は事実上消滅してしまった。
(続く)
高山正之著
変見自在
「マッカーサーは慰安婦がお好き」より
新潮文庫
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