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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

泉房穂という政治家

2023年11月22日 | 日常の風景

立ち退きに応じない家に対して、「火つけて燃やしてこい」と職員に暴言を吐いたことで一躍有名になった泉房穂明石市長(元)。しかし、この本を読んでそれまでの政治家泉房穂に対するイメージが180度変わった。そうした過激な発言の裏にあったのは何か。

原点となったのは彼が10歳のとき障害を持つ弟が小学校に入学する際に社会の冷たさを体験したことだったという。その時、将来明石市の市長となり、冷たい社会をやさしい社会に変えたいと決心した。

NHK職員・弁護士を経て、2011年47歳で明石市市長となった。その時の対立候補は自民党、民主党が推薦し、兵庫県知事、医師会、商工会議所、労働組合などの全面支援を受けていた。しかし、それまで地元で弱者に寄り添う弁護士活動を展開していた泉は69票差で勝利を収めた。

市長に就任した泉は早速所得制限なしの5つの子育て支援策を実施した。

① 18歳までの医療費(薬代を含む)を無償化

② 第2子以降の保育料の無償化

③ おむつ定期便の実施(無償)

④ 中学校給食費の無償化

⑤ 公共施設の遊び場の無償化

これらの実施には予算が必要である。泉は公共事業などを削減し、子育て支援に予算をシフトさせた。泉によると市長の仕事は3つだけだという。

1.方針(ビジョン)を決める。

2.予算をシフトさせる。

3.人事を適正に配置する。

当然、既得権益を持つ勢力からは強く抵抗された。何度も「殺すぞ」と脅された。また、暴言市長のレッテルを張られ、泉に不利な情報がリークされた。しかし、泉はひるまなかった。

効果は5年後に現れた。明石市の人口は増加し、商店街は活気を取り戻し、建築ラッシュが起きて税収も増加した。2019年の選挙では8万票、実に70パーセントの得票率を得た。とくに子育て世代からの支持は圧倒的で、30代の得票率は90パーセントに上ったという。泉は言う。明石市でできることは全国どこの自治体ででもできる。

泉の国政批判も小気味がいい。議院内閣制の下では首相は国会議員によって選ばれるため、首相は国民をろくに見ないで与党議員の顔ばかりを見て仕事をしている。

財務省は税金を上げることしか考えていない。厚生労働省も社会保険料を引き上げることばかりを考えている。その結果、1970年に25パーセントだった国民負担率は2023年には47.5パーセントにまで上昇してしまった。彼らが本当に頭がいいなら、国民の負担を増やさないで予算をシフトできるはずだと説く。

地方分権一括法ができて国と地方は対等になった。しかし、いまだに市町村より都道府県が偉くて、都道府県より国が偉いとみんな思っている。予算が欲しければ国の言うことを聞けという政治がまかり通っている。市長も県知事も国会議員も総理大臣も同等であり、単に役割が違うだけだと泉は主張する。彼の政治姿勢に本物の政治家を見た思いがする。

 

 

 


左藤義詮

2023年11月21日 | 日常の風景

左藤義詮(1899~1985)は、かつて私が勤務していた大谷学園の第2代理事長であり、また大阪府知事(1959~1971)を務めた人物でもある。彼の功績を紹介する展示が南千里で行われていると聞いて行ってきた。

もちろん、佐藤義詮に直接お目にかかったことはない。かつての同僚である宗教科のO先生から左藤義詮の著書をいただき、線を引きながら一生懸命読んだ記憶がある。だから私の知っている左藤義詮は教育者であり、政治家としての側面は全く知らない。

展示会場でまず目に飛び込んできたのは、1970年の大阪万博は彼が誘致したということだった。へー、そうだったのか。万博を誘致した知事だったのか。ぜんぜん知らなかった。

1970年というのは私が大学に合格した年であり、合格祝いに石川県から大阪まで万博を見に来た思い出深い年である。月の石やソ連館を見るために長蛇の列に並んだ思い出がある。

あれから半世紀がすぎた。2025年に再び大阪で万博が開かれることになっている。しかし、70年当時の「欧米だけでくり返されてきた万国博覧会を、大阪でやろうじゃないか」という熱気は今はない。左藤義詮の功績をみるにつけ、いったい何のための万博開催なのかと改めて感じた。

梅田から南千里駅まで電車で約30分。大阪に40年以上住んでいるが、実は南千里に下りたことがなかった。実際に訪れてみて初めて南千里が千里ニュータウンの南の端であることを知った。やっぱり来てみないと土地勘は身につかない。

今回の訪問で余得が3つあった。一つは展示会場で村井正之の日本画が飾ってあったこと。あの村井正之の生絵を間近からしかも無料で見ることができる。しばし感動に包まれた。

