三日月堀のぶろぐ

お城・歴史の記事がメインのぶろぐです〈(_ _)〉

企画展「立川の遺跡2017」に行って来ました

2017年08月27日 | 企画展

残暑見舞い申し上げます。

先日、東京都立川市歴史民俗資料館の企画展「立川の遺跡2017」に行って来ました。

昨年(平成28年度)の発掘調査の展示会でしたが、今回は立川氏系図や以前に立川氏館跡で発掘された遺物なども展示されていて、当日は展示解説を聴きながら興味深く見学しました。

企画展を見学した後、資料館の西隣にある常楽院に向かいました。

「立川の歴史散歩」によると、常楽院は普済寺の末寺として江戸時代に建てられたと伝えられていて、段丘に張り出した部分に建っていることから、立川氏の出城だったのではないか、という人もいるそうです。

また「立川氏館跡」では、一説には館跡との指摘もあるが明らかではない、とあります。

常楽院の墓地案内パンフレットによれば、常楽院が建てられる前には「阿弥陀院」と称し1570年の戦国時代から存在していたそうです。

〇常楽院と境内墓地に佇む板碑

崖線を段切り状にした高台に位置し土塁や堀などの城郭遺構は確認出来ませんでしたが、境内墓地からは普済寺(立川氏館跡)方面が見渡せました。

また板碑が一基、静かに佇んでいました(-人-)


〇常楽院を南西より望む

常楽院周辺を探検しましたが城郭遺構は無く、この場所に砦あるいは館があったのかは分かりませんでした(._.)

また境内墓地に板碑がありましたが元々ここに存在したものなのか、あるいは別の場所にあったものがここに持ち込まれたものなのか、そしてどのような人が板碑を建てたのかなど詳細は不明です。

しかし資料館や常楽院周辺は縄文~近世までの遺跡(台遺跡・台の下遺跡)があり、人の営みが古くからあった事が伺えます。

水に恵まれた場所であり、中世の領主がここに館を構えていても不思議ではないかな・・・と思いました~(^_^;)

地形などによる伝承地としての館跡でした~

※立川市歴史民俗資料館企画展「立川の遺跡2017」は9月3日まで開催しています。

〇参考資料

・改訂版立川の歴史散歩 立川市教育委員会
・立川氏館跡 第3節調査地点をめぐる地理的・歴史的景観 立川氏館跡遺跡調査会
・常楽院 墓地案内パンフレット
・遺跡地図情報インターネット提供サービス webサイト

※地図は後ほど掲載します_(._.)_

※9月23日追記 地図を掲載しました┌(_ _)┐


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。