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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

人間の地金

2024年01月27日 | 日常の風景

今ハマっているテレビドラマに「あきない世伝 金と銀」(高田郁著)がある。あまりに面白いので、原作を全巻揃えた。

私は人間が努力して成功していくこの種の物語が好きだ。主人公の幸(さち)は享保年間に武庫郡(現尼崎市)で生まれ、縁あって大阪天満の呉服屋「五鈴屋」に奉公する。やがてその才が認められ、呉服屋のごりょんさんとなる。

昨日のドラマでは、幸の夫である呉服屋の主人が近江で新しい商売を始めるシーンが描かれていた。その時、先代の番頭が

「人間の地金が試されますなあ」

と言った。五鈴屋が自分だけ儲けようとするのか、それともみんなの幸せを考えて共存共栄を図るのか、それが試されているという意味である。結局、五鈴屋は目先の利益に走り自分だけ儲ける道を選ぶ。その結果どうなったか。続きは来週放送される。

今回のドラマで「人間の地金が試される」という言葉が妙に心に刺さった。教育に50年間携わってきたが、果たして自分は「人間の地金」を磨く教育をしてきたのだろうか。今の社会は「地金」を磨くことより、手っ取り早く「メッキ」で取り繕って結果を出すことが喜ばれる。そんな教育に加担してきたのではないか。忸怩たる思いで自問自答する。

基本的に人間は利己的である。利己心が経済活動の源泉であり、それが社会を発展させてきた。利己心を否定した共産主義は見事に失敗した。だから、利己心を否定するつもりは全くない。

しかし利己心を肯定することは、何をしてもいいということを意味しない。そのことはアダム=スミスも『道徳感情論』の中で「共感」という概念を用いて説明している。

今の時代に「地金」を磨く教育はいかにして可能か。薄っぺらな知識を大量注入する教育を見ていて、ふとそんなことを思う。人間は動物とは違う。人間には理性というものがある。もし理性を人間の内なる良心の声だとするならば、そうした良心の声を育てることが「地金」を磨くことなのかもしれない。

 

 


新しい挑戦

2024年01月24日 | 日常の風景

 

新しい挑戦をする。日本にこれができる人はいっぱいいるだろう。しかし、それを形にして世に送り出した人は皆無である。その意味では日本初の挑戦といってもいいかもしれない。昔勉強したことがここにきてようやく役に立ちそうである。

どんな挑戦か?

それはお楽しみに。

機会が与えられたことに感謝したい。

1年くらいは猛勉強をする必要がある。


囲碁サロンの新しい活用方法

2024年01月21日 | 日常の風景
昔、集中して勉強をするためによく図書館に出かけた。何もわざわざ図書館まで出向かなくても、家で勉強すればよさそうなものだが、家にいるとどうしてもだらけてしまう。家は基本的にくつろぐための場所なのであろう。
 
そこでふと思いついた。家にいてもぶらぶらしてしまうのなら、いっそのこと囲碁サロン爛柯に行って勉強してはどうか。ここなら年会費を払ってあるから、何回行っても「タダ」で利用することができる。1ヵ月1万円の会費ということは、ひと月に10回利用して1回あたりの入場料が1000円である。考えてみれば結構な会費を払っている。
 
 
というわけで昨日さっそく実行してみた。端の方に陣取り、Hikaru No Goを読んだり、棋譜並べをしたり、小説を読んだり、さらにはノートパソコンで囲碁の実況中継を見たりした。Wi-Fiが使い放題であることもうれしい。
 
 
 
 
毎木曜日、ここでインストラクターの仕事をしているから、勝手知ったるわが家みたいなものである。
疲れたら自分でお茶を入れたり、コーヒーを沸かして入れることもできる。
 
 
 
家にいてもだらけてしまうが、ここだと緊張感を持って囲碁の勉強ができる。家から歩いて30分。梅田の一等地にいい「隠れ家」を見つけた。これから図書館代わりに利用するのもいいかもしれない。

