四条烏丸交差点に、8:30に到着。南東角で長刀鉾を見ていると、雨がパラパラし始めた。8:40頃、禿、お稚児さんが順に乗り込む。お稚児さんは、地面に足をつけてはいけないから、強力(剛力)の肩にかつがれて梯子を上る。
さて、9時前、まだ雨はパラついていたが、雨除けのビニールシートが外され、お囃子と、「ヨーイヤサー」の掛け声と共に、長刀鉾は進み始めた。次は、籤改めのある堺町通で綱切りを見なくては。みな考えることは同じで、長刀鉾の動きと共に観衆も一斉に移動するので、とても危ない。人が多くてひどく押される。周りで誰も怪我しなくて良かったと思うくらいだ。やっとのことで籤改め場所に着いたが、目当ての綱切りには間に合わなかった。歩道の後ろ側で、柱にもたれて後に続く山鉾を観覧することにした。とにかくサンダルを履いて行くべきではない。ベビーカーに足を3回轢かれた。
ここでは、巡行順の固定している、籤取らずの山鉾(長刀鉾・函谷鉾・放下鉾・岩戸山・船鉾・北観音山・橋弁慶山・南観音山)は、代表者が「お願いします」と挨拶をしてから進む。他の山鉾は、木箱に入れられた籤を市長に差し出し、市長が読み上げるという一定の所作に基づいた儀式を行なう。また、舁き山の場合は、その場で山をぐるりと回転させてから進み、曳山と鉾は、そのまま進む。傘鉾の場合は、太鼓・笛の音曲に合わせて踊りを披露してから進む。
雨は止んだりパラパラしたりを繰り返し、ほとんどの山鉾が、ビニールをかけたまま。長刀鉾、北観音山、南観音山は、外していた。やっぱり、ビニール越しでない懸装品を見たい。宵山でつけているのは「常のもの」なので。ハレの懸装品は、ビルの谷間の町会所に飾っていても、もう一つ映えない。
ところで「懸装品」の読み方は、どれが正しいのだろう?よく聞くのは「けそうひん」。新聞にも、そうルビをふっている。ただ、どこかの町会所のアナウンスで「けんそうひん」と言っているのも聞いた。そして、祇園祭山鉾連合会が発行している「2009祇園祭山鉾参観案内書」には「かけそうひん」とある。
かつて24日の「後祭り」で巡行していた北側の町々が所有する山鉾は、「後祭り巡行列」という幟に続いて、進んでくる。最終は南観音山。パトカーが守るその後から、続々と一般車が走り始める。交通規制解除。
すぐに堺町通を北上するが、御池通で出合ったのは5番の函谷鉾。籤改めを全部見終わってからでは、先頭の辻回しに間に合わないことがわかった。それにしても、細い新町通を進む様子を見るのは、迫力がある。電線を持ち上げたりして危ないなと思っていたが、ここは電線地中化を予定しているらしい。屏風祭も行なわれる通りだし、景観も良くなるだろう。
一時過ぎ四条通に戻ると、長刀鉾は町会所に到着して2階に橋もかかり、囃し方も引き手もみな休憩中。これで終了と得心して、買い物へ。大丸、Loftと日食グラスを求めて歩くも、売り切れ。迷った末に河原町通のJUNKUDOへ。ありました。レジ前に積んでた。星の手帖社が出している「欠ける太陽を見よう!皆既日食」。こんなペラペラのグラスで大丈夫かな、と思いつつ。
さて、買い物を済ませて四条通に戻ってみたら、長刀鉾の解体が始まっていた。珍しいものに行き当たったと思い、2時半~5時まで、見物。屋根を持ち上げて降ろすのだと思っていたら、何と細かく分割され、少しずつ解体されていた。屋根板だけで、30枚ぐらいはありそうだ。
↓2時半頃、鉾車が外された。
←3時半頃、作事方が、足場を組む。
↓5時前、屋根が少しずつ解体される。
解体中も、四条通の隣の車線ではバスも普通車もどんどん通り、こわいな・・・と思いながら見上げていた。さすが大工さん。高所作業は慣れたものだ。作事方の一人から、「今日は、真木までは無理やなぁ」という声が上がっていた。今日中には解体できないこともあるんだ。鋏で切り落とした縄を、記念に持ち帰る人が何人もいた。京都人、いずれこれでお商売するかもしれない・・・。
神幸祭は、いつか見てみたい。
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