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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

新型コロナ感染記

2023年01月30日 | 日常の風景

 不覚にも新型コロナ(第8波)に感染してしまった。全く心当たりがない。用心に用心を重ねていたつもりだったが、もうどこで感染してもおかしくない時代なのだろう。こんな経験は何度もあることではないので、記録しておくことにした。

感染 2023年1月23日(月)
 朝から少し体がだるく、のどが少し痛い。しかし熱は全くない。一昨日、夜寝ているとき寒かったから風邪でも引いたのだろうと思い、いつも通り出勤する。結局授業を4コマやった。しかし、そのあとも全身の倦怠感とのどの痛みが取れなかったので、1時間年休をとり早退する。インフルエンザにでもかかったかなと思い、帰宅後すぐかかりつけ医に直行した。


 ほかの患者と接触しないようにアコーディオンカーテンで仕切られた狭い待合室に通された。15分ほど待って医師の診断を受ける。症状を訴えると、鼻の奥まで綿棒を突っ込まれて検体を採取。結果は数分で出た。陽性だった。ガーン!!1月30日までの自宅待機を言われた。ラゲブリオという薬を5日分40錠処方された。

 帰宅して、早速自室に「軟禁」状態になる。今週は私の授業を見学したいという外部からの希望が何件も入っている。全てメールでキャンセルした。明日からの授業はすべて自習になるが、その件ついてのお願いを社会科主任に連絡する。

 後から振り返れば、なぜ体調の異変を感じたにもかかわらず出勤してしまったのか悔やまれる。休むと同僚に迷惑がかかる。だから休めない。日本には多少の体調不良は我慢してでも出勤することを美徳とする体質がまだまだ残っている。

体調不良を感じたときにはすぐに「休暇をとるべきだ」とする働き方改革が必要なことを痛切に感じた。生徒や職場の人にうつしてはいまいか。それだけが気がかりである。

 

保健所とのやり取り 1月24日(火)
 午前中に保健所から電話があった。医師から保健所にコロナ登録がなされ、そのあとのことは保健所が管轄するシステムらしい。30分ほど電話でいろいろ聞かれた後、自宅療養するかそれともホテルでの宿泊療養を希望するか聞かれた。本当は自宅で療養したかったのだが、妻の意向もあり結局ホテル療養を選んだ。

 ホテル療養を希望すると、その手配は大阪府の担当になる。夕方、大阪府の担当者から電話があった。調整の結果、大阪市役所近くのビジネスホテルに決まり、翌日のホテルまでのタクシーも手配してくれた。費用はすべて公費(=税金)で賄われる。
 コロナの症状は前日とほぼ同じである。発熱はなく、全身の倦怠感と咳ぐらいである。咳が少しひどくなったかもしれない。この程度で収まっているのは、11月4日に受けた第5回目のワクチン接種(モデルナ)が効いているのだろう。

 

ホテル療養1日目 1月25日(水)
 午前中10時半に迎えのタクシーが来るはずだった。ところが、配車予定のMKタクシーが京都からのもので、昨夜からの大雪で大幅に遅れるという。11時半、屋根にふわふわの雪をいっぱい載せたタクシーが到着した。中に乗り込むと、シートはすべてごみ袋でおおわれ、客席と運転席は透明のビニール袋で完全に遮断されている。特別仕様車であった。

 ホテルに着いても初体験のことばかりである。ホテルは完全に大阪府の借り上げで、警備員の配置、入口・フロントなどすべてコロナ対策の特別仕様になっている。「入所」にあたっての注意事項をフロントで窓ガラス越しに20分ほど説明を受けたあと部屋に入る。

(写真上 入口からエレベータに続く玄関メインホール。仕切りがあり、スタッフと患者が接触することは100%ない)。

部屋は本当に静かで快適である。看護師やリハビリの専門家なども配置されており、希望すればすぐに医師の診察を受けることもできる。

(↑持ってきたパソコンもすぐ使えた)

食事はコンビニ弁当のようなもので、1階に自分で取りに行く。Aコース(和食系)とBコース(洋食系)を選択できるようになっており、Aコースを希望する。途中変更はできないらしい。でも思ったよりおいしそう。水、お茶も1階にペットボトルで準備されていて、自由にとってよい。難点と言えば、アルコール厳禁なことぐらいか(笑)。

