三日月堀のぶろぐ

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新井堀の内遺跡と伊奈氏屋敷跡の発掘調査説明会に行って来ました

2017年12月17日 | 現地説明会

※平成30年3月10日追記
埼玉県埋蔵文化財調査事業団の「ほるたまメール倶楽部」や産経新聞など一部報道資料によると昨年12月25日に新井堀の内遺跡から大甕に納められた埋蔵銭が見つかったそうです。銭を収めた甕の大きさ・埋蔵銭の量共に国内最大級と考えられるそうで、甕の中には墨で文字が書かれた木簡が納められていたそうです。

昨年の遺跡見学会が12月16日に行われたので、見学会の後に埋蔵銭が見つかったのかな(^_^;) 
3月14日から18日まで熊谷の埼玉県文化財収蔵施設にて埋蔵銭が特別公開されるそうです。http://www.saimaibun.or.jp/

 

昨日、新井堀の内遺跡見学会と伊奈氏屋敷跡の発掘調査現場説明会に行って来ました。
まずは新井堀の内遺跡から・・・

〇新井堀の内遺跡(馬場堀の内・黒浜堀の内・堀の内・野口氏館) 埼玉県蓮田市黒浜馬場
岩付城主太田資正の家臣野口多門の居館と伝わっています。
蓮田駅東口黒浜線道路建設に伴う発掘調査で、戦国時代の掘が2条と井戸跡などが見つかりました。堀の形状は2条ともV字形の薬研掘で南北方向に並列に掘られており、同じ時期に存在した二重堀だったようです。遺物はカワラケや陶磁器、そして応永十年(1403)の紀念銘が彫られた宝篋印塔の基礎などが見つかっています。堀にともなう土塁の存在について説明会担当の方に伺ったのですが、耕作地で攪乱されており土塁の痕跡を確認する事は出来なかったそうです(._.)

   


〇伊奈氏屋敷跡 埼玉県伊奈町小室
徳川家康の家臣で関東郡代伊奈氏の祖である伊奈熊蔵忠次が、天正19年(1591)小室の地に築いた陣屋跡です。今回の調査は2の丸跡と呼ばれる平場の地盤・堀・近年の土盛の関係を明らかにする為に試掘坑を設け確認しました。
まだ調査途中のようですが現在分かった事は
・平場を作る前も台地であった。
・平場中央並びに周囲の土盛りは土塁の積み方(版築)とは違うそうで近年のものである可能性が高い。
・また周囲は堀(または低地)になっている。
・1600年前後の陶磁器が出土していることからその時期に造成が行われたと考えられる。

 

現場説明会の後は伊奈氏屋敷跡の見学ツアーがあり、30分程かけて屋敷跡を見学しました。伊奈氏屋敷跡は私有地が多いのですが見学路が整備されていて空堀や土塁などの遺構を堪能出来ました(^^*)

   

両説明会では発掘調査の担当の方に色々なお話を伺う事が出来ました。特に伊奈氏屋敷跡では地味かもしれませんが小さい事の積み重ねが次に繋がる、今後に希望が持てるお話もありました。行政そして地域の住民のみなさんが一帯となって史跡保存にむけた取り組みを期待したいと思います<(_ _)>


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