非常に機嫌の悪いジェシカが教会のフリー朝食に現れた。またとないチャンスと近寄って声をけると、一文もいい終わらないうちにF爆撃を浴びてしまった。いつもにまして呂律が回らず、内容もハチャメチャ。退薬症状かそれとも精神分裂症の症状か、、、全く私に話す余地をくれない。教会中の人達が私たちに注目している。
診察は諦めるしかないかと引き下がった。誰とも話さずみんなに背を向け階段に座りながら朝食をがっつく彼女。連絡を取ったMCFDのソーシャルワーカーがすぐ教会に来るから!と言ったもののすれ違い。
前途多難、、、
結局MCFDはジェシカと接触できたのだけど、私に対する態度と同じく全くの拒否。MCFDとしては子供が産まれるまで何もできない、彼女の気が変わったら連絡してねと。
ホームレスの援助団体の一員が私に質問をする。子供に違法薬をあげることは虐待として処罰出来るのに何故妊娠中は母親のしたい放題なのか?法律によって彼女を拘束して胎児への影響を防止することはできないのか?
何故って、メンタルの病気があろうと薬物依存であろうとジェシカの自由の権利は自分と他者に危害を加えない限り守られているからだ。
胎児を他者として認めるか?今の見解はNo。
妊娠中のケアを放棄していることは胎児虐待?乳幼児虐待はあっても胎児虐待はない。なので虐待行為ではない。
この仕事を何年もしている彼にとってこの状況は腹正しいという。妊娠するべきでない人が妊娠して不幸な赤ん坊が誕生する。この赤ん坊の将来は障害があったり、もしかしたらジェシカと同じような運命をたどるかもしれないと。
うーん。毎日たくさんのホームレスに接していたらそう思うようになるかもしれない。しかし違う方向から、見てみよう。あなたは病気もちで、同じ病気を子供に渡すかもしれないから妊娠できないように子宮を取ってしまいましょう。あなたに選ぶ権利はありません。社会が決めたことだから従うしかないのですと言われたらどうでしょうか?
障害を持って生まれた子供達は必ず不幸な運命を辿っていると断言出来る人がいるでしょうか?人間の価値は誰によっても測ることができないものです。
ジェシカは自分の選択で今の生活(売春、違法薬の使用、ホームレス)をしているが、生まれてくる赤ん坊にはしっかり退薬症状の治療をしてもらい(出産後陥る), あたたかい家庭に引き取られて、しっかり生きてもらいたいと思う。
私が一番心配しているのは、このままジェシカと医療の間が狭まらず病院外で出産をして赤ん坊に必要なケアが行われず、赤ん坊の生命が脅かされること。
そうならないためにも、少しづつ溝を埋めることが出来たらと願う毎日です。
診察は諦めるしかないかと引き下がった。誰とも話さずみんなに背を向け階段に座りながら朝食をがっつく彼女。連絡を取ったMCFDのソーシャルワーカーがすぐ教会に来るから!と言ったもののすれ違い。
前途多難、、、
結局MCFDはジェシカと接触できたのだけど、私に対する態度と同じく全くの拒否。MCFDとしては子供が産まれるまで何もできない、彼女の気が変わったら連絡してねと。
ホームレスの援助団体の一員が私に質問をする。子供に違法薬をあげることは虐待として処罰出来るのに何故妊娠中は母親のしたい放題なのか?法律によって彼女を拘束して胎児への影響を防止することはできないのか?
何故って、メンタルの病気があろうと薬物依存であろうとジェシカの自由の権利は自分と他者に危害を加えない限り守られているからだ。
胎児を他者として認めるか?今の見解はNo。
妊娠中のケアを放棄していることは胎児虐待?乳幼児虐待はあっても胎児虐待はない。なので虐待行為ではない。
この仕事を何年もしている彼にとってこの状況は腹正しいという。妊娠するべきでない人が妊娠して不幸な赤ん坊が誕生する。この赤ん坊の将来は障害があったり、もしかしたらジェシカと同じような運命をたどるかもしれないと。
うーん。毎日たくさんのホームレスに接していたらそう思うようになるかもしれない。しかし違う方向から、見てみよう。あなたは病気もちで、同じ病気を子供に渡すかもしれないから妊娠できないように子宮を取ってしまいましょう。あなたに選ぶ権利はありません。社会が決めたことだから従うしかないのですと言われたらどうでしょうか?
障害を持って生まれた子供達は必ず不幸な運命を辿っていると断言出来る人がいるでしょうか?人間の価値は誰によっても測ることができないものです。
ジェシカは自分の選択で今の生活(売春、違法薬の使用、ホームレス)をしているが、生まれてくる赤ん坊にはしっかり退薬症状の治療をしてもらい(出産後陥る), あたたかい家庭に引き取られて、しっかり生きてもらいたいと思う。
私が一番心配しているのは、このままジェシカと医療の間が狭まらず病院外で出産をして赤ん坊に必要なケアが行われず、赤ん坊の生命が脅かされること。
そうならないためにも、少しづつ溝を埋めることが出来たらと願う毎日です。