 (↑夕食)

廊下やエレベータで出会った従業員の姿を見て驚いた。全員、頭から足先まで真っ白の防護服を着用していた。鳥インフルエンザの処理をするときのあのいでたちである。外出は絶対禁止!もし外出すればすぐに「警察に連絡する」との張り紙がしてあった。「警察」とはまたたいそうなと思うが、ことが人命にかかわるといわれたら「そうか」とも思う。

 
ホテル療養2日目 1月26日(木)
 ホテルでこんなにゆっくりしたのは初めてかもしれない。職場の皆さんにはご迷惑をおかけするが、これまで馬車馬の如く走り続けてきたから、この療養は神様がくれた休息だと思うことにした。

 昨夜寝ながらつらつら考えた。大阪府はこのホテルに毎日いくらくらい払っているのだろう? 客室が約300室、1泊1万円として300万円、それにスタッフの人件費30人(?)×1万5千円として約50万円。さらに患者の食事代が1日2千円×250人として約50万円。これらを合計すると1日に約400万円、1か月で約1億2千万円の税金が投入されていることになる。

 私は年齢が72歳と高齢であり、しかも不整脈(心房細動)と高血圧という持病を抱えているため最も重症化リスクが高い部類にランクされる。だから、希望すればすぐにホテルでの療養が手配してもらえた。実際ホテルで療養している人を見ると高齢者ばかりである。しかし、若い人はそうではないらしい。自宅療養で食事の手配にも事欠く人が少なくないと聞く。高齢社会、福祉政策、シルバー民主主義がこんなところにも表れているのかもしれない。

  30日までの「退所」(出所とは言わないらしい)まで時間はたっぷりある。仕事を忘れて1日中ぼーっとしているのももったいないので、本を4冊ほど持ち込んだ。ただし、まだ読む元気はない。倦怠感は幾分ましになったような気がするが、咳と鼻水がまだ止まらない。

 

ホテル療養3日目  1月27日(金)

 ここで平均的な1日のスケジュールを記しておく。

朝7時 朝食 (1階まで各自で取りに行く、昼食・夕食も同じ)

 8時 看護師さんから電話(体温とパルスオキシメータの値を報告)

 12時 昼食

 17時 看護師さんから電話(体温とパルスオキシメータの値を報告)

 18時 夕食

朝食はだいたいパンが多い。下の写真は昨日の朝食である。

1階の弁当置き場(各自で取りに行く)

(ペットボトル置き場、自由に持っていく。1日3~4本)

(食べ終わったごみは各自で1階のゴミ置き場に捨てる)

(廊下の様子、入室者に会うことはほとんどない)

 

昨夜はあまり咳が出なかった。のどの痛みもほぼなくなった。だいぶ良くなってきたようだ。授業をやれと言われたら十分できそうだ(笑)。今から思えば、感染初日、2日目が一番しんどかった。今日あたりから本が読めそうな気がする。

今日の昼食はハンバーグ弁当だった。すごくうまそうだが、さすがに同じような弁当ばかりで飽きが来た。今日は「昼食には持参したカップ麺を食べるぞ」と朝から決めていた。海外旅行に行くとうどんや寿司が無性に恋しくなるのと似ている。うまかった。味覚のほうは全く異常ない。もったいないが弁当はだいぶ残した。

(読書)

少し元気になってきたので読書ができるようになった。

一つは『6ヵ国転校生ナージャの発見』集英社 2022年第一刷発行

先日の天声人語で紹介があったもので、数学者の父と物理学者の母とを持つロシア生まれのナージャが、6歳から15歳まで6ヵ国に移り住み、それぞれの国で受けた教育がどのように違ったものであったかを記した本である。日本の教育しか知らなかった私にはすごく新鮮に映った。詳細についてはまた後日ブログを書きたい。面白かったのであっという間に読み終えた。

もう一つは、まだ読み始めたばかりだが

『反省記』西和彦著 ダイヤモンド社 2020年第一刷発行

西和彦氏については先日のブログ「大学再編で日本は生き残れるか」で紹介した。この本は彼が次のステップに進むために書いた「半生記」ならぬ反省記・回顧録である。無茶苦茶面白い。これについても後日アップしたい。あまり根を詰めて読むとあっという間に読む本がなくなるから、ぼちぼち読むことにする。それにしてもずいぶん元気になってきたものだ。