二つ目は駅のスーパーで私の大好きな佐野ラーメンを見つけたこと。住んでいる近所のスーパーではめったに売っていない。店頭に並んでいたものを全部買い占めた(笑)。

そして三つめは電車に乗っている間に泉房穂の本を1冊読み終えたこと。

いい1日だった。

 


絵のコレクション

2023年11月15日 | 日常の風景

3年ほど前、日本画を習って絵にハマった。とくに平山郁夫と東山魁夷の作品に惹かれた。原画を見たくて山梨県にある平山郁夫シルクロード記念館に出かけたこともある。それ以来、たくさんの複製を購入して楽しんできた。

(平山郁夫シルクロード記念館)

 

 

 

 

絵を飾るようになって一つ分かったことがある。それは毎日見ていて飽きない絵と「もういいっか」と思える絵があることだ。そこで「もういいっか」と思った絵をこの際処分することにした。

下の「パルミラ遺跡を行く」は私が初めて購入した大型商品(20号)で、長らく玄関に飾っていた。これを2枚セット25万円(購入価格の6割)で売ることにした。超お買い得である。1日で売れてしまった。やはり平山郁夫作品には根強い人気がある。

次の東山魁夷の「雪の後」(10号)という作品は1年ほど前に買った。これを見ていると昔、赤倉温泉スキー場の急斜面を滑ったことを思い出す。それでスキーの写真と一緒に飾っていた。これも30万円で買い手が付いたら手放してもいいかなと思っている。

 

しかし、中にはどうしても手元に残しておきたい作品もある。一つはリビングに飾っている東山魁夷の「満ち来る潮」である。複製であるにもかかわらず毎日見ていても、全く飽きがこない。

 

また、東山魁夷の「晴れゆく嶺」(複製)という絵も手放しがたい。この原画は衆議院の議長室に飾られている。

(晴れゆく嶺の制作風景)

さらに今年3月、私の日本画の先生の作品「笹部桜」(原画)を京都高島屋で購入した。これも大変気に入っている。「晴れゆく嶺」「笹部桜」いずれも50万円以上した。現在、玄関に飾っている。

そのほか、下のクマさんの絵(原画)や、ギリシャで購入した50号の港の絵(原画)も気に入っている。

 

もし絵が売れたら、そのお金で川村信子先生の次の絵(油彩原画)を購入したい。やはり原画にはいつまでも飽きない魅力がある。でも値段が予算オーバー。

下の中島千波さんの桜の絵なら川村先生の3分の1の値段で買える。シルクスクリーンだけどこれも華やかでいいなあ。

 


6年ぶりの金沢

2023年11月14日 | 日常の風景

金沢に帰ったのは6年ぶりである。ホテルに着くと早速城の周辺を散策した。私が学生の頃はこの城の中に大学があり、教養部、法学部、経済学部、文学部、教育学部、理学部があった。城の中にある大学というのは世界でドイツとここ金沢大学だけということで、石川門をくぐるときちょっと誇らしかったものだ。

石川門をくぐるとすぐ教育学部があり、その奥に法・文・経済学部があった。下の写真の左側の建物が経済学部で、その2階の左端が私の研究室だった。

今は全部取り壊されて金沢城公園になっている。

尾山神社に通じる門も新しく造られていた。鼠多門橋(ねずみたもんばし)というらしい。初めて訪れた。

兼六園は後楽園、偕楽園とならぶ3大名園とされるが、兼六園が一番いいと思うのは地元愛ゆえか。私が金沢に住んでいたころ兼六園は無料開放されており、石引町から毎日この公園の中を通って通勤していた。

あれから半世紀が過ぎた。北陸はそろそろまた厳しい冬を迎える。

 

 


アジア囲碁の祭典

2023年11月13日 | 日常の風景

第38回国民文化祭「アジア囲碁の祭典」が2023年11月11日、12日に金沢市で行われた。競技は団体戦、個人戦、視覚障害者の3部門で、私は団体戦に出場した。

金沢には10日(金)に入り周辺を散策した。かつて私が住んでいたころとはすっかり変わってしまい時の流れを感じた。夕方からは前夜祭が行われた。冒頭にアンサンブル金沢の演奏があり、続いて韓国、台湾などの人たちとの交流を深めた。

大会初日には開会式が行われた。日本語のあいさつを通訳の人が韓国語、中国語にそれぞれ翻訳する。式は30分ほどで終わりいよいよ試合開始である。

団体戦(1チーム5人)には、韓国、台湾から3チーム、日本からは9チームが参加していた。日本チームの中には県代表レベルを何人もそろえたところもあり、すごくハイレベルだった。

試合は全部で4局。初日に2局、二日目に2局打つ。わが桃太郎チームは、初戦の富山県チームに0勝5敗、2回戦の台湾チームには1勝4敗と完敗。相手チームに大いなる幸せをプレゼントしてしまった(泣)。

