4月22日の「みるみると見てみる?」、3作品目のレポートをお届けします。ナビゲーターは、房野さんです。
2018.4.22(日)安来市立加納美術館 特別展 「名品と出会う」
鑑賞作品:「小春日」油彩 松田 文雄(1946年)作 公益財団糖業協会蔵
ナビゲーター:房野
鑑賞者:16名(内みるみる会員2名、美術館スタッフ2名)
今回の展覧会は「日本近代洋画展」ということもあって、第2次世界大戦の前後を生きた画家の作品を鑑賞することができました。ポスターの「美術の教科書に出てくる画家が勢ぞろい」のコピー通り、小作品ながらも見ごたえのある作品ばかりです。
三人のみるみる会員でそれぞれナビをする作品を選んだところ、ちょうど展示室が3か所に分かれていたので制作年の古い順に鑑賞することになりました。わたしが選んだのは、戦後すぐに、子どもが3人描かれた油絵です。とてもかわいらしい姉妹と思われる絵で、一番上の姉はまだ乳飲み子であろう赤ちゃんをおぶいひもで背中に背負っています。姉もその下の妹もまだあどけなく、綿の入った着物で着ぶくれしている姿は寒い季節だということを物語っています。
今回、鑑賞者の中には3人の小学生くらいのお子さんも参加していました。2番目の作品「上海」の鑑賞から加わっていて、金谷ナビも何度かこの子たちに意見を求めましたが、途中からだったためか、大人の中で気後れしたのか、その時は意見を言うことができませんでした。対話型鑑賞は年齢に関係なく、一緒に対話できるのがいいところです。ぜひ、異年齢の意見をシェアしてもらおうと、私は第一声を子どもたちに委ねました。まず始めに見えているものから語るほうが発言しやすいということもあります。なんだか言いたげな様子が見られる一番下の妹さんに「何が見えますか?」と尋ねると「子どもが立ってる。女の子。姉妹だと思う。顔が似てるから。髪型も一緒。」と答えてくれ、続いて上のお兄ちゃんたちも今度は臆することなくどんどん手を挙げて意見を言ってくれました。「太陽の光がこの子たちの前から当たっている。影が後ろにあるから。」と真ん中の男の子が言うと、一番上のお兄ちゃんが「影が少し斜めに傾いているから、真正面じゃなくて、左斜め上からだと思う。」などなど、とても細やかな観察眼です。子どもたちは前作の大人たちの鑑賞の様子を見て、本当はいろいろと気づいたことがあったのでしょう。前回言えなかった分、今度は言おう!というモチベーションにつながっているのがわかりました。沈黙しているから何も感じていないわけではないのです。きっと、じ~っくり「みて」「聴いて」「考えて」いたのですね。今回は「話す」ことで、周りの大人たちを「おお~」「なるほど!」と感心させることができました。大人から子どもまで、ひとつの作品をじっくり眺め、味わう・・・これは美術作品との出会いとしてはきっと幸せな経験だったことでしょう。大人は子どもたちの素朴ながらも鋭い感性に感動し、子どもたちは(本当は子どもに限らず誰しも)鑑賞には色々な視点や、時代などと絡めた見方があることを学ぶことができます。そのダイナミズムと言ったら!対話型鑑賞をやっていて毎回嬉しくなる瞬間です。
鑑賞の対話の中で
「冬枯れたバックの風景や『小春日』というタイトルからも秋から初冬にかけての季節であり、そんな中で日差しが温かく感じられる晴れた日」「妹たちはピンクの柄のかわいらしい華やかな着物を着ているが、一番上の姉の着物はぶかぶかした地味な着物で、大人のおさがりを着せられている感じ。妹たちの着ているものも、きっと、姉のおさがりなのであろう。」「中の妹の足袋の親指に穴が開いている。決して豊かではないが、物を大事にしながら堅実に生きている様子がうかがえる。」「戦後でも着物や草履姿なので田舎に住んでいる子ども」「子どもの頬がふっくらとしているので、戦中でも割と食料があった田舎と言えるのでは」「姉は妹たちの世話を任せられて少し疲れている表情。姉の健気さが伝わる。」など、作品のモチーフから様々な読み取りをしていきました。そんな中、神学芸員さんから「これは1946年の12月に描かれた作品。戦争が終わった冬の様子です。」という情報を得ました。そこから「春でも夏でもない、冬に温かい日差しを感じる日が描かれているということは、暗い戦争の時代を経て、もう怖い思いをしなくてもいい、明るい未来を見つめていけるという人々の心情に通じるのでは」と、戦中・戦後の人々の思いとこの作品がつながるような意見がありました。「かわいらしい柄の着物も、戦中に都会から田舎に着物と農家の食料とを交換したときに得られたものかもしれない。そうであれば戦争が終わって、やっと華やかな着物を着ることができるようになったのだろう。」これらは様々なモチーフから読み取ったことを総合して「そこからどう考えられるか」という一段と深い読み取りになる瞬間でした!
こうなるとこの作品が <田舎の三姉妹のかわいらしさを描いただけの絵> には見えなくなってきました。初見から、「子どもたちが印象的だな」と心に引っかかる作品でしたが、皆さんの意見を聞くにつけ、「そうか、そういうことか!」とその引っかかりの正体が見えてきたように感じました。ナビをしながら私自身が皆さんに教えていただき、発見することができた鑑賞会となりました。ありがとうございました。
以下はみるみる会員からの意見です。
<春日より>
作品が子どもを引き付けたと思う。子どもの発言に触発されて、大人もより一層作品をよくみようとしていたと思う。3作品目だったので、鑑賞者も話すことに慣れ、話しやすい空気も醸成されていた。
くどくないパラフレーズがもっと出来るようになるとよいのか?次々に手が挙がるときのパラフレーズが端的だと、会話がもっと小気味よくつながっていくのではないかと感じる場面が何度かあった。
また、途切れなく発言があると、一つの解釈に向かうというより、散漫になりがちな気がするので、サマライズしながら解釈に向かうとよいのではないか?作品から受け取るメッセージについて語ってもらう時間がもっとあってもよかったのではないか?
解釈について語っている人もいれば、みつけたものについて語る人もいて、それなら、みつけたものについてしっかり語ってもらって、それを確認して、では、そこからどう思う?に明確にシフトチェンジ出来たらよかったのではないか?
<金谷より>
トークの要所要所でポインティングをされていて、どこの話をしているのか(参加者が多かったこともあり)少し遠くからでもわかりやすかったです。
金谷が「題名は初冬の頃を表しているけれども、姉の顔のそばにつぼみのような花のようなものも見える」という内容の発言をしたときに、それらを画面左上にのぞく青空とつなげて返されました。その言葉をきいたとき、自分は青空を意識していなかったことに気がつきました。ナビの言葉によって、自分の言いたかったことが整理されるだけではなく、視界も拡げてもらいました。自分の中から出た言葉を、ナビに返してもらうことで改めて腑に落ちたり、自分が考えていたことに自分で納得したりするという体験をしたように思います。
また、参加していた子どもたちの手の挙げ方をみていて、脳内がスパークしているような感じを受けました。興味があるものに対する子どもたちの素直な反応が、まぶしかったです。
毎回ナビをする度に多くの反省点がありますが、それに勝る喜びがナビへのモチベーションになっています。鑑賞者の皆さんにも「楽しかったな、また行こう!」と思っていただけるようなひと時を提供すべく、精進したいと思います。
ぜひ、次回、5月27日(日)13:30に、安来市加納美術館へお越しください。「みるみると見てみる?」やっています!
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