マラッカ海峡

2024年01月20日 | 日常の風景

娘がマラッカ海峡の写真を送ってきた。頭の中ではわかってはいたが、実際に写真を見るとやはり驚く。

年間の通行量は9万隻。幅は65キロあるが、浅瀬なども多く大型船舶が通れる広さはところによって幅が2.8キロメートルと非常に狭く、水深も23メートルしかないという。


神韻(Shen Yun)

2024年01月18日 | 日常の風景

神韻は2006年に創設された法輪功の宣伝芸術団体である。本部をニューヨークに置き、中国5千年の文化と歴史を題材に、古典舞踊を創作披露する。

法輪功は吉林省出身の李洪志が1990年代初めに伝えだした気功である。たんなる健康法にとどまらず、「真・善・忍」を中心とする「宇宙大法」を身につけることにより、より高い次元に修煉できると説く。市場経済の変化についていけない信奉者たちの悩みを取り除こうとする法輪功の教えは中国国内で急速に広まり、1999年には7千万人に達したといわれる。こうした状況は共産党に対する脅威であるとして、江沢民は1999年から法輪功の弾圧を開始した。

中国政府に弾圧される団体なら(それがたとえ宗教団体だとしても)まともな団体に違いない、などという勝手な解釈のもと、冥途の土産に大枚をはたいてチケットを購入し神韻の舞台を見に出かけた。

2時間の公演は全部で20の演目で構成され、一つの演目が終わるたびに緞帳が下ろされる。美しい衣装、鍛錬された身のこなし、3Dを駆使した演出などは人々を魅了する。また、テノールやソプラノのソリストたちの独唱、二胡の演奏、数十人のオーケストラの演奏もなかなかのものである。

しかし、神韻は基本的に法輪功傘下の宣伝部隊である。随所に法輪功を勧める露骨な内容が展開される。会場となったオリックス劇場には中国人の熱心な支持者がバスで駆け付け、舞台の見せ場では盛んに拍手を送っていた。

一度は見てみたいと思っていた舞台だが、一度見れば十分だとも思った。

 


老いるショック

2024年01月14日 | 日常の風景

人の名前が出てこない、耳が遠くなった、髪の毛が薄くなった。人はみな「老いるショック」を感じるときがある。

私が初めて老いを自覚したのは数年前のことである。天王寺高校の生徒と一緒にスキーに行ったとき、転倒した際ストックをついてすぐに立ち上がれないことがあった。普通ならストックをついてスッと立ち上がるのに、どうしても立ち上がることができない。仕方がない。板を外して起き上がった。「あー、もうスキーは終わったな」と感じた。

一般に、老化は目、耳、歯から始まるといわれる。目は去年、白内障の手術をした。耳はだんだん聞こえにくくなってきている。歯はだましだまし物を噛んでいる。

頭の方はどうか。90歳の6割、95歳の8割は認知症になるといわれる。今のところまだ大丈夫だと思っているが、「あー、うまかった。何を食べたか忘れたが」という川柳がだんだん他人ごとではなくなってきた(笑)。
 
特に困るのが、囲碁の勉強をしていて、覚えた後からどんどん忘れてしまうことである。去年、あれほど本を買って勉強したのに、今となってはほとんど何も残っていない。仕方がないから、今年は勉強方針を変えて1冊の本を完璧に覚えきるまで他の本には手を付けないことにした。
 
体の機能はあちこちガタが来ている。しかし、幸いにして「立ったまま、靴下をはくのはE難度」までは至っていない。ピンピンコロリは全体の3%でしかなく、多くは「ネンネンコロリ」であるという。失ったものを嘆くのではなく、まだあるものに感謝しながら、最期までイキでカッコよく生きたいものである。

 


第3次ベビーブームはなぜ起きなかったか

2024年01月09日 | 日常の風景

第二次世界大戦後、戦地から帰ってきた兵隊が一斉に結婚して第一次ベビーブームが起きた。私が生まれたのは1951年。ちょうど第一次ベビーブームが終わりかけたころである。

その後、第二次ベビーブーム(1971~1974年)が始まった。彼らが成長し高校生になったころ、私は三国丘高校で教鞭をとっていた。1学年16クラス、800人近い生徒が3学年。運動場で集会を開くと壮観だった。

その後、このブームは第3次・第4次と続き、ゆっくり収束していくものと思っていた。ところが、本来なら1990年代後半に起きるはずだった第三次ベビーブームは起きなかった。なぜか?