 

ホテル療養4日目 1月28日(土)

 朝7時、朝食のサンドイッチを食べ、そのあと医師から処方された最後の「ラゲブリオ」4錠を飲む。これで5日分40錠を全部飲んだ。咳はまだ完全には治りきっていない。昨夜も少し出た。ホテル療養もあと2日。元気になったらスシローでおいしい寿司を食べたい。

体調がだいぶ戻ってきたので、午前中は昨日の読書の続きをやり、そのあと来週からの授業の準備をした。1週間休んだため「戦後日本経済」「労働問題」2コマ分がぶっ飛んだ。仕方がないので次の授業で遅れを取り戻すための特別の授業ノートを作った。教科書には書いていない話を中心にポイントを絞りこむ。そのあとはまた巡航速度に戻る。

今日の昼食はマーボー豆腐とコロッケだった。とてもおいしい味付けだった。ただし、ご飯は半分以上残した。ほとんど動かないからお腹がすかない。

弁当を納入しているのは、なんと姫路の業者さん!! (下の写真は本日の夕食)

午後いっぱいかけて西和彦氏の『反省記』を読了した。強烈な伝記だった。1980年代の活躍は知っていたけど、その後のことについては全く知らなかった。ずいぶん苦労したんだね。

 

ホテル療養5日目 1月29日(日)

隔離期間は今日まで。順調にいけば明日の夕方には退所できるはず。その判断はこれまでのデータをもとに保健所が行う。最初はいちいち電話でデータを連絡していたが、3日目あたりからは厚生労働省の「ハーシス」というシステムを使って、パソコンから体温、酸素飽和度、体調全般を入力するようになった。入力したデータは自動的に保健所に送られる。新型コロナの最前線で働く人たちの職種はさまざまであることを今回の経験で改めて知った。心から感謝したい。

今日はとりあえず、先日読み終えた2冊の本の要点を読書ノートに書き記す「仕事」をする。こんなにゆっくりできる機会はもう2度とないかもしれないのに、相変わらず忙しくしている。戦時中の標語に「ぜいたくは敵だ」をもじって「ぜいたくは素敵だ」とあったが、私にとって「退屈は敵」なのかもしれない。午後からは3冊目を読了。

 

退所許可下りる 1月30日(月)

保健所から「本日3時半に退所してもよい」との許可が下りた。25日に入所以来6日目にしてようやく解放される。この期間、ほとんど部屋の中で過ごした。ベッドで一人寝転んで青空を見上げていると、ここが大阪のど真ん中ではなくキリシャかロンドンのようにも思えてくる。人生、生まれるときも死ぬときも一人。いろいろ考えた。明日からまた「日常」が始まる。

(連載終わり)


劣化する民主主義

2023年01月22日 | 日常の風景

民主主義って何となくいいものだとみんな思っている。しかし、はたしてそうか。独裁よりはましだが、欠点もいっぱいあるのが民主主義である。では、民主主義の欠点とは何か。

第一に、根本的な問題として、今の社会の仕組みが複雑になりすぎて国民の理解を超えていることがあげられる。

第二に、社会全体が見えにくいために、有権者も政治家も自分の利益しか考えないようになっている。日本全体のことを考えたうえで投票あるいは政策立案をすべきなのに、みんな徒党を組んで自分の属するグループの利益の最大化を図ることばかり考えている。実際、さまざまな圧力団体が存在し、政党も一部の業界・団体の利益代表になっている。

政治家は国全体のことを考えてまともな仕事をしようと思ったら票が減る。票を得るために有権者の直観に訴えるのが効果的である。だから、やれ景気対策だ、コロナ対策だとか言って札束を並べる。政治家が馬鹿なのではない。水が高いところから低いところに流れるように、自然現象なのである。

第三に、近視眼的なことしか考えない。遠い将来のことなど考えない。例えば、財政赤字、地球温暖化問題、原子力発電などの事例にみられるように、「今さえよければいい」と多くの有権者は考えている。政治家も、100年も200年も先のことを言っていても当選できないので、有権者のニーズに合わせる。その結果、問題の先送りが常態化する。

日本で男子の普通選挙が始まったのは1925年である。女子が投票権を持つようになったのは第二次世界大戦後である。すなわち、20世紀になって初めて「国民主権」の名の下、世界中で一般大衆が政治の表舞台に登場するようになったのである。その結果が民主主義の劣化とでもいうべき現象である。