初日の対戦を終えた後、下島陽平8段に指導碁(3子局)を打っていただいた。いい勉強になった。

夜は韓国、台湾、参加したプロ棋士を交えて懇親会が「秋月」で開かれた。韓国、台湾の人たちがすごくフレンドリーだった。

そして大会二日目。

今度は福井県チームと韓国チームが相手である。

隣の会場では、視覚障害者による囲碁大会も同時開催されていた。目が見えないから特別仕様の碁盤と碁石を使って行われる。

 

今回は12チーム中ダントツの最下位に終わったが、囲碁を通して教員では味わえなかったいろんな体験ができた。来年は岐阜で行われる。それまでにもう少し腕を磨いておかなければ。人生は夕方からが面白い。

 

 

 

 


生活給と能力給

2023年11月08日 | 日常の風景

食事をしながら朝ドラを見て、そのあと新聞をチラ見して30分ほどステレオを聞く。これが最近の朝のルーティーンである。仕事を辞めたせいか、最近は新聞を読んでも面白いと感じることが少なくなった。

その中で、今朝の賃金に関する朝日新聞の記事は面白かった。これまで日本の賃金体系は年功序列型だと言われてきた。しかし正確に言えば「生活給」と考えたほうがわかりやすいという。若いころは安月給でがむしゃらに働かされても、住宅を購入し子どもを大学に行かせる40代・50代はそれなりに給料も上がる。そして、60歳定年で再雇用されると給料が3分の2に減る。これらのことも生活給と考えれば納得がいく。
 
ところが高度経済成長が終わり企業が能力給と言い始めて話がややこしくなった。私も民間のシンクタンクにいたとき、1000万円の給料が欲しければ3000万円の利益を稼ぎ出せといわれたものだ。
 
今の日本はどうか。
若いころは生活給で、40代50代になると能力給? これでは夢も希望もない。
 
 

断捨離

2023年11月04日 | 日常の風景
猫がいなくなったのを機会に、不要になったものを捨てることにした。何回目の断捨離だろう。今度はスキー道具一式、スケート靴、古いバッグなど、これまで大切に取っておいたものも思い切って処分することにした。
 
 
これらの中で一番の思い出にのこる品はスキー板である。20代のころ散々滑った。おかげで1級バッジを取得することができた。1級バッジは教員になってから大いに役立った。
 
 
 
 
大阪に出てきてから気軽にスキーに行けなくなったので、代わりにスケートを試みた時期がある。さっそくスケート靴をあつらえた。道具は最高のものを準備するのが南流である。伊藤みどりの靴を作っている職人さんに依頼して特注で作ってもらった。スケートをやっている人から「バイエルを習っている人がグランドピアノを買ったようなものね」とからかわれた。
 
「人生に無駄なものは一つもない」とよく言われる。しかし、よく考えれば「人生は無駄だらけ」と言えなくもない。例えば、これまでに仕事がらみで買った本は1000万円くらいにはなる。しかし、その大半はすでに処分してしまった。絵もいっぱい買った。どの絵もそのときはたまらなくほしかったものだが、手に入れてしまうとそのうち飽きが来る。
 
 
 
 
 
入れ物があればその分モノが増える。
今回、断捨離をしたことで空間にだいぶゆとりが生まれた。
 
 
 
さあ、空きスペースをどう活用しようか。またがらくたが増えるだけかも。
 

店番

2023年11月03日 | 日常の風景

毎木曜日は囲碁サロン「爛柯」の1日席主の日。

12時には店を開けなければならないので、11時半には家を出る。問題はお昼ごはん。家で食べてから出かけるには早すぎる。

今までは途中でお寿司を買っていたのだが、それも食べ飽きた。ということで、今日は弁当を作ってみた。

現役のころから弁当は「しゃぶしゃぶ弁当」が定番だった。簡単に作れて美味しい。ポン酢をかけると食欲も出る。昼ご飯を食べてから「爛柯」の看板を廊下に出す。

 

お客さんが来るまではコーヒーを飲んだり、パソコンで囲碁の中継を見たりのんびりする。

(白 山田規三生vs黒 六浦雄太)

しばらくすると九州にお住まいの方がビジターとして来店された。年齢は私と同じくらい。以前、森野先生に4子で指導碁を打ってもらったことがあるという。ということで、その方の先でお相手させていただいた。

ところが、ものすごく強い。結局、2局打って2局とも負かされてしまった。聞けば、韓国を始め日本全国の碁会所をめぐっているとのこと。強いはずだ。

対局の合間の世間話も楽しかった。一期一会。碁の取りなす縁で今日も楽しい1日を送ることができた。