
身もふたもない言い方をすれば、結婚とは「性の独占的使用権を特定の人と相互承認する契約」である。しかし、いったん鳥かごに入ると、やがて時間とともに鳥かごから出てみたくなるのも人間のサガである。文学作品の名作には不倫を扱ったものが少なくない。それが多くの読者を獲得しているということは、だれしもそういう願望を心の底に持っていることの表れともいえる。また、周囲を見渡せばたくさんの「ラブホ」があり、ほとんど倒産しないところをみると、それなりの需要があるに違いない。
不倫に対する世間の風当りは、国によって大きく異なるようだ。フランスでは、たとえ大統領が愛人を持っていても仕事さえきちんとしていればそんなには叩かれない。イタリアでも美女を見たらナンパするのが礼儀であり、逆にナンパしないと失礼に当たると聞いたことがある。
これに対して、アメリカの文化は不倫には厳しい。ナサニエル・ホーソーン(1804~1864)が書いた作品『緋文字』は、姦通の罪に苦しむ牧師と人間らしく生きようとする女性を描いた名作だ。かつてクリントン大統領も女性と「不適切な関係」にあったということで糾弾されたことがある。
一方、日本では不倫は徹底的に叩きのめされる。芸能人にしても政治家にしても、スキャンダルはマスコミの恰好の餌食になる。政治家のスキャンダルばかりを報道して、肝心の政策について語らないマスコミもいかがなものかと思うが、国民の多くがスキャンダル情報に大きな関心を持っているのだから仕方がない。文学作品を読むのも面倒だから、テレビの報道で間に合わせているのかもしれない。
ところで、不倫に対していちばん厳しいのはイスラム社会である。不倫を犯したら、男性・女性を問わず石打の刑に処される場合がある。これは、姦通をした人を腰あたりまで地面に埋め、聖職者が大きさ10センチほどの石を投げつけて公開処刑するものである。たくさんの人が見物する中で、見せしめ的に行われる。大きな苦痛を伴うため非難が絶えないが、現在でもパキスタン、アフガニスタン、イラン、ソマリア、ナイジェリアなどで行なわれているといわれている。私も石打の刑のシーンを映画で見たことがあるが、衝撃を受けた。
夫婦の関係を漢字一文字であらわすと、若い夫婦は「絆」であり、年輩の夫婦は「忍」であると聞いて苦笑してしまった。若いときに感じた愛情をいつまでも保つことができればそれでいい。しかし、現実はなかなかそうもいかない。「忍」の一字を心に刻んでしっかり家族を支えることも立派な愛情の示し方とはいえまいか。
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