そんな危機感を抱いていたら、偶然面白い本に出合った。今注目されている成田悠輔氏の『22世紀の民主主義』という著作である。

 

成田によれば、資本主義とは勝者を徹底的に勝たせるシステムであり、それゆえに格差と敗者を生む。一方、民主主義は生まれてしまった弱者に声を与える仕組みであるという。

ところが、その民主主義が劣化している。たとえば、民主主義的な国ほど経済成長率が低迷しているし、アラブの春は失敗してしまった。現在世界では、独裁・専制国が増えている。

では、民主主義をよみがえらせるにはどうすればいいか。それが「22世紀の民主主義」だという。彼は、今必要なのは「無意識民主主義」であると主張する。具体的には選挙なしの民主主義を実現することである。

そもそも選挙とは民意を吸い上げるためのデータ処理である。しかし、現在の選挙は多数派のお祭りであり、しかも極めて粗いデータしか集められない。22世紀の民主主義を確立するためには、どんな背景を持つ有権者が、どんな政治家や政党を求めているのかを高解度でデータ収集する必要がある。 すなわち投票の「質」を上げる必要がある。

そこで彼が提案するのは、それらのデータ収集をアルゴリズムを使って自動で行い、さらに政策立案まで自動でやるという案である。政治家は必要ない。アルゴリズムで民主主義を自動化するのである。そんなぶっ飛んだ民主主義が可能かどうかはともかく、考えるヒントにはなる。


考えるということ

2023年01月21日 | 日常の風景

最近はインターネットで検索すれば大抵のことは答えが出てくる。しかし、そのことがかえって考えない人間を生み出している。

以前、定期考査で「大阪環状線は1周何キロメートルあるか推計せよ」という問題を出したことがある。ネットで調べる前に自分の頭で考えてほしかったからである。採点にあたっては推計するための考え方も重視した。

世の中にはネットで検索しても分からないことがたくさんある。本来、考えるということは答えのないことを考えることではないのか。大学入試の共通テストは「考えることを重視している」というが、すでに準備されている答えを見つけ出すことが本当に考えることだといえるのか? 考えるベクトルの方向が違うのではないか。

たとえば、

(問題)

 幅5メートルほどの狭い道路に横断歩道の信号がある。周りを見れば車は全く来る気配がない。しかし、信号は赤である。車が全く来ない状態でも渡ってはいけないか?

さあ、この問題にどう答える。赤信号だから守るべきだと考えるか、車が来ていなければ渡ってもいいと考えるか、それともみんなが渡っていれば信号無視をしてもいいと考えるか。

実はこの問題は国民性が問われる問題でもある。ドイツ人なら「規則は守るべきだ」と答えるかもしれない。フランス人なら「規則は人間の安全を確保するためにあるのであって、危険がないなら渡ることも当然許される」と答えるかもしれない。では、日本人なら・・・

たぶん、「みんなが渡っていれば自分も渡る」と答えるのであろう。まさしく「思考停止」である。その点でいえばドイツ流の「規則だから守る」というのも思考停止といってよい。もし、「規則あるいは上司の命令だからそれに従う」ということに疑問を持つ人が多ければ、ユダヤ人の虐殺は起こらなかったかもしれない。

ケンブリッジ大学の法学部の試験で「あなたは自分を利口だと思いますか?」という問題が出されたことがある。本当に考ええる人間を育てたいなら、日本も答えのない問題を自由に議論させる教育にもっと力を注ぐべきである。

大学入試では「憲法9条をめぐる政府解釈を、次の中から正しいものを選べ」などというクソ問題が相変わらず出ている。そんなものを「覚えて」一体何になるのか。

岸田首相が建設国債を発行してそれで軍艦を作るというホラーなことを言い出した。国債の60年償還ルールを見直すとも言い出した。新型コロナの分類を2類から5類に移行させるとも言いだした。この時期に何のためにそんなことを言い出したのだろう?  私には「富国」なしの「強兵」政策のように見えるのだが杞憂だろうか。

何が正しいのか。どうすれば多くの人が幸せに暮らせる社会を実現できるのか。答のないいろんなことを考えることが「本当に考える」ことではないのか。授業では、答えのない問題をどんどんぶつけて生徒に発言させるように仕向けている。しかし、多くの生徒は沈黙して一向に発言しようとしない。

