京都逍遥

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千両ヶ辻󠄀ひな祭り

2024-03-23 18:23:52 | まち歩き

3月2日・3日と、「千両ヶ辻󠄀」と言われる西陣の一角で、町家の公開と物品の販売等が行われた。

千両ヶ辻󠄀公式HPによると、「江戸時代中期頃(西陣の黄金期)より生糸問屋・織物問屋が軒を並べ、日々千両に値する生糸や織物を
商ったことから『千両ヶ辻』と呼ばれて」いたとのこと。

西陣の中心地「千両ヶ辻」 – 京都・西陣 千両ヶ辻(公式サイト) (senryougatsuji.com)

地図にあるように、江戸時代の西陣織黄金期に繁栄を誇った大宮通が、その地である。大宮通といえば、平安時代の大通りである。南北の通りでは、朱雀大路が最も広く28丈で、次が12丈の大宮大路(現 大宮通)と西大宮大路(現 御前通)であった。

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やがて大内裏の修理式町という建築業の人々の所属する役所に通じる南北の小路が、町の小路と呼ばれて、最初の町場の発展の場所となる。……(中略)……『かげろふ日記』の著者が、怒って書いている兼家の愛人が「町の小路の女」であった。……(中略)……「町の小路」は現在の新町のことである。それ以来、新町と室町が、もっとも繁華な下京の商業区域を誇ったのである。とりわけその町と三条・四条・七条の交差点が、三条町・四条町・七条町といわれて繁華街となった。

『物語 京都の歴史』(中公新書)

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平安中期、大宮大路は広い通りではあるが繁華ではなかったようだ。応仁の乱後に西陣織が発展を遂げ、江戸時代になると値千両の物品が日々商われる通りとなったようである。

なお、千両は現在の価値で約6300万円程度に換算(米5㎏≒2100円)される。とんでもない金額。それでは、江戸時代にはもっとも繁華な商業区域は、大宮通に移っていたということになる。

日本銀行金融研究所貨幣博物館HP:(江戸時代の1両は今のいくら? - 貨幣博物館 (boj.or.jp

ひな祭りに戻ろう。

京都の写真撮影の第一人者である水野克比古氏の町家写真館では、上の写真のように雛飾りが2部屋の南北の壁に沿ってずらっと並べられ、圧巻であった。江戸時代のものもあり、水野家の歴史を感じさせられた。なかには立派な7段飾りも。飾るだけで1週間はかかったと聞いたが、片づけるのはもっと大変だろう。見せて頂いたことに感謝である。当日は参観者が非常に多く、全体を見渡した写真は撮影できず残念。お雛様の上部には「恵方棚」なるものもしつらえられ、毎年方向を変えるのだという。これは私にとって初見であるが、どの程度珍しいものなのかはわからない。

苔の美しい坪庭も拝見。どんな手入れをしたら、こんな見事な苔の庭になるのだろう。

町家写真館の玄関を入ったみせの間では、写真集が販売されていた。そこには並んでいなかったが、以前、書店で選んで購入したのは『京都名庭園』と『京都桜名所』。ともに光村推古書院の出版で美しい写真が並ぶが、特に前者は何度も見返している。

 

さて、お雛さまのあとは、レース博物館へ。さまざまなレースが展示され、興味深かった。ここでは、通常でもレース布の販売をしているらしい。海外有名ブランド使用のレースも展示されていた。

ミュージアム内外観

 

秋には「西陣伝統文化祭千両ヶ辻󠄀」が毎年開催されるそうな。出店の店舗が増えるのか、別のイベントがあるのか、楽しみである。

 

 



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