☆・・・こたつの中に
ココの匂いが まだ
かすかに 遺っています・・・ ☆
両親の時も 祖父母の時も
それぞれにすごく悲しかったのに
ココの時は 何か特別に
大きな「喪失感」を感じます。
胸の辺りがスースーするのです。
それはたぶん、
自分より後に生まれたのに
自分より先に逝ってしまった、という
命という ともし火の儚さに戸惑っているのかも。
今まで、犬や猫を何度か飼ってきました。
でも、その最期を見届けたのは今回が初めてでした。
家の中だけで飼ったのも初めてで、いつもそばで見ていたせいでしょうか。
それだから余計に
後悔ばかりが沸き上がってきてしまいます。
ココと一緒にいる間
私の心の片隅には
常に人間としての「罪悪感」が
存在していました。
動物病院から譲り受ける時、
お兄ちゃんネコがいたけれど
2匹は飼えないからと
そのお兄ちゃんから
ココを引き離してしまったこと。
ココはとても淋しそうでした。
その夜から夫の枕元に座って、
お兄ちゃんだと思って
夫の髪の毛を舐めていたのでした。
数日そういう日が続き、夫はメロメロになりました。
「ネコってこんなに可愛いんだ~♪」って。
勿論、私も娘もココと一緒に遊びました。
ポリ袋を丸めてキャッチボールをしたり、カーテンレールの上を歩いたり。
リードをつけて庭に出たり。紙飛行機を飛ばしたり。
お布団でかくれんぼしたり。紙袋や箱に入ったり。
家の中がすべて遊び場でした。
ところがある日、寝ていた夫の大きなくしゃみで
そばに居たココが大変驚き、その時から態度が一変しました。
ココは大きな音や声がとても苦手だったのです。
その日からココは夫が通るたびに
ネコパンチを浴びせ、夫の足は血だらけになりました。
そういうことをしなくなったのは
この家に引っ越してきて、
落ち着いてきてからでした。
夫が帰宅すると、茶の間に座るのを待って、
背中を向けて『ナデナデ』を要求していました。
それから、ココの避妊手術をしたとき。。
ココはよい母親になりそうなネコでした。
(親ばかの始まり始まり~)
病気予防と身の安全という名目で
ココの自由を奪ったことになりました。
お母さんになるチャンスをも奪ったという
人間のエゴと後ろめたさは当分続きました。
煮干しを食べさせ過ぎたこともありました。
私が出掛けようとすると、玄関まで追って来て淋しがるので
好物の煮干しで気を逸らせていました。
そのせいで、下部尿路疾患になって
しばらく病院通いに・・・。
とにかく、悔やまれることはたくさんありましたが、
ココの存在は、家族間のクッションのような役割をはたしてくれました。
気まずい雰囲気の時も、ココに話しかけたりして
一瞬の緊張を溶かしてくれました。
これから、誰が、何が
クッションの役割をはたしてくれるのでしょう?
最期まで、自力で生きようとしたココは立派だったと思います。
右目が見えないために、首が右に傾いた姿で
足を引きずりながらも、ゆっくりとトイレや水飲みに歩こうとしました。
私が、抱っこしてその場所まで連れていくと
不本意だというように鳴いて、やめてしまったこともあります。
見守ることが大切だと知りました。
ココはあんまり苦しくて、お月さまにお願いしたのかも知れません。
「月に帰してください」って。
先日観た「かぐや姫の物語」みたいに。
それでお迎えが来たのでしょう。
生き別れになったお兄ちゃんだといいなあ。
もし、お兄ちゃんが先に行ってるとしたら、だけど。
コロちゃんのお母さん、えふ母さん、
ココをよろしくお願いします。
トラネコさんとこのハナオくんや、ねねちゃんとも会えてるといいなあ。
たくさんのおともだちと遊べるといいなあ。
ここでは、いつもひとりだったから。
長い長いひとりごと、聞いて下さってありがとうございます。
ココの匂いが まだ
かすかに 遺っています・・・ ☆
両親の時も 祖父母の時も
それぞれにすごく悲しかったのに
ココの時は 何か特別に
大きな「喪失感」を感じます。
胸の辺りがスースーするのです。
それはたぶん、
自分より後に生まれたのに
自分より先に逝ってしまった、という
命という ともし火の儚さに戸惑っているのかも。
今まで、犬や猫を何度か飼ってきました。
でも、その最期を見届けたのは今回が初めてでした。
家の中だけで飼ったのも初めてで、いつもそばで見ていたせいでしょうか。
それだから余計に
後悔ばかりが沸き上がってきてしまいます。
ココと一緒にいる間
私の心の片隅には
常に人間としての「罪悪感」が
存在していました。
動物病院から譲り受ける時、
お兄ちゃんネコがいたけれど
2匹は飼えないからと
そのお兄ちゃんから
ココを引き離してしまったこと。
ココはとても淋しそうでした。
その夜から夫の枕元に座って、