発言したことが間違っていてもいい。自分で考えてみることが重要なのである。だから、発言した生徒にはその積極性を評価し成績にどしどし加点している。いつの日かサンデル教授の「白熱教室」のような授業にしたいのだが。


日々進化

2023年01月21日 | 日常の風景

 
現在、1年生の「公共」という科目を2単位×8クラス担当している。だから、同じ内容を8回喋る。しかし、読書によって毎日新しい知識が増えるから、ときには1回目の授業の後ノートを書き換えて、あとの授業のほうがグレードアップすることもある。
 
そんなときは、最初にやったクラスに「ごめんなさい」という気持ちになる。いくつになっても知らないことばかりである。

大学再編で日本は生き残れるか

2023年01月21日 | 日常の風景

 雑誌には色がついている。「文芸春秋」は健全な保守といわれ、古くからエリートが読む。これに対して「世界」はリベラルで知られる。一方、「中央公論」は読売新聞と一体化していて、かつては安倍政権の機関紙ともいわれた。

その「中央公論」の2023年2月号に面白い記事が載っていた。「大学再編で日本は生き残れるか」という特集である。数日前に東京工業大学と東京医科歯科大学が統合され「東京科学大学」となることが話題になったばかりである。しかし、私が気になったのは東京科学大学ではない。西和彦氏が新たに大学を作りコンピュータエンジニアを養成するという記事である。

西和彦氏と言えば1980年代の日本のコンピュータ界をリードした天才である。小学校の時のIQは200を超えていたといわれ、早稲田大学理工学部在学中にアスキーを設立し、ビルゲイツなどとも親交があった。私の年代にとっては懐かしい名前である。

現在の西和彦氏は、妹である西泰子氏が経営される「須磨学園高等学校」の学園長でもある。須磨学園といえば、かつてはいわゆる教育困難校として知られていた。それを西泰子氏が20年間で立て直し、兵庫県のトップクラスの進学校に変身させた。

10年ほど前私が東大谷高校に勤務していたとき、西泰子氏の学校運営手法を学ぼうと会いに行ったことがある。その時印象に残った言葉が二つある。一つは学校を立て直すために能力の低い先生に退職していただく交渉をしたが、この時はさすがに(反発が強く)「殺されるかと思った」と語っておられたことである。もう一つは

「何も日本一の学校にならなくてもいいんです。神戸一でいいんです、と先生方にはお願いしています(笑)」

それって「灘高を抜くということでしょ」と心の中でツッコミを入れたのは言うまでもない。

 

 

その西和彦氏が新しい大学を作るという。神奈川県小田原市に2025年4月開学予定の日本先端工科大学(仮称)である。残念ながら、この計画は破綻してしまった(2023年5月追記)。なぜ西氏が工科大学を創設しようとしたのか、またその目標は何だったのか。『中央公論』2023年2月号は次のように伝えている。

私が大学の教員になるまで
 大学創設は、私が歩んできたこれまでの人生と深い関係があります。私は、早稲田大学理工学部在学中にアスキーを創立(後に社長)。ビル・ゲイツとの親交を深めて米国マイクロソフト本社で副社長とボードメンバーも務めました。

 会社経営が一段落した30歳の頃、私は大学院に行こうと考えました。というのも、政府の審議会委員に選ばれた際に履歴書を出したら「大学中退なら高卒と履歴書を書き直してください」と役所の事務局から連絡があったのです。あのときは顔が真っ赤になるほど恥ずかしかったです。

 しかし、訪れた母校早稲田大学の事務局では、「あなたは大学中退なので大学院の受験資格はありません。8年間在籍して除籍になっているので大学にも戻れません」と言われました。世界的なコンピュータエンジニアリングの仕事をしてきたのになぜだ? 大学から家まで泣きながら帰ったのを憶えています。

 ではどうする。そこで、当時東京工業大学助教授だった、知り合いの広瀬茂男先生を訪ねて「大学に戻りたい」と相談すると、彼は窮状を見かねて学部長に紹介してくれました。学部長は「あなたの経歴なら大学に戻るよりもうちで講師をしたほうがいい。10年教えたら、博士号も取れるでしょう」と。涙がたくさん出ました。嬉しくて。こうして一転、東工大で非常勤講師として「マルチメディア概論」を教えることになったのです。

