京都逍遥

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平岡八幡宮

2024-04-19 21:21:32 | まち歩き

3月15日~5月6日、平岡八幡宮で春の特別拝観が行われている。

平岡八幡宮は椿、花の天井、そして山城国最古(809年)の八幡宮として知られる。ご神体は弘法大師自筆の僧形八幡神像。一帯は神護寺旧境内で、大師は神護寺守護神として描いた、ということである。本殿は1407年に焼失後、足利義満(1358-1408)により 再建、仁孝天皇による修復(1826年)、現宮司による一部修復(2014年)を経て現在に至っている。

参拝の際に受け取ったリーフレットに神護寺所蔵の同伽藍図コピーが記載されているが、これは室町時代の絵図であるらしく、現存する社殿とは趣を異にしている。また、清滝が平岡八幡宮の右上に描かれており、東西南北もはっきりしない。

1780年と時代は下るが『都名所図会』も確認しておく。ここで描かれた「八幡宮」が、平岡八幡宮のことだろうか。確かに神護寺から見て東南に位置するが、図絵ではもっと隣接している。

『都名所図会』神護寺絵図:km_01_06_053.jpg (1926×1285) (nichibun.ac.jp)

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高尾山神護寺は光仁帝の御宇和気の清麻呂奏聞し建立有りしなり……(中略)……

八幡宮は経蔵の巽にあり

『都名所図会』高雄山神護寺解説画像 (nichibun.ac.jp)

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拝観には宮司さんがつきっきりでお庭から内陣の説明までしてくださった。本殿内陣の格天井に描かれた44枚の「極彩色の花絵」の説明が最も興味深かった。平岡八幡宮のある梅ケ畑地域はかつて薬草を栽培していた場所でもあり薬草の絵が多いこと、ラピスラズリが使われていること、義満を表す牡丹の絵が上座中央にあること(義満の野望に関するお話も)。格縁には黒漆が塗られており、個人的には漆塗りの縁は初見で珍しかった。花の天井は直近の修復はされていないというが、奥の紅葉の絵などは色鮮やか。この色をよく保っているものである。「極彩色」というよりも、上品な色付けと見た。さすがに内陣での撮影はできず、花の天井は実際に出かけて見上げるしかない。

内陣の奥(神棚と言っていいのか?)一段高くなったご本尊などを祀る手前の左右の長押に、熨斗袋から紅白梅と白玉椿がそれぞれ描かれている。金を使用して華やかではあるが、この絵は全く好みではなかった。花天井は1827年綾戸鐘次郎藤原之信という画工によるものと知られていたが、2014年の部分修復で「山本探淵」の名が発見されたとのこと。熨斗袋の絵は、彼の手によるものらしい。

本殿内陣を出ると、社殿屋根中央の蟇股部分に、修復された琴引き弁財天が見える。

同じく社殿屋根左右の飾りには瓢箪の透かしがあり、「秀吉が寄進した証左の千成瓢箪」と説明を受けた。

 

ここには白玉椿伝説なるものがあるらしい。願い事をすると、白玉椿(形の良い白椿)が一夜で開花し願いが成就した、という伝説である。『日本書紀』にみえる土蜘蛛征伐の椿より、古来、邪気を払うものとされてきた、とのこと(八幡宮リーフレット)。『日本書紀』現代語訳をざっと見たが、該当する記述は見つからなかった。

代わりに椿が神聖な木である、という記述が『古事記』に見つかった。ひとつは仁徳天皇の時代についての「64 妬み深い大后と八田若郎女」に、もうひとつは雄略天皇の時代についての「78 袁杼姫の歌・天語歌」にある。

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大后のイハノ姫の怒りはなお収まらず……(中略)……難波の堀江をさかのぼらせ、河から河へと山城の国までのぼっていった。その時、次のような歌をうたった。

つぎねふや 山城川を 川のぼり 我がのぼれば 川の辺に 生ひ立てる 烏草樹の木 其が下に 生ひ立てる 葉広 斎つ真椿 其が花の 照り坐し 其が葉の 広り坐すは 大君ろかも

                  *下線部は、さんずい偏に「斥」で一字

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その時、大后のワカクサカベノ王は、次のような歌をうたった。

大和の この高市に 小高る 市の高処 新嘗屋に 生ひ立てる 葉広 斎つ真椿 其が葉の 広り坐し 其の花の 照り坐す 高光る 日の御子に 豊神酒 献らせ 事の 語り言も こをば

              『現代語訳 古事記』福永武彦訳(河出文庫)*ルビ省略

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椿の木が神社にあることに納得。椿はツバキ科ツバキ属、神道で使われる榊はモッコク科サカキ属ではあるが、常緑低木で、葉に厚みと艶があるところ、葉の形状(縁にギザギザがないところ)が似ている。

椿を見に行ったのに、ほとんど咲いていなかったのは残念。宮司さんによれば「去年咲きすぎたから、今年はどこも椿は咲いていない」「咲いても鹿が花を食べにくる」「落ちた椿まで食べてしまう」とも。14日には北山通と北大路通の間にある府立植物園に鹿が数頭侵入し、一日半の間休園になった。鹿は平岡八幡宮のような山の方だけではなく、川伝いに下りてきて食べ物を探す。高野川の川辺で数年前に一度見かけたことがあると思い出した。

宮司さんが、もう少しゆっくり話してくれたら、なお良かった。毎度の解説にご本人は慣れてしまっているのだろう。話についていくのが大変だった。

なお、JRバスの停留所「平岡八幡前」は、冒頭の写真の鳥居のすぐ前にあるが、Google Mapsや乗換案内アプリを使用すると、次の停留所「梅ケ畑清水町」を勧めてくる。そこで降りると西側の鳥居が近く、徒歩で行く距離はかなり短くなるのだ。もっとも、参道の高尾紅葉や椿の小道を見ながら歩くのがいいのだが。

 


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