結論を先に言えば、就職氷河期に結婚適齢期を迎えた人が、子どもを産む環境になかったからである。バブルが崩壊したのが1991年。そのころ大学を卒業した人たちは本当に気の毒だった。知り合いの優秀な女子学生が、入社試験を20社受けて全部落とされたと言っていた。結局、その後、非正規雇用で1日1日を食いつなぐ人生を送らざるを得なかった。

安い給料で、しかも明日は雇止めになるかもしれない不安定な立場では、結婚して子供を産むなどということは選択肢にはない。しかも日本は相変わらず新卒一括採用・年功序列型賃金・終身雇用社会である。最初にレールに乗り損ねると、そのツケは一生続く。

就職氷河期世代は、そろそろ50代にさしかかる。彼らの多くは間違いなく将来の生活保護予備軍である。そんなことは30年も昔に予測できた。実際私は授業でそのことを指摘し、政府は早く何らかの手を打つべきだと主張していた。

しかし政治家にとって関心があるのは「目先の1票」である。高齢者対策に力を入れる政治家はいても、親と同居して今は何とか食いつないでいる就職氷河期世代のことを真剣に考える政治家はいなかった。

最近、民主主義の欠点がやたら目について仕方がない。民主主義は「独裁よりはましだ」という程度の代物であって、民主主義的手続きで決められたことが最善である保証などどこにもない。

「先のことは未来の人が考えればいい」。みんなそう思っているから、就職氷河期世代のことも、財政赤字のことも、原発のことも、地球環境問題も、先延ばし先延ばしにしている。


新手の詐欺

2024年01月06日 | 日常の風景

新年早々、新手の詐欺に引っかかった。ヒカルの碁の英語版を探していたところ、ウィルスバスターで「このサイトは安全ではない可能性があります」と出た。

 
しかし、どうしても欲しかったので危険を承知であえて開いてみた。クレジット払いだったら取引を即中止するつもりだったが、送金先はゆうちょ銀行で、しかも金額は6千円程度と大した額ではない。万が一騙されたとしてもまあいいか。そう思いながら6370円を振り込んだ。
 
その後、「御入金ありがとうございます。24時間以内に商品を発送します」という返信メールが届いた。やれやれ大丈夫なサイトのようだと思って、商品の到着を楽しみに待っていた。
 
ところが今日、新たなメールが届いた。「欠品なので別の商品と交換するかまたは返金します」だと。
 
 
 
やっぱりそうか。どうやら新手の詐欺にに引っかかってしまったようだ。
返金を理由にこちらの銀行口座を聞いて、また悪さをするつもりなのがバレバレである。すぐに「現金書留で送金してくれ」と返信した。仕方がない。お金はあきらめてもうこれ以上の個人情報を与えないでおくことにしよう。
 
正月早々いい勉強をした。世の中には悪いやつがいる。こんなやつは地獄にでも落ちろ! 皆様もお気を付けください。
 
(追伸1)
「現金書留で返金しろ」とメールを出したら、「私たちは会社の規定でペイペイでしか返金できません。ついては返金のためのラインに連絡をしてください」という返事が来た。そんな馬鹿な!