 さらに、東工大で教え始めてから数年して工学院大学の大学院の研究生になりました。平日は社長業があったので、ゴルフをやめて土日を勉強に充てました。そして教授会で大学卒業の認定をもらい、1999年に「音声や映像を圧縮する技術があれば、インターネットの速度が上がらなくてもインターネット上で通信や放送が可能になる」というテーマで情報学の博士号を取得したのです。10年かかりました。

 博士号は理科系では大学の世界の通行証みたいなものです。博士号がないと教授になれません。

 その後、アスキーの業績不振、CSKへの身売りなどを経て、44歳ですべての仕事を辞めたあと、私が新たな仕事に選んだのは、大学で教えることでした。米国マサチューセッツ工科大学(MIT)の客員教授を4年務め、帰国して国際連合大学、国際大学、尚美学園大学などで教員を続けました。

 尚美学園大学では、学科長も務めていたのですが、60歳を前に考えました。このまま学科長を続け、学長になるのが自分の望みなのか……。その頃、学内政治に疲れきっていて、「自分はエンジニアとしての最後の可能性を試さないまま70歳になっていいのか。いや試してみたい」と自問自答するようになりました。


エンジニア不足を解消したい
 日本のエンジニア不足が深刻なので、これをなんとかできないかという思いもありました。日本にはコンピュータを使う人はいても、作る人がいない。ソフトを作る人は比較的多いのですが、ハードを作ることができる人はほとんどいません。半導体の世界でも同じような状況です。このままでは世界の最先端からどんどん遅れてしまうのではないか。そんな危機感を持っていました。

 エンジニアが増えない理由は、大学で学生に教えることができる教員が少ないことだと思います。半導体の開発、プログラミングなど、テクノロジーの進化は日進月歩ですが、日本の大学の教授は実務経験に乏しい人も多く、最先端のことを学生に教えられない。

 それで、エンジニアだった自分が本気で学生を教えてみようと考えるようになり、生まれて初めて職務経歴書を書いて東京大学に職を求めました。その結果、2017年から5年間、東大工学系研究科機械工学専攻のIoTメディアラボラトリーのディレクターとして本郷の学部生と大学院生に教えることになりました。

 東大で教えて分かったのは、東大生はみんな本当によくできる良い子ばかりだということ。しかし、その東大工学部に入るためには、理科だけでなく、国語や歴史などの文系科目も勉強しなくてはいけません。国語や歴史ができなくても、理科なら東大工学部の学生並みの学力を持つ人はいるはずではないかと気づきました。

 文系の学問が不用だと言っているのではありません。私が自信を持って言えるのは、受験勉強とは、大学に入るためだけの勉強で、社会に出たら何の役にも立たないということです。ジムに行って筋肉を鍛えるのと同じで、「受験勉強で脳を鍛えてきました!」というだけの世界。あまり意味がないんです。大学に入って行う勉強とは繋がりません。

 そこで理科や数学は得意だけれど国語や歴史は苦手という生徒を全国から集めて教育したら、東大工学部卒業と同等レベルのエンジニアを育てることができ、多少なりとも日本のエンジニア不足の解消に繋がるのではないか、と考えたのです。これが大学を創ろうと思ったいちばんの理由です。単なるパソコンオタクでは困るので、大学入学共通テストである程度の点数を取った生徒を集めようと思います。そして何よりコンピュータが好きで面白いと思っている子を探して、しっかり教育する。そんな大学を目指しています。

 そもそも私の家は、祖母が100年前に神戸で裁縫学校を始め、私で3世代目(現在は、須磨学園中学校・高等学校)。2003年から私は学園長をやっています。もちろん、これから取り組む大学経営と中高一貫校の経営は全く違いますけれど。

(中略)

新大学は五つのコース
 私が創設しようとしている日本先端工科大学(仮称)は、
「表面・超原子先端材料工学コース」
「医工学コース」
「IoTメディアコース」
「移動体工学コース」
「地球・月学コース」
 の5コースで構成します。初年度定員は150人。そして1学年のうち30人程度は留学生を受け入れたいと思っています。

