心向くまま徒然徘徊紀

思うままに思い、思うままに徘徊し追憶・追記を重ねていきたい。

商品交換に関して

2020-07-06 10:33:03 | 経済メモ

社会には膨大な商品が存在し、

日夜無数の商品交換が行われている。

その商品は各々交換が実現するとき交換価値をもつ。

その交換価値とは何か?が今のテーマです。

 

米10kgと鉛筆20ダースが交換されるとき、

そこには共通の等価で交換されていなければならない。

 

ここでは共通の等価とは何か?が解明される必要がある。

共通の等価となる価値が含まれていなければ交換は不可能である。

 

商品の価値とは何か?

一つは何らかの有用性、つまり使用価値がなければならない。

しかし、それは交換の必須条件にはなるが、等価になる条件はない。

米と鉛筆は確かに双方とも使用価値は持っているけれども

その商品体の量的関係は等価を証明するには不確かである。

米10kgと鉛筆20ダースの交換を可能にする共通の尺度となるものは何か?

 

商品に顕在化している米の使用価値は如何にして創造されるか?

年間を通して、米を育て上げるその為の具体的労働を通じて一定の米が耕作される。

鉛筆も、違った場所で違った具体的労働を通じて生産される。

 

各々は生活に必要な分量だけ生産され、

自分たちが生産していないが

生活に必要な商品と交換するために生産される。

 

つまり、

米10kgと鉛筆20ダースが交換可能な場合、

そこには各々の具体的有用労働とともに、

共通の価値が含まれている。

それは人が生きながらえるための血と汗の結晶であるということです。

 

それを抽象的人間労働という。

 

この具体的有用労働と抽象的人間労働は労働過程において

同時進行する。

それは現実には、加工される為の労働分量が負荷されているが

それを計ることはできないので、

抽象化された時間によって計測される。

 

つまり、こめ10kgと鉛筆20ダースの交換が実現したとき

お互いの生産され、加工される「具体的有用労働」の結果の数量価値は

お互いの「抽象的人間労働」の分量によって決定され、市場で交換される。

しかし、

市場における交換は必ずしも交換価値を持つとは限らない。

そこには価値実現のための飛躍がある。

この市場プロセスを通って、交換が実現する時初めて交換価値を持つ。

双方の商品が等価交換されるのである。

現実にはその現象形態である時間によって計られる。

 

この労働の二重性こそが商品経済の跳躍点といわれる。

将来の資本主義的経済の飛躍的発展を保証するのである。

 

ちなみにこの商品交換の間には、「価値形態論」で論じられるが

物々交換から貨幣交換への歴史的形態を経た金や銀に代表される貨幣の出現がある。

 

 

 

 

 

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