当時の子供たちが振り付けを熱心に覚えて真似をし始めた。
人気が高まるにつれ衣料品や文房具、食器、自転車や食品まで多くの業種のさまざまな商品に二人の姿がプリントされたキャラクターグッズが販売され、ピンク・レディーの存在は想像を絶する巨額の経済効果を派生させることになったのである。
この年から翌年にかけてピンクレディの絶頂期を迎える。
何と、1977年7月第3週から1978年2月第3週までの28週のうち27週にわたり、ピンク・レディーが1位を獲得するという凄まじさであった。
前年ペッパー警部でデビューして以来、連続10作ミリオンセラー(出荷ベース)を記録した。
(これは当時のオリコン新記録である。)
また、オリコンの通算首位獲得数は最高記録である(2015年にB'sが記録更新した)。
因みに10曲は以下の通り。
1st.ペッパー警部
2nd.S・O・S
3rd.カルメン’77
4th.渚のシンドバッド
5th.ウォンテッド(指名手配)
6th.UFO
7th.サウスポー
8th.モンスター
9th.透明人間
10th.カメレオン・アーミー
7月17日 - 日比谷野外音楽堂でのライブ・フィナーレで、キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」との言葉で突如解散を宣言。以後、ピンク・レディー大旋風に匹敵するキャンディーズブームが、翌1978年4月まで続くこととなる。
山口百恵は「イミテーション・ゴールド」,「赤い衝撃」,「夢先案内人」,「秋桜」,「初恋草紙」がランクイン。
狩人が「あずさ2号」でデビュー。自身最大のヒット曲である。
石川さゆりが「津軽海峡・冬景色」で大ヒット。
元はアイドル歌手だったが、この曲以降は演歌歌手として活躍している。
松崎しげるが「愛のメモリー」でデビュー。自身最大のヒット曲である。
矢沢永吉が日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館でコンサートを行う。
以降2014年まで日本武道館最多公演記録132回と更新中。
尚、この年の日本レコード大賞は「勝手にしやがれ」沢田研二,
最優秀歌唱賞は 八代亜紀/愛の終着駅,
最優秀新人賞は 清水健太郎/失恋レストラン となっている。
余談ですが、この年オリコン1位の「渚のシンドバッド」とレコード大賞の「勝手にしやがれ」をもじって翌年サザンオールスターズがデビュー曲のタイトルとしたのが「勝手にシンドバッド」。
音楽ではありませんが、この年カネボウ化粧品のCM「クッキーフェイス」で故夏目雅子さんがデビュー。
小麦色の肌にビキニが良く似合っていました。27年の生涯は余りにも早すぎました。合掌!
(音楽とは関係ないと言いましたが、よくよく調べてみると、このCM曲を夏目雅子さん自身が発表していました。)
■ 1位 渚のシンドバッド (ピンク・レディー) 94万枚
4枚目のシングル。この曲はピンクレディ初のミリオンセラーを記録した。
この曲によって、ピンクレディーの人気はもはや“社会現象”となり、日本列島に“ピンクレディー旋風”が吹き荒れた。
フジフイルムの「写ルンです」テレビコマーシャルでこの曲が使われた。
■ 2位 青春時代 (森田公一とトップギャラン) 86.5万枚
前年の8月に発売。ミリオンセラーを記録した。自身最大のヒット曲である。
■ 3位 ウォンテッド (ピンク・レディー) 84.5万枚
オリコンで12週連続1位を記録する大ヒットとなる。
オリコンでのミリオン達成2作目。『渚のシンドバッド」に連続してのミリオン。
■ 4位 勝手にしやがれ (沢田研二) 74.7万枚
この年の日本レコード大賞を受賞。
日本歌謡大賞も受賞し主要な賞レースを独占した。
■ 5位 昔の名前で出ています (小林旭) 70.8万枚
発売は1975年なのでロングランでのヒットとなった。累計で200万枚を超えた。
自身最大のヒットとなっている。
■ 6位 雨やどり (さだまさし) 66.8万枚
前年、グレープ解散後一時業界を離れたが「線香花火」でソロ活動を開始。
この曲でさだ自身初のオリコン1位を獲得した。
■ 7位 カルメン'77 (ピンク・レディー) 65.8万枚
3作目のシングル。出荷ベースでミリオンセラー。
この曲あたりから激しい振り付けが増えてゆき、さらなるインパクトがつけられた。
■ 8位 S.O.S (ピンク・レディー) 64.6万枚
3作目のシングル。出荷ベースでミリオンセラー。
初のオリコン1位を獲得した。
