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楯の城と明白院の山門 (東京都青梅市日向和田)

2015年03月15日 | 東京 城址

城郭サイト「城逢人」の管理人ししん様にお願いして「三田氏の史跡」を案内して頂きました<(_ _)> 
今回は「楯の城」と楯の城の城門と伝わる「明白院の山門」を記事にしたいと思います。

 
〇楯の城を東西に貫くJR青梅線
楯の城(別名 楯沢城、宮平城、楯の柵、東木戸)はJR青梅線宮の平駅の東側、通称矢倉台の峰から続く台地上の先端部、多摩川の北岸にあります。
城の規模は東西約100メートル南北約200メートルで、東西は深い谷(東に楯沢、西に谷川)が入り自然の要害になっています。
遺構は城の北側、台地上を東西に分断する空堀と土塁、虎口とその土橋などが残っていますが、その他はJR青梅線・青梅街道・宅地などにより大きく破壊されています。
 


〇台地上を東西に走る空掘
台地続き方面(矢倉台にいたる尾根)が高くなり、城の内部を見透される形となっている為折のついた空堀で断ち切り、城内への通路は地山を彫り残した土橋を設けています。


〇矢倉台方面から城内へ入る土橋(右手が城内)
昭和52年に土橋と堀の一部が発掘されました。

・土橋の上に材を敷いて架橋した可能性(木橋?)
・橋台状の張り出しは、土橋が構築される以前の板橋の土台として使用
・焼土層や炭化物で構成された層があり、火災にあっていた可能性
・金屎(かなくそ)の出土から、城内に鍛冶遺構の可能性
・遺物は明の青磁片・16世紀の美濃灰釉皿が出土
などが分かっています。                                                  


〇明白院山門
明白院は海禅寺7世の天江東岳開山を開山とし、三田氏遺臣の野口刑部少輔秀房を開基として天正年間頃に創立された曹洞宗の寺院です。
この山門は三田氏が滅亡後、盾の館に居住した田辺清右衛門尉惟良の屋敷にあったものを孫の宇太夫の頃に移したと伝えています。
宇太夫が没したのは元禄3年(1690年)との事ですので、おそらく江戸時代になってから移した事になります。
ちなみに明白院山門の解説板では「明白院建立の際に移した」と書かれていました。
明白院建立は天正年間(1573年~1593年)との事ですので、移築の時期に差がありますね(^^;
現在の青梅街道が開通したのは昭和5年(1930年)頃で、それ以前は南側の多摩川寄りの道を通っていたそうです。
『青梅郷土誌』掲載の楯の城図には城の南側に門を設け、古道(旧青梅街道?)は門前で方向を変え、楯沢を渡って裏宿(青梅方面)に出る様子を描いています。
寛文8年検地帳に「木戸前」の地名がありこの辺りを指すと思われる、そうです。
この場所にあった門が、明白院に移築された山門なのでしょうか (?_?)

今回未訪ですが古道の位置、
また浜矢場の地名(城郭サイト「城逢人」様の「楯の城」に詳しく解説されています)や、城内にあったという「首洗井戸」(@_@;)など、楯の城の城域は青梅線・青梅街道より多摩川寄り(南側)まで及んでいた事が想像出来ます。
ここに最初に館がおかれたのは文明年間(1469年~1487年)の頃で、誰が築いたのかはわからないようですが、辛垣城の大手門(東木戸)として機能していたことが考えられるとの事です。
この記事を書いている時点で辛垣城など山上の城郭群は未訪ですので、訪れた後に楯の城との関係を改めて考えてみたいと思います<(_ _)> 


参考資料
・青梅市史(上巻)
・青梅市文化財保護指導員連絡協議会活動報告書
・青梅市の中世城館
・その他


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お見事 (ししん)
2015-03-18 08:02:26
おはようございます
短時間の間にずいぶん勉強されましたね
あの地域は調べると謎が深まります
勝沼城周辺よりも面白いですよ

偶然ですが中世の道筋が判明しました
もっと多摩川よりでいくぶん面影が残っているようです
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こんばんは~ (みかづきぼり)
2015-03-18 19:48:52
ししんさん

まとまりのない記事ですが、お読みいただきありがとうございます。
もっとサクサク書ければいいんですが、時間ばかりかかってしまって・・・
でも頂いた資料が大変重宝しましたよ~(感謝)

おお、中世の道筋ですか?!
ムム、それは気になりますねえ~
現場を確認しなければいけませんね(笑)
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Unknown (夢酔藤山)
2015-03-31 05:50:23
三田の史跡は懐かしいですね。
GW頃はハイキング日和です。登山覚悟で辛垣山城も攻めてみてください。
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恐れ入ります (みかづきぼり)
2015-03-31 07:52:53
夢酔藤山先生

こちらにお越し頂き、ありがとうございます!
辛垣城の遺構は大分破壊されているようですが、現地に行って三田氏の歴史に直接触れたいと思っています。

拙い記事ばかりですが、またお越し頂ければ幸いです。
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