 教員はすでに外国人も含めて35人が内定しています。教員になってほしいのは、企業で30~40年エンジニアをやってきたような人たちです。彼らは優秀ですが、忙しくて博士号を取ることができないままここまで来た。そういう方は、まず非常勤で教えながら、数年かけて大学院に行って博士論文を書き、博士号を取っていただく。そして、博士号が取れたら教授になってもらおうと考えています。実務経験のある教授の授業は、学生にも良い刺激になるはずなので、ぜひ今までの蓄積された経験を教えてあげてほしい。企業は人材の宝庫です。企業で働いている皆さんは、自分が宝だということを認識しないままに退職していく。こんなに悲しいことはありません。

 入試では、専門の面接者が、すべての学生を1時間半かけて面接していきます。専門の面接者を頼むのは、学校の教員による面接だと、生意気な学生を採らない傾向があると思うからです。(笑)

 私は、従順ではない、思い切り生意気な子を見つけたいと考えています。ペーパーテストでは測れない才能を発掘したい。日本のものづくりのスキルを受け継いでいける人材は必ずいるはずです。」

ちなみに、多くの授業は英語で行い、海外留学を希望する優秀な学生にはお金の面も含めてサポートする。大学の4年間は全寮制。学業に支障の出るような外部のアルバイトは禁止。奨学金は貸与・給付ともに大学で準備する。大学院の学費は企業にスポンサーになってもらいスポンサーに払ってもらう。そして卒業後スポンサー企業に就職すれば返済不要にする。

今回かかる費用は35億円。ビル・ゲイツも「サポートを考える」と約束してくれたということである。目標は、この大学から、東大、早慶並みのエンジニアを輩出することだという。


◆西和彦〔にしかずひこ〕
1956年兵庫県生まれ。早稲田大学理工学部中退。在学中の77年にアスキー出版を設立。87年アスキー社長に就任。その後アスキーがCSKの関連会社になり、社長を退任。米国マサチューセッツ工科大学メディアラボ客員教授、東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻ⅠoTメディアラボラトリーディレクターなどを歴任。博士(情報学)。現在、須磨学園学園長。

 

 

 

 


テレビ

2023年01月15日 | 日常の風景

1月は日がたつのが速い。もう15日だ。土日の連休といっても、土曜日は1週間の疲れがどっと出て何もする気が起こらない。日曜日になってようやく少し元気が出てくる。そこで、まず1週間とりだめたテレビ番組を見る。

最初に見たのがNHKスペシャル。今日は「盛り土の危険性」だった。

盛り土による宅地造成は山がちな日本で広く行われており、全国に何万カ所もある。しかも、時間が経過するにつれて排水管が腐るなど劣化し、地滑りを起こしやすくなるという。

災害が起こるたびにその危険性が指摘されている。しかし、対策は一向に進まない。理由は簡単である。たとえ危険と分かっていても、自治体は「お宅の地盤は地滑りの危険がありますよ」とは言いにくいからである。

なぜなら、「危険ですよ」と指摘すれば、土地価格にも影響を与えるであろう。さらに、私有地の地滑り対策費用は所有者が負担することが原則であり、その金額は一戸当たり何百万円にもなり、所有者の支払い能力を超えていることが多い。それやこれやで基本的な調査すら行われていないらしい。

「隠れ盛り土」と呼ばれる小規模な造成地を含めると、盛り土による造成地は全国に無数にあるらしい。下図の黄色の部分は神奈川県の大規模住宅地のいわゆる「隠れ盛り土」である。

しかも驚いたことに「盛り土」か「切り土」かという土地履歴は、住宅を購入するときの「重要事項説明」の対象外だというのである。たしかに、その時点の法律に従っていればすぐには危険性はないのかもしれないが・・・。

借金をして買った住宅が、いつ地滑りを起こすかもしれないというのではあまりに悲しい。少なくとも、土地履歴を住宅購入者に重要事項として説明することを義務化くらいはしてもいいのではないか。地理の授業でこういった生活に密接な基本的知識をもっと教えてはどうだろうか。

 

そのほか、映像の世紀、囲碁番組、クラシックTVなどを見た。日曜日の午前中があっという間に過ぎた。


公開授業

2023年01月12日 | 日常の風景
 
 三国丘高校OBの衆議院議員森山浩行氏が私の授業を見学に来られました。23日から通常国会が始まるということで、その忙しい合間を縫っての来校でした。授業終了後「骨太の濃い授業」とのコメントをいただきうれしかったです。
ありがとうございました。
 
