走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

規制と司法とコロナと

2020年12月15日 | 仕事
コロナについてのBC州の記者会見で時々質問に出てくるのが、「司法による規制を強めないのか?」です。

人と人の接触点を減らすために家族単位を重視し、レストランの使用も最大6人まで、と言ってもレストランに行けばどこをどう見てもカップル3人組を見かけたりする。そのような状況に対してレストランに細かく指導して、家族単位以外の6人組は相席を断る、とはできないのか?の質問もあった。

教会で大人数で集会を開き警察が来て注意をしたり罰金の支払いを命じても、集会をやめない教会もある。それに対して罰金を引き上げるべきだ、とか。

ボニー博士は言う。規制の命令を出しているのは州民一人一人に理解をしてもらうため。店員に司法のような役割を任すためではない。

みなさんは司法のバランスと意図をご存知ですか?
司法が緩い、つまり無秩序になるとやりたい放題となり国は乱れる。その一方で司法を強くすると司法に権力を与え過ぎる事となり、国民の自由が奪わられる。その例は日本の戦争中の憲兵であったり旧ソ連のKGBなどなど、何もかもが監視の対象となり国民は自国の司法に怯えて暮らす事を意味します。

司法で大事なのは司法権力を強すぎず弱すぎず、そして規則は国民の道徳(モラル)によって守られる環境です。

みなさんが罪を犯さない理由は、「罰せられるのが怖いから」ではなくて「人間として人を殺めるのは間違っていると思うから」ではないでしょうか?これが道徳が効いている状態です。

さあ、これを先のコロナの例に当てはめてみましょう。レストランで会食をしているカップル3人組は「してはいけないとは聞いたけど、罰金を払わなければいけない対象ではないから」と規則に従いません。何故接触を減らさなければならないか?というところが全く抜けていて罰金があるかないかで自分の行動を判断しています。

そして店員に注意されでもしたら、カッとなる人もいるでしょう。警察のような司法は法的効力を持ち、その法律を学び、自分の立場や権力の認識がある職業です。レストランの店員は何も法的効力を持っていないのです。だから店員に対して平気で暴力を振う客が生まれてしまいます。

罰金を毎回払い集会を続ける教会は「罰金を支払っているんだ、何度でも支払うから集会を続ける」とまるで罰金を通行券か何かのような解釈でこのコロナ禍で集会をする事がどういう成り行きを起こさせるのかを理解していません。

やっぱり、規制を厳しくして罰金ではなく牢屋にぶち込んではどうか?と思う人もいるでしょう。でもそんな事にしたら牢屋はたちまちいっぱいになります。警察は本来の仕事ができなくなります。

だからこれらを解決する一番の方法は国民の道徳意識(モラル)に問いかける事なんです。そのためには国民がその行動がどんな結果を生むのか?この事を理解して行動を変える策が一番なのです。


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2 コメント

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道徳意識に訴えるということでしょうね。 (ゆう)
2020-12-16 01:08:02
コメントは初めてかもしれません。
いつも私のブログにいいね!ありがとうございます^^

実に興味深い日記でした。
道徳意識に訴えるというのは、その人の人間性に訴えるのと同じことだと思います。
大体の人が持ち合わせているけど、その意味の抜け道をわざわざ探して理屈を述べて逃げるのでは、道徳意識、つまり人間性が乏しいということになるのだと思います。

日本で救急車が走ってくれば、車に乗ってる人はハザードを点けて車を寄せます。
それが反社会的勢力の人でもそうするでしょう。
それは人の命を助けるという人間性が働き、是非を問わず、人間としてそうあるべきということを各々が知っているからだと思います。
それができない人は、人間性が乏しいからだと思います。

人間性に訴えて行動を変えるというのは、簡単なようで難しいと思いますね。
各々が育ってきた環境や学んできた経験、体験が違うので、道徳意識が低い人がいたとしてもおかしくないからです。

それでも、各々が道徳意識を持って、正しい人間性に沿って、行動してもらいたいですね。
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Unknown (missy0806)
2020-12-16 13:21:32
人間も社会も完璧ではない。だからといって努力は止まない。人間性ではなく色々な環境が関連しています。一つに絞れないのも難しいところです。
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