 
(追伸2)
上のメールに対して「現金書留、または図書カード・切手でも構わないからすぐ返金しろ。さもなくばしかるべき機関に訴える」という内容のメールを出したら、連絡が途絶えた。

源氏物語

2024年01月06日 | 日常の風景

今度の大河ドラマが紫式部ということで、予習のためにダイジェスト本を買ってきた。まず54帖を大づかみでまとめ、さらに桐壺帝、桐壺更衣、弘徽殿女御、葵上、頭中将、紫上、藤壺女御などの登場人物の関係をきちんと整理してくれている。すごくわかりやすい。高校の時もこんなふうに教わっていたらもっと楽しい授業だったのかもしれないなどと思うが、あまり他人のことは言えない。

「みんなが知っていて誰も読まないものを古典という」というジョークを聞いたことがある。しかし、1000年も語り継がれてきた小説が面白くないはずがない。実際、父親の妻への横恋慕あり、政略結婚あり、権力闘争ありで、あらすじだけを読んでいると無茶苦茶面白い。当時の人が貪り読んだというのがよくわかる。

教育の目的は「興味を持たせることに尽きる」。今の学校教育は点を取らせることばかりを考えてはいないだろうか。


漫画 de 英会話

2024年01月06日 | 日常の風景
Hikaru No Go には使える英会話表現がたくさん出てくる。思わぬ副産物である。今までたくさんの英会話教材を買ったが、全部挫折した。スピードラーニングも1巻目だけで終わった。いまとなっては何も残っていない。
ひょっとしたら、漫画って一番効果的な英会話教材なのかもしれない。
 

 


英語 de 囲碁

2024年01月05日 | 日常の風景

去年、外国から来られた人と対局して、うまくコミュニケーションができず、ずいぶんもどかしい思いをした。そこで、今年は囲碁の英語表現をマスターしようと決めた。とりあえず、以前読んだこともある「ヒカルの碁」の日本語版と英語版を全巻揃えることにした。

 

ようやく1巻目だけ読んでみたが、随所に英会話に使える表現もあり面白い。たとえば、「うだうだ言ってないで・・・・」は

”STOP COMPLAINING"

「碁を打つのって、マジ疲れるんだよなァ」は

”PLAYING GO IS REALLY TIRING"  とある。

対局前の挨拶を英語で何というのかと思ったら、“ONEGAI-SHIMASU"  そのままだった。

今回初めて知ったのだが、もそも囲碁の国際的普及を行ったのは日本であり、そのため日本語がそのまま囲碁用語となっているケースが少なくないという。

たとえば「段・級位」はそのまま dan、kyu で通じ rank of  “dan” などと表現すればよく、また、grade を使って I am a sixth grade holder in Go. などと言ってもいいらしい。そのほか、日本語がそのまま英語の用語として定着したものとしては

コスミ=cosumi

アタリ=atari

先手 後手 =sente  gote

味消し aji keshi

味が悪い bad aji

コミ komi

などがある。

囲碁を打つための英会話の書籍を探してみたが、全く見当たらない。仕方がない。自分でまとめるか。いつが「碁楽室」に掲載できるといいなあ。碁学と語学、面白いかも。

最後に、「投了します」は英語で

” I resign "  といいます。

“Thanks for the game.  You are a good Go player.” (強いですねえ)

とほめて、気持ちよく終わりたいものです。

 

 


親ガチャの哲学

2024年01月04日 | 日常の風景

 

ガチャとはオンラインゲームでアイテムを入手するための電子クジや、レバーを回してカプセルが出てくる販売機をを指す。裕福な家庭に生まれるか、それとも貧乏な家庭に生まれるか。それは「親ガチャ」であり子どもには選択できない。

1980年代から始まった新自由主義の台頭により格差社会が深刻な状況になった。そうした中で「親ガチャ」はハズレを引いた貧乏な家庭の側から主張されるようになった。

裕福な家庭は、「自分たちが裕福なのは努力した結果であり、その努力は当然評価されるべきである。貧乏なのは努力しなかった結果であり自己責任である」と主張する。

これに対して、貧乏な家庭は「貧乏なのはクジ運が悪かったせいであり、努力では克服できない。サッカーで11人のチームと3人のチームが試合をするようなものだ。こういう不公平は社会が税金という形で埋め合わせすべきだ」と主張する。

親ガチャ的人生観はしばしば絶望感・宿命論・無力感を生み出し、自暴自棄型の犯罪につながる。こうした格差社会の在り方を哲学的にどう考えるか。著者はハイデガーやロールズの中にその解決策を模索する。