今日は「有効需要管理政策」の話を中心にインフレとデフレなどの話をしました。たった1時間の授業で生徒はテレビのニュースや新聞記事がずいぶん理解できるようになったはずです。世の中にはいろんな仕事がありますが、授業がうまくいったときの充実感は何物にも代えがたいものがあります。今日はそんな1日でした。

ネコのいる生活

2023年01月08日 | 日常の風景

ネコと暮らして60年、

生活の中にはいつも猫がいた。

下の写真は田舎で飼っていた初代の猫。名前は「チン」という。多産系だった。

今飼っているネコは、もうすぐ20歳になる。

毛並みはまだつやつやしているが、1年ほど前から目が見えなくなった。

そのため不安になるのか、しきりに抱っこをせがむ。

あの柔らかいふにゃふにゃとした触り心地がたまらない。

 

 

 

 

 

 


文章を書くのが苦手な人は「下書きメモ」を作りなさい

2023年01月05日 | 日常の風景
 
 
先行予約受付
 
 私の単著『文章が苦手な人は「下書きメモ」を作りなさい』が2023年4月19日に発売になります。
メモには知識を「広める」ためのメモと、知識を「深堀り」するためのメモがあります。本書はとくに「深堀り」するための様々なノウハウを紹介しています。これまでの40年間にわたる論文指導の集大成です。
すでにアマゾンなどで先行予約販売が始まっています。皆様、御声援よろしくお願いします。
 

『文章を書くのが苦手な人は「下書きメモ」を作りなさい』(南英世)の感想 - ブクログ (booklog.jp)

 

 

 

 


一気読み世界史

2023年01月02日 | 日常の風景

 

 題名に惹かれてアマゾンで注文した。世界史の全体像を一気につかめるという触れ込みだが、世界史を学んだことがない人がこの本を読んで全体像をつかめるようにはなるかは疑問である。かえって混乱するのではないか。西洋史・東洋史・日本史がごちゃ混ぜになっており、全体像をつかまえさせるにはもっと精選して体系的に記述するが必要であるように思った。

それでも、ところどころ、全体像をとらえる好記述がみられる。たとえば、2世紀に地球の気温が下がったために、ユーラシア大陸の北方民族が南方へ大移動をした。西に向かったフン族の影響でローマ帝国は分裂し、西ローマ帝国を捨ててコンスタンティノープルに逃れた東ローマ帝国が生き延びた。一方、東に向かった鮮卑族は中国に流れ込み北半分を奪い、漢民族は南に逃げた。その後、ヨーロッパではフランク族が生き残り、のちのフランス・ドイツ・イタリアの原型を作った。また、中国では鮮卑族の拓跋部が隋・唐を築いた。

 また、19世紀は覇権がアジアから欧米に移った世紀だという指摘もなかなか良い。19世紀のアジアの2大勢力はムガール帝国と清朝であったが、アヘン戦争で清が敗れると、覇権はヨーロッパに移った。その原動力になったのはヨーロッパの産業革命と国民国家の成立であったとする。

全体としての印象では、大きな流れをつかむというより、小ネタ・ウラ話の類が面白い。歴史の根底に流れる「思想」みたいなものが感じられない。前半3分の1はまじめに読んだが、その後は流し読みをした。今度始まる『歴史総合』のヒントにはなるかもしれない。


新年のご挨拶

2023年01月01日 | 日常の風景

 

明けましておめでとうございます。

今年は私の干支の年。

長かったような短かったような。

 

やりたいことはすべてやり切った感がある。

本も書いたし教科書も書いた。生徒にも恵まれた。

スキーの1級バッジも取ったし囲碁の免状も取った。

 

犬も猫も飼った。

 

 

やってみたかった日本画やエレクトーンにも挑戦した。

 

一つだけやり残したことがあるとすれば、退職したあと1か月ほど家出して、山にこもってスキーをやりたかったことくらいか。しかし、もうその体力はない。見果てぬ夢か。

東山魁夷の山の絵を見て、若かったころ滑った赤倉の山を思い出す。4.5キロのロングコースをノンストップでかっ飛ばした頃が懐かしい。

でも、もう一度あの頃に戻りたいとは思わない。

人生で今が一番いい。

本年が皆様にとって良い年でありますように。