私がブログを書こうと思った時に
本当は1番に 父のことを書きたかったのです
なかなか書く機会が無かったのですが今度の日曜日
13日は父の誕生日なので今週は父のことを書きたいと思います
11月13日で父は67歳になります
生きていたらです
私の父はとてもお酒が好きでした
子供の頃からの父の思い出を語ると、あまり良い事が出てきません。
父は大のお酒好きで、夕方頃起きては深夜までチビチビと飲んでは
朝から夕方まで寝いました。
そんな生活スタイルの父親でしたから、仕事もしない、昼間は寝てる
いわゆる今で言うと重度の「アルコール依存症」という病気だったのです。
私は子供の頃から「お父さんが給料袋を持ってくる」という光景を
一度も見た事がありません。
回りの友達のお父さんを見ていると確実に私の父とは違ってました。
もちろん生活は貧しくて苦しく、母が朝から深夜まで働き
もの心付いた時には私も生活費の為に働いてました。
でも何故か父を憎いとか、嫌いだとか感じたことがなかったのです
普通でしたら働かず、飲んでばかりのだらしない父を
母や親戚は嫌い、軽蔑されても仕方ない人だと思います。
私は飲んでも、飲まなくても父のくったくのない笑顔が好きでした。
そして人の悪口を言わない、人を疑うことを知らない父が好きでした。
母に言わせれば「酒しか飲まない人に何も言う権利はない」と、言ってました
そんな父に愛想をつかした母は15年前に家を出て
離婚し私の妹夫婦の所に住むことになりました。
戸籍上でも母は妹夫婦の戸籍に入り
私は父の戸籍に残り事実上、父子家庭の2人家族になりました。
そんな父も5年前に末期の肺がんになりました。
肺気腫も患い治療方法も無いと診断されたのです
先生の診断結果を娘として父に告知しなければいけませんでした
二人で病院の喫煙室に並んで座り、少し痩せてやつれた父の顔を見ながら
私は涙をこらえ「お父さん・・肺がんだって・・」と、伝えました。
父は声を詰まらせながら「あと・・どれくらい・・なんだ・・?」と、聞いてきました
「・・うん・・3ヶ月くらい・・かな・・」
「・・そうか・・」
父は震える指でタバコを深く吸い「治るんだろ・・?」と、言い返してきました
その時、私は父の諦めない言葉を聞き嬉しくなり笑顔で
「うん!ぜったい治るよ!」と、言ってしまいました
そして父の顔を見たら涙で潤んだ瞳に
いつものくったくのない笑顔が戻っていました
私と父は言葉にこそ出しませんでしたが
必ず治す、治してみせると、強い意志のもとに親子で誓い
これから始まる過酷な治療にむけて 微かに見える希望だけを胸に抱き
初めて家族の絆を確認し 本物の家族になったのです
医者はよく言います「医者の力は1% 治る・治らないも
医学の力もありますが 99%は本人の生きる力(生命力)と
家族の愛情です」と・・
その言葉を素直に信じた父と、共に戦い歩こうと決めた私に
暗くなる気持ちは無くなっていました
次回は父と家族が苦しみの中にも希望を失くさなかった闘病生活を書きます。
読んで頂きましてありがとうございました
生きてる?んですよね~
猿ちゃんにも良い事あったなら私にも
ありますよ~きっと!読んでくれてありがとう
私もパソコンはダメです。まったく解からず
ただ文字を打つのみです
仕方ないよね~狸と猿の生活・文化には
パソコン無いからね~
また読んで下さいね!ありがとうございます