お兄ちゃんだと思って
夫の髪の毛を舐めていたのでした。
数日そういう日が続き、夫はメロメロになりました。
「ネコってこんなに可愛いんだ~♪」って。
勿論、私も娘もココと一緒に遊びました。
ポリ袋を丸めてキャッチボールをしたり、カーテンレールの上を歩いたり。
リードをつけて庭に出たり。紙飛行機を飛ばしたり。
お布団でかくれんぼしたり。紙袋や箱に入ったり。
家の中がすべて遊び場でした。
ところがある日、寝ていた夫の大きなくしゃみで
そばに居たココが大変驚き、その時から態度が一変しました。
ココは大きな音や声がとても苦手だったのです。
その日からココは夫が通るたびに
ネコパンチを浴びせ、夫の足は血だらけになりました。
そういうことをしなくなったのは
この家に引っ越してきて、
落ち着いてきてからでした。
夫が帰宅すると、茶の間に座るのを待って、
背中を向けて『ナデナデ』を要求していました。
それから、ココの避妊手術をしたとき。。
ココはよい母親になりそうなネコでした。
(親ばかの始まり始まり~)
病気予防と身の安全という名目で
ココの自由を奪ったことになりました。
お母さんになるチャンスをも奪ったという
人間のエゴと後ろめたさは当分続きました。
煮干しを食べさせ過ぎたこともありました。
私が出掛けようとすると、玄関まで追って来て淋しがるので
好物の煮干しで気を逸らせていました。
そのせいで、下部尿路疾患になって
しばらく病院通いに・・・。
とにかく、悔やまれることはたくさんありましたが、
ココの存在は、家族間のクッションのような役割をはたしてくれました。
気まずい雰囲気の時も、ココに話しかけたりして
一瞬の緊張を溶かしてくれました。
これから、誰が、何が
クッションの役割をはたしてくれるのでしょう?
最期まで、自力で生きようとしたココは立派だったと思います。
右目が見えないために、首が右に傾いた姿で
足を引きずりながらも、ゆっくりとトイレや水飲みに歩こうとしました。
私が、抱っこしてその場所まで連れていくと
不本意だというように鳴いて、やめてしまったこともあります。
見守ることが大切だと知りました。
ココはあんまり苦しくて、お月さまにお願いしたのかも知れません。
「月に帰してください」って。
先日観た「かぐや姫の物語」みたいに。
それでお迎えが来たのでしょう。
生き別れになったお兄ちゃんだといいなあ。
もし、お兄ちゃんが先に行ってるとしたら、だけど。
コロちゃんのお母さん、えふ母さん、
ココをよろしくお願いします。
トラネコさんとこのハナオくんや、ねねちゃんとも会えてるといいなあ。
たくさんのおともだちと遊べるといいなあ。
ここでは、いつもひとりだったから。
長い長いひとりごと、聞いて下さってありがとうございます。
ココちゃんのお話いっぱい
してくださってありがとうございます。
悔やまれることも
今にして思えば沢山あったかも
知れないですが
ココちゃんは
ココちゃんのおかあさんとおとうさんに
出会えて幸せだったでしょうね。
楽しそうなココちゃんの姿が
目に浮かびます。
これからも毎日
ココちゃんとココちゃんのおかあさんに
会いに来ますので
また、ココちゃんのお話や
ココちゃんのおかあさん、おとうさんの
お話もきかせてくださいね。
ココちゃ~ん
ぐーぐーおばちゃんは
まだまだコタツちゃんと
仲良しやで~。
ハンガーの上や、カーテンレールを歩いてるココちゃんに会いましたよ。
家族みんなに囲まれて、ココちゃんは、しあわせだったと思います。表情が優しく、いつも微笑んでいるようです。
ぼくのママは、最近、疲れた~って言って、こたつでゴロゴロ…。あんまり遊んでくれません。仕方ないので、ママのあとを追っかけてます。洗濯物をたたんでいるところで、上に載って怒られること、しばしば…。ココちゃんみたいに、リードをつけてもらって、お外にも行きたいな…。
お話、聞いて下さってありがとうございます。
何だか、ホッとしました。
ぐーぐーさんのコメントに救われたような
気がして、胸が熱くなりました~(*^^*)
こたつと仲良しのぐーぐーおばちゃんに
ココが「おじゃまします」って
会いに行ってるかも知れませんね(*^▽^*)
ココの過去の写真を見に行ってくれた
ありがとうねえ。
み~たんとお話できたことも、
ココには幸せな時間でした。
「み~たんというイケニャンがいてね・・」って
いつもお話してあげていました。
み~たんのママはお仕事してるから
疲れていることもあるでしょうけど、
み~たんの顔を見ると元気になるようだから
そこに居てあげるだけでいいのよ。
リードをつけてもらったら、
誰か必ずそばで見てもらえる人がいるといいわね。
リードが首にからまって大変なことになったニャンコがいたらしいからね。