勝沼城の南側を流れる霞川沿いに入間方面に下って行くと、右岸段丘に藤橋城があります。
勝沼城から北東に約2.5kmの位置にあります。
藤橋城の存在を示す当時の史料は無いのですが、城主については
- 『新編風土記稿』『武蔵名勝図会』江戸時代の地誌・・・平山氏
- 『皇国地誌・西多摩郡村誌』明治の地誌・・・平山氏、藤橋氏
- 『武蔵野歴史地理』昭和初期の地誌・・・平山氏=藤橋氏
としています。
※『資料青梅市の中世城館跡 藤橋城 3)歴史的背景』を参考にまとめました。
遺構は現在公園となっている本郭を中心に、土塁・空堀・腰郭などが残ります。
本郭は元々方形の形だったようですが、昭和30年代の道路建設で南東側が削られてしまったようです(T_T)
また虎口も南側にあったようですが、これも道路建設で消滅してしまったようです(写真3)※南側の公園入り口が虎口跡なのかは不明です
本郭の北西と南西隅は、一段高く郭より張出した形をしていて、櫓台があった事が伺えます(写真4)
本郭の周りは腰郭が巡っています。北東側には土塁も残っています(写真2)
また本郭から道路を挟んだ北東には、長方形の郭状遺構(出郭?)がありました(写真5)
郭の中は確認していないのですが、小古塚があり人骨や歯牙が出てきたそうですよ(@_@;)
その他、外郭の堀もあったようですが、現在は消滅しています。
事前に『多摩丘陵の古城址』の縄張り図をコピーして訪れたんですが、城主などは記事を書きながら資料を読んで調べました f(^^;)
遺構が消滅したり、周りは住宅が立ち並んでいるのですが、それなりに楽しめた城址でしたョ。
ちなみに昭和44年に学習院大史学部が発掘調査をしているそうです。
機会があれば、こちらも調査したいと思います。
- 城名 藤橋城
- 所在地 東京都青梅市藤橋
- 年代 -
- 城主 平山氏・藤橋氏
- 分類 平城
- 遺構 郭・土塁・空堀
- 規模 130メートル×120メートル 標高166メートル
- 文化財指定 市指定史跡
- 訪城日 2014年1月12日
参考資料
- 日本城郭大系5埼玉・東京
- 多摩丘陵の古城址
- 資料青梅市の中世城館跡
- 東京都の中世城館跡
- 現地解説版
2014年2月16日 Goo地図追加