■ 9位 失恋レストラン (清水健太郎) 62.8万枚
この曲がデビュー曲であり、自身最大のヒット曲となった。
後に俳優もこなし映画、テレビドラマ、バラェティと多数出演している。
…が、覚せい剤による逮捕が数度、ひき逃げによる逮捕。
最近でも2013年合成麻薬、脱法ハーブでの入院と薬物関連の事件に暇がない。
何故、警察はこんなに芸能界に甘いのか理解出来ない。
これで、覚せい剤撲滅なんてよく言ってられるのかと思う。
■10位 フィーリング (ハイ・ファイ・セット) 56.6万枚
1974年にフォークグループ「赤い鳥」が解散し、ハイ・ファイ・セットを結成した。
この曲は1977年、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバートの「愛のフィーリング(原題はFeelings)」になかにし礼が歌詞をつけた日本語カバー曲である。
山本潤子のソプラノ、山本俊彦のテナー、大川茂のバス・ヴォイスによる抜群のコーラスワークと都会的で洗練されたアレンジで、ニューミュージック全盛の時代に高い人気を誇った。
1994年に解散している。
■11位 北の宿から (都はるみ) 55.8万枚
前年、この曲で日本レコード大賞、FNS歌謡祭グランプリ受賞など数々の音楽賞を受賞した。
■12位 帰らない/恋人よ (清水健太郎) 54.8万枚
■13位 星の砂 (小柳ルミ子) 53.5万枚
■14位 ペッパー警部 (ピンク・レディー) 51.9万枚
ピンク・レディーのデビュー曲。
前年に発売されたが、発売当初の売上は芳しくなかったものの、1976年末の「第18回日本レコード大賞」新人賞を獲得した事などを契機に、翌1977年に掛けてロングヒットとなった。
■15位 あずさ2号 (狩人) 51.1万枚
デビュー曲でいきなり大ヒットを記録した。自身最大のヒット曲。
新宿駅から松本・大町市・白馬方面に運行される毎日運行の特急の一番列車が「あずさ2号」だった。
因みに当時のあずさ2号は新宿を8:00に出発して12:51に白馬に到着した。
■16位 津軽海峡冬景色 (石川さゆり) 50.9万枚
「上野発 夜行列車 降りた時から…」で始まる歌詞。
上野駅から青森駅で降りて青函連絡船に乗り継いで行く女の心情を描いている。
石川さゆりはアイドル歌手としてデビューしたが、「花の中3トリオ」の陰に隠れヒットが無かった。
そして、この曲でヒットし演歌歌手として不動の地位を確立した。
■17位 スカイ・ハイ (ジグソー) 49.5万枚
この楽曲は映画『スカイ・ハイ(英語版)』のテーマソングとして用いられ、Billboard Hot 100で最高3位、全英シングルチャートで最高9位を記録した。
■18位 愛のメモリー (松崎しげる) 48.9万枚
『グリコアーモンドチョコレート』のコマーシャルソングの歌い手として活動していた。
1972年には同CMソングだった「黄色い麦わら帽子」がスマッシュ・ヒット。
しかしその後はヒット曲がなかなか出ず、不遇の時代が続いていた。
この年、やはり『グリコアーモンドチョコレート』のコマーシャルソングであるこの曲が大ヒット。
自身最大のヒット曲となった。
■19位 赤い衝撃 (山口百恵) 48.8万枚
前年、ブロマイド年間売り上げ1位に輝き人気№1となり、映画、テレビにひっぱりだこだった。
この曲は山口百恵と三浦友和が共演したTBSドラマ『赤い衝撃』のテーマ曲である。
■20位 イミテイション・ゴールド (山口百恵) 48.4万枚
■21位 夢先案内人 (山口百恵) 46.7万枚
■22位 サクセス/愛しのティナ (ダウン・タウン・ブギウギ・バンド) 44.4万枚
■23位 人間の証明 (ジョー山中(サウンドトラック)) 43.6万枚
「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ…」で始まる映画「人間の証明」のテーマソングである。
「Mama, Do you remember...」と英訳した歌をジョー山中が唄った。
原作:森村誠一、主演:松田優作で角川春樹が映画化した。
■24位 憎みきれないろくでなし (沢田研二) 40.7万枚
■25位 あばよ (研ナオコ) 40.3万枚
オリコンで唯一の1位を獲得し、自身最大のヒット曲となった。
第18回日本レコード大賞歌唱賞、日本歌謡大賞放送音楽賞、FNS歌謡祭最優秀歌謡音楽賞を受賞している。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます